神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(14)

文字数 1,084文字

フリードリヒ2世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
フリードリヒは教皇が開く公会議に参加する者は敵とみなすと脅しをかけて対抗し、公会議に向かう聖職者を捕らえて投獄した。1241年にグレゴリウスは没し、グレゴリウスの次に即位したケレスティヌス4世は在位17日で没した。ケレスティヌス没後のコンクラーヴェでは選挙に参加する枢機卿のうち2人がフリードリヒに捕らえられ、新教皇の選出は1年半後にまで延びた。この間フリードリヒはローマへの進軍を行わず、体勢を立て直した教皇庁は1243年にインノケンティウス4世を新教皇に選出した。
ハインリヒ7世の反乱の後、教皇庁との対立はますます激しくなり、フリードリヒも手段を選ばなくなっているように思います。
フランス王ルイ9世の仲介でフリードリヒとインノケンティウスの交渉が始まり、1244年にフリードリヒが捕らえた聖職者が釈放される。しかし、ロンバルディア同盟は講和に反対し、インノケンティウスの出身地であるジェノヴァも和平を拒んだために交渉は難航した。インノケンティウスは密かにリヨンに逃れ、1245年6月26日のリヨン公会議でフリードリヒの廃位と彼の封建家臣の主従関係の解除を宣言した。インノケンティウス4世はフリードリヒに対する十字軍を呼びかけ帝国の各地で反乱が勃発した。しかし、教皇権の伸張を恐れる多くの王と君主は破門に批判的であり、ルイ9世もフリードリヒに同情を示していた。
教皇のやり方は卑怯で、これではますます争いが激しくなるばかりです。
破門の宣告に対し、フリードリヒは「世界の鉄槌」として抗戦する意思を顕わにする。フリードリヒは直属のイスラム教徒の兵士を率いてイタリア各地を転戦し、またゲルマニアでは聖界諸侯によってテューリンゲン方伯ハインリヒ・ラスペがコンラートに対立するローマ王に選出された。
この頃になるとフリードリヒは教皇に関係するキリスト教徒よりもむしろイスラム教徒の方が信用できると思っていたかもしれません。
1246年の復活祭の前日、教皇派によるフリードリヒとエンツォの暗殺計画が発覚する。さらに、パルマ執政官ティバルト・フランチェスコ、トスカーナの前執政官パンドルフォ・ファサネッラら側近たちも計画に加担していた。彼らが陰謀に加わった理由は明らかではないが、フリードリヒが帝国の要職を身内で固めたために進退に不安を覚えたためと言われている。逮捕された謀反人たちは目を潰され、残忍な身体刑を与えられて命を絶たれた。
暗殺計画のような裏切りがあったために、フリードリヒはますます残酷になっていきます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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