2021/02/26

文字数 2,675文字

 七時過ぎに起床しました。
 少し早めに目覚めてしまいつつも、昨日早めに寝たので割と気分が良かったです。
 朝食を済ませて日課のストレッチしながらアニメ鑑賞。
 ケム○クサを観ました。改めて見ると背景の廃墟がすごく良いです。作中で深く言及されているわけではないものの、遊園地や団地など馴染みがあって懐かしい風景が廃墟としてそこにあり、かつてそこにいたはずの人間はどうなったのだろう、そしてなぜ滅んでしまったのかなどと考察の楽しさが生まれます。
 その後支度して在宅勤務。
 今日はわりかしやる気があって集中出来ました。時折眠気に襲われたりフッと妄想の世界に入っていたりしつつも、モチベーション自体はありました。危機感に火をつけられたのですが、しかし焦りは今のところなくて行けそうな気がします。良いことなのでしょうか?しかしやる気とは裏腹に思った以上に進まず、少し焦りを覚えながら昼休憩に入りました。
 昼食を済ませて昼寝、睡眠時間が足りない、みたいな趣旨の夢を見ました。起きてからどこまで自分は寝ていたいんだと思いました。
 その後仕事の続き、少し出来ている気がすると油断してつい集中が途切れてしまいます。あとリビングから父と母が何か話しているのが聞こえてくるたびにまた喧嘩になりやしないかとか考えたり、経済的に生活が危ぶまれていることを思い出したりして、現実逃避に走ってしまいます。基本的に自分はクズだと感じました。午前は割とハキハキとした振る舞いを心がけていられたのに、少し自信が芽生えたと思ったらこの有様です。少しの充実感で、もっと多くの充実感を得るために頑張ろうと思うのではなく満足してこれで良いと驕ってしまうのが私の数多ある欠点の一つだと自覚しました。結局期待していたところまでは出来ず、暗に先輩にも進捗の遅れを指摘されてしまいました。在宅勤務のせいか軒並他の方の進捗も遅いそうなのですが、それでも恥ずかしくなりました。
 退勤して夕飯、少し家族と対面するのに気まずさを感じます。生活が変わらざるを得ないことに対する惨めな空気がリビングに満ちています。仕方のない、といえばそれまでで、もっと苦労している人が世の中にはいるのも分かってはいるのですが、それでも安定した生活を送っている人もいて、自分たちは彼らと何が違ったのかなどと考えてしまいます。
 風呂から上がると父は接着剤で抜けた歯を無理やりくっつけていました。父は明日一人でまた小旅行に行きます。車があるうちにという理由に加え、もう一つは救いを求める心からです。行き先はお寺で、今回行くところでようやくひと段落つくそうです。父は大腸がんの手術をしてからオナラを我慢することが出来なくなり、電車などでは行けないと語っています。なので車があるうちに行って、ご利益を貰いたいとのことです。
 父は私に、この病気が治ったらまた働けるのに、でも治すためには金がいる、家を売ったらその金は用意出来るが、母に仮にその治療法を試したとしても100%治る訳ではないと拒否され、また死んでくれとまで言われた、と語りました。
 私は何も言えませんでした。家を売るということに薄情にもショックを受け、嫌に思った自分がいたのと、母の死んでくれという言葉はおよそ本心であることが察せられた為です。家を売ったら病気を治せるのにと父が言った時、私は家を売ってまでも病気を治したいのか、それで家族全体の幸福度は上がるのか、とまず思ってしまいました。父が負っている病気の苦痛、死の恐怖など慮ったりせず、父はおよそ人生の終わりに差し掛かっていると決めてかかっていることに気付きました。一方で家を売ったら私たち、特に母は困るし悲しむだろうに、それでも家を売りたいと思うのか、と少し傷ついた自分に気付きました。家長の家族への情を、当然のものとして心の中で父に強要していた自分が嫌になりました。人間は他者の苦痛に同情することは出来ても、その苦痛に共感できないどころか気付きもできず、気づいたとしても自分自身の苦痛が心を占める割合が苦痛の量に反してあまりにも多く、他者に同情し切れないことがもっぱらである、などと人間一般を語っても、それでも自分はとりわけ薄情だと感じました。
 また母の心労を察すると、母が父に死んでくれと思うのも無理はないと思ってしまいました。日常で父は母に感謝の念を伝えることはあまりありません。基本的に父は人の悪い面ばかり見て否定するというのもありますが、家族の中で家長である自分は一番偉く正しく、またそうあらなければならず、感謝の言葉を謙るように言うことなど出来ないという、少し古臭い家族観、または男女観の持ち主であるためです。「いつも感謝はしている」とは言います。しかし日常においてそんな感謝の念を直接的に表現することは無く、不満のみ言っていればそんな言葉はむしろ母にとって空虚な狡い言葉に思えるでしょう。それで父への愛想が薄れているのが三分の一、もう三分の一は父が病気の苦痛を長く味わって死ぬような最期を迎えるのを哀れに思うのがあるのだと思います。母の父への愛がどのようなものだったか私には察せられませんが、愛想が薄れたとしても心の底から憎むようになっている訳ではないと考えます。だからもっとこの先苦痛の増す中で生き永らえるくらいなら、いっそ死んでくれと母は考えているだろうと私は思います。そしてもう三分の一は父以上に「家族」を思っているのがあるのだと私は思います。「家族」の今後を考えた時、父が死んでくれる方が経済的には「家族」にとって良いという、各成員の存在が希薄な「家族」という全体を重視する視点からも、母は父に死んでくれと言ったのではないかと考えます。
 以上のように考えて、私は何も言えませんでした。母は父の死を必ず悲しむだろう、しかしだからと言って死なずにずっと一緒にいたいという訳ではなく、何だったら少し望んですらいるという、一見矛盾しているように見える感情を母は抱いていると想像します、
 翌日が休みなのでまた借りた部屋に行きました。行きしなに父は、玄関の合鍵を作らないとな、いずれ私の家になるしな、と言いました。その時は適当に相槌を打ちましたが、今思えばそれには色々な感情が篭っていたと後から気付いて、罪悪感を抱きました。
 今日1日も結局私はダメでした。明日は休み、ゆっくりとしつつも諸々のことをちゃんと考えるようにしたいと思います。

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