メアリー・ステュアート(7)

文字数 1,092文字

メアリー・ステュアートについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
メアリーに関しては、同時代の人文学者で歴史家であるジョージ・ブキャナン(1506ー1582)が書いた文書が知られる。彼は、ダーンリー卿の生前からのメアリーとボスウェル伯との不倫を自分の文書の中で主張している。その一例としてこんな文書がある。1566年の10月16日、メアリーはイングランド国境に近い、エディンバラ南東部のジェドバラという町の付近を荒らし回っている盗賊団について、国境警備指揮官の話し合うために、マリ伯他数人の臣下達と共にボスウェル伯のいるハーミテージ城に向い、そこに2時間足らずの間滞在している。ブキャナンはこの日のこの出来事について、「この時すでに、メアリー女王はボスウェルの愛人で、女王はハーミテージ城ではその名誉と身分にあるまじき恥ずべく行為をおこなった」と文書に書き残している。
このように同時代の人が書いた文書が出たことで、その時代やもっと後の時代でもメアリーの印象が悪くなっている可能性があります。
しかし、ボスウェル伯はこの8日前にジェドバラの盗賊団と戦い、盗賊団の首領は倒したものの、頭と右肩と左腕に重傷を負っていた。この時、すでに彼は出血多量により意識不明になっていて、助かるかどうか微妙な容態であったという。そのため、もうボスウェル伯は死んでしまったのではないかと考える人も多かったという。ボスウェル伯は担架で近くのハーミテージ城に運ばれた。この知らせは瞬く間に広がり、スペイン大使はメアリーに深い同情を寄せてこう言っている。「もはやスコットランド女王は頼みの綱を失ってしまった。あれほどの人物はめったにいるものではないというのに」しかしこのボスウェル伯の死は誤報だとわかり、周囲の人々は安心したという。
こんなことを言ってはいけないのですが、ボスウェル伯はもしかしたらこの時亡くなっていた方が幸せだったかもしれないと思ってしまいました。盗賊団と戦って死んだのなら、殺人の疑いをかけられて逃げ、最後は異国で気が狂って獄死するという悲惨な状況にはならなかったでしょうし、ボスウェル伯と結婚しなければメアリーの運命もまた違っていたはずです。
ブキャナンは後にメアリーの敵対者側に寝返っている人物で、メアリーの敵対者達の依頼を受けて、このようなメアリーに関する事実とは異なると思われる誹謗文書を多く作成しているため、現在のメアリーに関する悪評は差し引いて考える必要があると思われる。
敵対者に頼まれて誹謗文書を作成するなんて酷いですね。
このようなことは現代でも多く行われていると思います。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色