第8話

文字数 2,458文字

      *・・・*・・・*

 宗一郎からの連絡は、一旦自宅へ戻れというものだった。妙子たちの迎えだろう。さらに、とんかつ屋で昼食を食べ終わる頃、帰りましたと香苗からグループメッセージが入った。柴と右近がいるのなら、大河を一人残しても問題ない。
「じゃあな大河、またあとで」
「うん。ありがとう。気を付けてね」
「ああ」
 寮で一旦大河を下ろし、宗史は左近を連れて自宅への道を急いだ。一番遠いのは樹たち熊野本宮大社班で、三時間半ほどかかる。現時刻は二時。きっちり戻ってくるとしたら残り一時間半だが、多少ずれ込むだろう。道路状況もそうだが、誰のせいで、とは言わずもがな。何せ、今日を耐え切れば処分が解けるのだ。今頃、土産と称して甘いものを山ほど買い込んでいることだろう。
 自宅へと車を走らせながら、宗史は密かに息をついた。
 報告は詳細に、が基本だ。けれど。
『あんた、つまんねぇな』
 平良に言われたあの言葉が、どうにも気にかかる。どういう意味だ。
 あの手のタイプは何をしでかすか分からないにせよ、純粋に実力だけを比べるなら、おそらくこちらの方が上だ。戦闘狂である奴がそれに気付かないはずがない。その上で出した評価が、つまらない。何をもってつまらないと思ったのか。
 この凄惨な事件をゲームだと言い切るような戦闘狂で、樹を執拗に狙っていること以外、奴については動機すら分かっていない。
「戦闘狂……、樹さん……」
 廃ホテルで平良は、強い奴がいると聞いて樹を探していたと言った。そして訓練の様子や人柄を昴から聞き、廃ホテルでの戦い方を見てますます興味を持った。ならば、奴の評価基準が樹だとしたら。そしてあれは、樹と比べたゆえの実力以外の評価だとしたら――戦闘スタイルか。
 宗史は眉をひそめた。
 確かに樹は何をしでかすか分からないし、戦闘狂の奴からしてみれば、樹や、あるいは大河のように予測不可能な策を思い付く相手の方が面白いだろう。つまりだ。あれは平良の至極個人的で勝手な評価に過ぎない。気にすることではない。
 そう、気にすることではないのだが――報告したくないと思ってしまうのは、何故だろう。
 渋い顔で前を見据える宗史を、左近がじっと見つめていた。
「ん」
 自宅近くで、宗史は小首を傾げた。門の前に車が二台、停車している。しかも一台は神戸ナンバーで、もう一台は寮の所有車。
「尚と晴たちが来ているようだな」
「ああ」
 宗史は眉をひそめ、最後尾に車を滑り込ませた。この様子なら、宗一郎も帰宅しているかもしれない。では何故わざわざ自分を自宅へ戻した。妙子たちの迎えではないのか。
 怪訝に思いながら車を下りて通用口をくぐり抜けると、案の定、見慣れた車が止まっていた。両家揃い踏み決定だ。会合が控えているこのタイミングで、寮ではなく自宅に集めるなんて。しかも両家全員。何があった。
「ただいま」
 違和感を持って玄関扉を開けると、土間には靴と草履がずらりと並んでいた。宗一郎たちの分と、小さな靴は双子、女性用の靴は妙子の物だ。リビングの方から微かに甲高い子供の笑い声が響き、足音が駆け寄ってきた。
「宗史、左近、おかえりなさい。ご苦労さま」
 そう言って出迎えてくれた夏美は、珍しく困惑した顔をしている。
「さっそくで悪いんだけど、宗史。貴方はお部屋へ行ってちょうだい。ああ、荷物はそこに置いておいていいわ」
「部屋にですか?」
「ええ。左近はこっちに」
「ああ……」
 さすがの左近も困惑気味だ。何となく互いに顔を見合わせて、左近は夏美のあとを追って庭に面した廊下を、宗史は荷物を置いて階段へ向かった。
 こんな時に自宅へ呼び戻され、前線で戦った両家全員が揃い、しかし自分だけ自室。その上、夏美のあの困惑した顔だ。何があった。
 宗史は怪訝な表情のまま、桜の部屋の前で足を止めた。人の気配がしない。リビングで双子たちと一緒にいるのだろう。平良の発言といい、この意味不明な状況といい、一旦桜の顔を見て癒されたかったのだが仕方ない。部屋にいないのなら、今日は体調が良い証拠だ。
 癒しを諦めて自室の扉を開けると、隙間から冷たい空気が流れ出た。しまったエアコンをつけっぱなしだったかと一瞬ぎょっとしたが、それ以上に、何故かそこにいる晴に驚いた。
「晴?」
「よ。おかえり」
 目を丸くした宗史を、ベッドの端に腰を下ろした晴が、少しぎこちない笑みで迎えた。
「何でいるんだ」
 ここまでくるとさっぱり意味が分からない。後ろ手で扉を閉めながら尋ねると、晴は視線を泳がせた。
「ちょっと、話があってさ」
「話?」
「ああ」
 晴のどことなく居心地が悪そうな、肩身が狭そうな態度と表情。おそらく、宗一郎たちは一堂に会している。それなのに晴と自分だけ別室で話だなんて。状況が読めなさ過ぎて気持ち悪い。
「何だ」
 デスクチェアを引っ張り出し、晴の方へ向けて腰を下ろす。すると晴はうっすらと口を開き、しかし結局閉じて視線をあちこち泳がせた。彼がこうも言いあぐねるなんて珍しい。けれど、何をやらかしたと茶化して尋ねるには、この沈黙は重すぎる。
 しばらく視線を泳がせていた晴が大きく深呼吸をして、やっと顔を上げた。そこには極度の緊張が張り付き、膝に置かれた手はきつく握られている。
「昨日の、ことなんだけど――」
 そう前置きをして、晴は語った。
 時折言いづらそうに言葉を詰まらせながらの報告は、想像だにしないものだった。いや、誰がこんな展開を想像できるだろう。楠井満流の異常な強さといい、晴が神降ろしの呪の霊符を持っていたことといい、何故か玄武が召喚されたことといい。
「――ごめん」
 愕然とした表情の宗史に、晴は両膝に手をついて深く頭を下げた。
 少し癖がかった髪を見つめ、宗史は顔を覆って長く息を吐き出した。えらく手の込んだ冗談だと笑い飛ばしたいけれど、晴の真剣さは本物で、この重苦しい空気が読めないほど鈍感ではない。
 何故このタイミングで両家が集められたのか、何故自分と晴だけ別なのか。その理由が、やっと分かった。
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