第4話

文字数 2,977文字

 紺野たち刑事組を見送ったあと、影唯と省吾たちにメッセージを送り、柴と紫苑に精気を与え、志季に治癒をしてもらった。その一時間ほどあとに晴が帰宅し、結局夕飯まで訓練時間になった。
 夕飯を終わらせ、宿題もあるし、宗史にも話しがあると言われていたため、一緒に入浴を済ませた。樹と怜司は哨戒時間まで仮眠、華や夏也、香苗の後片付け組以外の者たちは、秘術の訓練をするため庭へ出た。
 風呂から上がり、ペットボトル片手に部屋へと向かう途中、昴の部屋のドアがわずかに開いていることに気付いた。隙間から明かりが漏れ出ている。
「誰だろ」
 華たちは一息ついていたし、弘貴たちはまだ訓練していた。昴が戻ってきたなんてことはあるまいが。
 何となく警戒してそろそろとドアを開けると、机の前で佇んだ茂の背中があった。思わずほっとする。
「しげさん」
「何してるんですか?」
 宗史と大河の声に、茂は我に返ったように俯いていた顔を上げた。
「ああ、宗史くん、大河くん」
 ドアを開けたまま中へ入る。
「これ。僕の名義で契約してたから、解約しなきゃと思って」
 少し寂しげな笑みを浮かべた茂の手の中には、昴の携帯がある。夜の会合の時、明がそんなことを言っていたことを思い出した。大河と宗史が、ああ、と納得した声を漏らすと、茂は短く息を吐いて切なげな目で部屋を見渡した。
「明さんから聞いてたけど、ほんとに何もないね」
 つられて見渡した部屋に、大河は目を細めた。
 綺麗に整えられたベッド、タッセルできちんとまとめられたカーテン、本棚には数冊の文庫本以外何も入っておらず、ゴミ箱も空、机の上には携帯の充電器以外、ペン一本置かれていない。
 あの日――迷子事件の日、ドアを開けて飛び込んできたこの光景に驚いた。そして思った。まるで、今すぐにでも出て行けるような部屋だと。そのくらい、生活感がないのだ。
 必要以上の物を置くことを嫌う人もいる。だから、有り得ないとは言い切れない。でも今思えば、部屋に物が少ないのも、報告書を消去していたのも、できるだけ私物や痕跡を残さないようにするためだったのだろう。
「硯や墨なんかは、引き出しにしまわれてあったよ」
 言いながら、茂は引き出しを開けた。硯や墨、半紙に筆ペン、霊符用の和紙、真言の一覧が整然としまわれているが、他には何もない。
 霊符のお手本を書いてもらった時に聞いたエピソードは、作り話なのだろうか。それとも、向こうにいた時に、本当に床で描いていたのだろうか。
「掃除は自分でしてたし、呼びに来ることもなかったから……。一緒に暮らしていたのに、まったく気付かなかったよ」
 寮暮らしにおいて、個室は唯一のプライベート空間だ。不用意に入らないようにと気を使う。昴自身も、部屋を見られないように、また二台目の携帯を隠すために、自分のことは自分で、できるだけ皆と一緒にいるように細心の注意を払って生活していたことが窺える。
「クローゼットの中も、当たり前だけどそのままみたいだった。ファッションに興味がないとは聞いていたけど、本当に最低限の数しかないんだよね」
 茂は息をつきながら引き出しを閉め、自嘲気味の笑みを浮かべた。
「情けない話、まだ割り切れていないんだ。このままにしておくわけにはいかないし、片付けなきゃとは思うんだけど……」
「皆、そうだと思います」
 大河が追随する。
 だから、この時間になっても誰も部屋に入ろうとしなかった。携帯が置きっ放しにされていると知っておきながら、誰も確認しようと言わなかった。
 それでも、解約しなければと携帯を取りに来た茂は、少しずつ心の整理をしようとしているのだ。
 顔を曇らせた二人に、宗史が言った。
「さすがに、いつまでもこのままにしておくわけにはいきません。どうするか皆できちんと話し合ってください。紺野さんに相談するという手もありますし」
 宗史はもう割り切っているのかと思うくらい、冷静な声だった。けれど、最後に付け加えられた提案に、大河と茂があっと声を上げた。
「そうか」
「紺野さん、身内ですもんね」
 昴は初めから置いて行くつもりだったのだろうし、こうなった以上、処分するべきなのだろう。保管もできるが、戻るつもりのない者の荷物をいつまでも置いておくわけにはいかない。しかし、だからといってあっさり処分できるほど、昴との時間は短くない。ならばいっそ、身内である紺野に決めてもらうのも一つの手だ。
「ところで、何か気になるものはありましたか?」
 宗史が携帯に目を落とす。
「いや、特にこれと言って何もなかったよ。電話帳やアプリの類もそのまま……あっ」
 宗史に携帯を手渡しながら、茂が閃いた顔で二人を見比べた。
「これ、柴と紫苑に持たせるっていうのはどうかな?」
「ああ、いいですね」
「それいい!」
 大河たちはGPSがあるし、式神には使いがいる。しかし、柴と紫苑は寮を離れると居場所が分からなくなってしまう。強いとはいえ、何かあった時のために連絡手段を確保しておくのは必要だ。
 賛同したところで、宗史の携帯が着信を知らせた。ひとまず大河が茂から携帯を受け取る。人の携帯を見るのは心苦しいが、確認はしなければ。
「新しいアカウント取った方がいいよね。メッセージの使い方と、あとGPSの見方でいいかな?」
「いいと思います。メールは使わないだろうし、電話も無料通話使うし。あ、カメラ教えたら使いますかね?」
「興味あるみたいだったよね。簡単に教えておくよ」
「何撮るんだろ」
「何だろうねぇ。紫苑は柴を撮りそうだけど」
「ああ……それ有り得そう……」
 アルバムが柴だらけとかちょっと嫌だ。遠い目をしながら開いたアルバムの中には、例の式神たちの写真と集合写真が残っていた。思わず顔が曇る。
「マジか……」
 メッセージを確認していた宗史が、唇に手を添えてぼそりと呟いた。あまり聞かない宗史の「マジか」に緊張が走る。
「どうしたんだい?」
「なんかヤバいこと?」
 神妙な面持ちをした二人に、宗史は「ああいえ」と苦笑した。
「父からの報告なんですが――」
 そう前置きをして、北原は元気だったこと、近藤もGPSを設定した報告がされ、最後に「秘密」が明かされた。
「隠し子!?」
「そうきたかぁ」
 大河は目を丸くし、茂は苦笑いを浮かべる。北原が元気だったことはもちろん嬉しいが、近藤の秘密があまりにも衝撃的すぎる。現実にあるのか。
 茂が低く唸った。
「まあ、正直に言えば詳細が気になるけど、これ以上は本人に聞かないと分からないし」
「ええ、野暮ですね」
 気になるのは皆同じらしいが、確かに野暮だ。大河はちょっとだけ顔を出した野次馬根性を引っ込めた。
「柴と紫苑は、まだ庭にいた?」
「はい」
「じゃあ渡してくるよ」
 携帯を受け渡しながら、誰ともなしに扉へ向かう。
「しげさん。さっきの話、華さんたちにも伝えてもらえますか」
「うん、分かった」
 部屋の電気を消し、部屋の外へ出る。扉を閉める瞬間、示し合わせたように三人はほの暗い部屋へ視線を投げた。
 処分するにせよ紺野が引き取るにせよ、近いうちにこの部屋からは物が完全になくなり、扉のプレートが外され、掃除され、今以上にがらんとする。
 まるで、初めから誰もいなかったように。
 大河がゆっくり扉を閉めると、じゃあ宿題頑張ってね、と声をかけて茂は階段へ向かった。
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