2022/05/19

文字数 1,624文字

 3時半に母に起こされました。
 急いでリビングに。病院の看護師の方が最期にビデオ通話を繋いでくれました。
 父はもう反応がありませんでした。ただ目をつぶって、息をしているようなしていないような。とにかく呼びかけました。今までありがとう、感謝の言葉を伝えました。やがて看護師が呼吸が止まった旨を告げて電話は終わりました。
 少ししてから医師から電話、臨終の確認をしたとのことでした。ついにでした。聞いてもどこか現実感がなくて、まだ涙はあまり出ませんでした。
 看護師からまた電話がかかってきて、今エンゼルケアしているとのことでした。これから葬送の手配をしてほしいとのことです。父はコロナに罹患していたため、棺に入れたり着せたりしたいものは今病院にいる段階でしなければならないと言われ、陽性かつ濃厚接触者である自分達はどうにも出来ず、急いで親戚に持って行ってもらいました。
 その後は葬儀会社に連絡。遺体を迎えに行ったり手続きしたりするまではしばらく後じゃないといけないと言われ、とりあえず出来る限りの準備だけしました。故人がコロナであること、自分達が濃厚接触者かつ陽性者であるせいで、ほとんど火葬だけの簡素な葬送になると聞かせられた時は無念でした。
 寝不足のせいかコロナのせいか頭がダル重くてしんどく、9時くらいまではぼーっとしてました。
 会社に休む旨を電話してから本格的に葬儀屋とやりとりをします。自分は一度話を聞きそびれたのをきっかけに、気分が優れないのもあり話についていけなくなりました。喋ると咳が出るのであまり喋ったりもせず、姉と母が主に段取りするのに対しあまり貢献できませんでした。
 昼食を済ませてからは2時間ほど寝させてもらいました。幾分かは体調が良くなった気がしました。しかし咳がずっと変わらない調子です。最初の頃よりひどくなっている気さえしました。
 夕方ごろに親戚が家にきてくれました。飼い犬の面倒を一人に見てもらいつつ山奥にある町営の斎場に。
 かなり古い斎場で、地べたでやけに大量の芋虫が苦しそうに蠢いている、嫌な空気のところでした。
 それまでどこか現実味がなかったのですが、火葬される直前の父の棺を車越しに見た時、急にどっと、もう二度とこれまでの日々が戻ることがないことを感じました。炉に掲げられた自分達の苗字、そして簡素な棺。
 棺は完全に密閉され、中身が全く見えませんでした。あの中に本当に父の遺体があるとは信じられないようにも思える一方で、そこにいる父を感じて辛さが込み上げてきました。
 防護服に身を包んだ葬儀屋の方はこれが精一杯だと言いました。自分達は車越しに、よしんば親戚たちは後ほんの少し棺の近くに来ることしか出来ませんでした。国の決まりとして、特例的にでもこの程度しかして上げられないとのことでした。本来は焼いて返すことしかできないと。
 棺が炉に入れられて扉が閉まった時、いよいよ父との永遠の別れを感じて涙が止まりませんでした。そして無念でした。コロナだからといってこんな最後だなんて。父の遺体に触れるどころか一目見ることさえできない、たった1日で呆気なく済ませられて、こんな悲しいことがあるかと。
 帰ってからは親戚たちと話したり一緒に夕食を食べたりしてこの悲しみとやるせなさを乗り越えました。自分はまだ咳があるのでちょっと距離をとってました。意味はないかもしれませんが。そもそも来ること自体本当はいけないことなのだと思いますが、そうも言ってられません。父にこんな最後を迎えさせるきまりなんて。
 父の遺骨を受け取りに来ました。綺麗な骨だったそうです。
 簡易的に父を祀り、親戚たちが帰ってからは3人ともお風呂を済ませて寝ました。姉と母はゆっくりしてもらうため各自の部屋に、自分は父の遺骨と同じ部屋で寝ました。
 この日記はしばらく落ち着いてから書きました。
 もしこれを読んでいる方がいるのなら、本当にコロナには気をつけてください。
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