メアリー・ステュアート(5)

文字数 801文字

メアリー・ステュアートについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
1568年5月、ロッホ・リーヴン城を脱走したメアリーは6千人の兵を集めて軍を起こすが、マリ伯の軍に敗れ、イングランドのエリザベス1世の元に逃れた。メアリーはイングランド各地を転々としたが、軟禁状態とは思えないほど自由に近い、引退した老婦人のような静かな生活を送ることが許された。
ボスウェル伯が失脚した後は、マリ伯が軍隊の実権も握っていたのですね。
しかし、たびたびイングランド王位継承権者であることを主張し、またエリザベス廃位の陰謀に関係した。1570年にはリドルフィ事件(ロベルト・ディ・リドルフィが企てた事件)、1586年のバビントン事件(カトリックのアンソニー・バビントンがエリザベスの暗殺を狙った事件)などである。バビントン事件の裁判ではメアリーが関与した証拠が提示され、有罪・死刑を言い渡された。
カトリックはヘンリー8世の離婚を認めず、エリザベスが生まれた時には最初の王妃キャサリンがまだ生きていたから庶子とみなしています。メアリーはカトリックだから自分こそ正統な王位継承者だと思う気持ちも強かったからチャンスがあればと陰謀にも加担し、それで結局処刑されることになったと思います。
エリザベス1世は死刑執行書への署名を渋る様子を見せたが、結局1587年2月8日、フォザリンゲイ城のグレートホールでメアリーは処刑された。この事態を受けて、スペイン王フェリペ2世は無敵艦隊をイングランドへ派遣し、アルマダの海戦(1588年)に繋がった。
スペインはカトリックの国だからメアリーの処刑には当然抗議をするでしょうし、これを口実にイングランドを侵略しようともしたのでしょう。
アルマダの海戦では結局イングランド側が勝っています。メアリー・ステュアートの生涯の記述はここまででしたが、補足説明がかなり長いので、その部分も読んでいきます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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