第10話

文字数 2,301文字

「あいつら……っ」
 忌々しげな弘貴の声に、我に返った。
「人の命をなんだと思ってんだ!」
 くそっ、と吐き捨てて、自分の膝へ拳を振り下ろす。
「ていうか、それ。何で説明がないわけ?」
 いっそ睨むように鈴に目を落とす。鈴は上目づかいに弘貴を見上げ、羽の上に乗せていた頭を上げた。
 必要がないからだ。
 想像だにしなかった答えに、思考が途切れる。必要ない。何故。
「何だよそれ。どういう意味だよ」
 不快と疑心が滲んだ視線から目を逸らすことなく、鈴は言う。
 紫苑の件は、すでに宗一郎と明の間で答えが出ていた。先にお前たちに話していたら、奴らを受け入れていたか?
 ぐ、と春平と弘貴は声を詰まらせた。鈴の言う通りだ。廃ホテルの事件以前に、宗史や大河の家族を柴に食わせる計画を紫苑は知っていたかもしれない、と聞いていたら、一緒に住むどころか協力などしていなかった。それでなくても公園襲撃事件で恐怖と疑心があったのだ。いくら何度も助けられたとはいえ、恐怖の方が勝る。それ以降も説明がなかったのは、紫苑の動向や証言から、推理は間違っていないと確信し、話す必要はないと判断したから。
 大河については、それこそ必要なかろう。樹の警告は、警戒を強化するに最適ではあるが、あくまでも成り行きに過ぎん。そもそも、奴らと敵対している我ら全員が標的なのだからな。
 分かったかと視線で問いかけられ、春平は視線を落とした。自分たち全員が標的。それは分かっていた。だが、こうもはっきり言葉にされると――。
 弘貴が苦い顔で乱暴に頭を掻きながら、深い溜め息をついた。
「うん、まあ、それはそれで納得した。けどさ、俺が言いたいのは、そういうことじゃないんだよ」
 どういう意味だ。
 鈴が細い首を傾げた。弘貴は背もたれに体を預け、両手を組んでわずかに視線を落とす。
「この前施設に行った時、園長先生に聞いたんだ。俺が施設に預けられた理由」
 まさかここで話題にするとは思わなかった。春平と夏也が勢いよく振り向き、華が目を丸くし、紫苑と鈴が一度瞬きをした。
「詳しい説明は省くけど、俺、天涯孤独らしいんだよ。うち離婚してたから母さんは会ったことないし、父さんもじいちゃんも、病気で死んだんだって。大河みたいに目の前で家族を殺されたわけじゃない。だからあいつの気持ちを分かってやれない。でも、俺は大河のこと友達で仲間だと思ってるから、そういう辛さとか悲しみとか、ちょっとでも一緒に背負いたいって思ってる。綺麗事だって言う奴もいるだろうけどさ、事情を知ってる奴がいるのといないのとじゃ、やっぱ気持ちが違うっていうか、軽くなるの知ってるから。酒吞童子の時も、俺は何もしてやれなかったし。ていうか、どうすればいいのか分かんなかったんだけど」
 弘貴は自嘲気味の笑顔で付け加え、視線を上げた。
「まあでも、あいつ特に落ち込んでるようには見えないし。宗史さんが上手くフォローしただろうから、今さら本人に直接聞こうとは思わねぇけど」
 何もできねぇなぁ俺、と呟く弘貴の横顔がどこか寂しそうで、春平は顔を逸らした。
 分かった。明に伝えておこう。
 嘆息交じりの鈴の答えに、弘貴がぎょっとして身を乗り出した。
「えっ、いや、別にそういうつもりで話したんじゃないから。ていうか恥ずかしいから言わなくていいよ」
 ……分かった。
 間があった。これは報告されるな。ほっと安堵の息を吐く弘貴をよそに、春平たちは心の中で合掌した。何かあった時、絶対言質にされる。
「よし」
 華が口元に笑みを浮かべ、改めて気合いを入れ直すようにハンドルを握り直した。
「弘貴くんの仲間を思う熱い気持ちは分かったわ。ますます気合い入れないといけないわね」
「華さん、サムイ言い方やめてもらえます?」
 顔を歪める弘貴を無視し、華は言った。
「それに、樹と大河くんに罪悪感を背負わせないためにも、絶対に全員生きて帰るわよ」
 その言葉に、春平は目を丸くした。
 そうだ。もし誰かが殺されたとしたら、きっとあの二人は自分を責める。ましてや大河は、すでに影正を殺されているのだ。影正の手紙を皆の前で読み上げた時も言っていた。自分のせいだと思ったと。また誰かが殺されれば、彼がどんな気持ちになるか考えるまでもない。今度こそ、憎しみに囚われて暴走しかねない。
 強い宣言に弘貴が興奮した様子で顔を紅潮させ、相好を崩した。
「おう!」
「そうですね」
 夏也が前を見据えて答え、頷くように鈴が目を伏せ、紫苑が小さく頷いた。
「そのためには、まず腹ごしらえね。伊勢だったら、やっぱり海鮮かしら」
「俺、松阪牛がいい!」
「せっかくですし、それも有りですね」
「そうねぇ。あまり高いのは無理だけど……紫苑、お肉とお魚どっちがいい?」
「……肉だ」
「やっぱり、男の人ならお肉よね。夏也、ちょっと調べてくれる?」
「はい」
「やった!」
 鬼だから肉、ではないところが華らしい。まっつさっかぎゅー、まっつさっかぎゅー、とおかしな節をつけて歌う弘貴に、贅沢な奴めと言いつつ飾り羽を揺らす鈴。まつさかぎゅうとは牛か? と小首を傾げる紫苑。
 鈴の松阪牛談義が始まる中、春平は一人、窓の外へ視線を投げた。
 鬼代事件という、たった一つの事件にたくさんの人の思いや覚悟があって、この世の未来がかかっている。それらすべてが肩に重くのしかかり、今にも押し潰されそうだ。
『別に、今すぐ覚悟を決めろなんて言わないけど、でもどこかで割り切らないと、死ぬよ?』
 いつか樹が告げた言葉が、脳裏に蘇る。
 逃げ出したいという気持ちと陰陽師としてのプライドの間で、窒息しそうだ。
 顔を曇らせ、春平は膝の上で拳を握った。
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