シャルル・ド・ヴァロワ(2)

文字数 1,240文字

ヴァロワ朝の祖となったシャルル・ド・ヴァロワについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
1290年にナポリ王カルロ2世の娘で又従妹であるマルグリット・ダンジュー(1273年ー1299年)と結婚し、2男4女をもうけた。
ナポリ王カルロ2世は1282年に父カルロ1世と一緒にシチリア晩鐘事件でシチリアを追われてナポリに逃亡しました。アラゴン王ペドロ3世と戦って捕虜になり、1288年にシチリアを完全放棄するという条件で釈放され、父の後を継いでナポリ王となります。
アラゴンにとっては因縁のある相手の娘と結婚しているのか。
・イザベル(1292年ー1309年)ブルターニュ公ジャン3世と結婚

・フィリップ6世(1293年ー1350年)フランス王

・ジャンヌ(1294年ー1342年)エノー伯ギヨーム1世と結婚

・マルグリット(1295年ー1342年)ブロワ伯ギー1世と結婚。ブルターニュ摂政シャルル・ド・ブロワの母

・シャルル(1297年ー1346年)アランソン伯シャルル2世、アランソン家の祖

・カトリーヌ(1299年)

ブルターニュ公とかアランソン伯など、シャルル7世と一緒に戦った者の祖先や関係者がここに出ていますね。
1302年にラテン帝国の名目上の女帝で先妻の従姉、自身の又従妹であるカトリーヌ1世・ド・クルトネー(1274年ー1308年)と結婚し、1男3女をもうけた。

・ジャン(1302年ー1308年)

・カトリーヌ(1303年ー1346年)ターラント公およびアカイア公フィリッポ1世(マルグリット・ダンジューの弟)と結婚

・ジャンヌ(1304年ー1363年)ロベール3世・ダルトワと結婚

・イザベル(1305年ー1349年)

フィリッポ1世やロベール3世・ダルトワなどもいろいろなところと関係がありますが、長くなるのでここでは省略します。
1308年にサン・ポル伯ギー4世・ド・シャティヨンの娘マオー・ド・シャティヨン(1293年ー1358年)と結婚し、1男3女をもうけた。

・マリー(1309年ー1332年)カラブリア公カルロ(マルグリット・ダンジューの甥)と結婚

・イザベル(1313年ー1388年)ブルボン公ピエール1世と結婚

・ブランシュ(1317年ー1348年)後の神聖ローマ皇帝およびボヘミア王カール4世と結婚

・ルイ(1318年ー1328年)

神聖ローマ皇帝カール4世は余の父上である。
カール4世とブランシュの間には2人の娘がいました。ヴェンツェルの異母姉です。

・マルガレーテ(1335年ー1349年)ハンガリー王(のちにポーランド王を兼ねた)ラヨシュ1世と結婚しますが14歳で亡くなります。

・カタリーナ(1342年ー1395年)オーストリア公ルドルフ4世と結婚します。のちバイエルン公およびブランデンブルク選帝侯オットー5世と再婚します。

シャルル・ド・ヴァロワは自身が王になることはなかったけど、彼の子がフランス王となり、そして子孫はフランスだけでなくいろいろな国に広がっていますね。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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