第11話

文字数 2,829文字

 春平はハサミとシャーペンを持って藍と蓮の部屋に入った。
 ぴったりくっつけられたシングルベッドが二台、数冊の絵本や少しのおもちゃ箱がしまってあるカラーボックス、それぞれの衣装ケースがあり、白を基調にピンクと青でまとめられていていかにも子供部屋といった感じだ。
 カラーボックスの前に敷かれた市松模様のタイルカーペットに、いつもはクローゼットにしまってある小さな折り畳み式のテーブルが出されてあった。回りを囲むようにして腰を下ろす。
 茶封筒を開けながら、夏也が言った。
「会社ごとに分けておいた方がいいですよね」
「あ、はい」
 残りの封筒を香苗と昴が開ける。透明の袋に入った和紙は、50枚入りB5サイズ。お試しとはいえ大判サイズでは使い辛いし、少量で販売していなかったのだろう。まったく霊力が注げないということはないだろうから、残りは霊符や練習に使えるため無駄にはならない。
 香苗は、持ってきた赤い和紙の箱から、型紙となる厚紙でできた式神を取り出した。白紙の状態では難しいので、型紙を使い、形を縁取ってから切る。これなら形を揃えられるし、藍と蓮にも簡単だ。
 型紙は三枚。春平と夏也と藍、昴と香苗と蓮に分かれてまずは二社分から。
 子供用のハサミはリビングにあるため、藍と蓮は下書き担当だ。鉛筆を握り、今か今かといった顔で待ち侘びる二人に和紙を渡してやると、意気揚々と和紙に型紙を当て、手慣れた様子で縁取っていく。いつも香苗の手伝いをしているので要領がいい。和紙の端っこから、できるだけ無駄がないように下書きで埋めていく。もう一枚は昴が使っている。
 下書きができるまで、春平たちは手持ち無沙汰だ。何となく話を切り出し辛い。聞いてもいいかな、と思いながら藍の手元を眺めていると、夏也が真っ直ぐに香苗を見つめて口火を切った。
「香苗ちゃん、先程のお話ですが」
 香苗は涙の痕が残る顔を上げ、恥ずかしそうにまたすぐ俯いた。
「柴と紫苑に対しての、申し訳なさでしょうか」
 香苗は一呼吸間を開けて小さく頷き、静かに深呼吸をした。
「それも、あります。……あたし、二人が寮に来た時、怖かったんです。宗史さんたちの判断が間違ってるとは思ってないですし、しげさんの意見も正しいと思いました。お礼を言いたいと思ったのも嘘じゃありません。でも、やっぱり……」
 誰の判断だからとか状況がどうとか、理屈ではないのだ。春平たちが公園に到着するまで、昴と香苗は双子を守りながら隗から逃げ続けていた。いつ襲われるかと恐怖と闘いながら。例えるなら、子供の頃に犬に噛まれたから恐いのと同じことだ。どれだけ信用に足る人から「うちの犬は噛まないよ」と言われても、犬という生き物そのものが怖いのだ。
「どうしても公園の……隗のイメージしかなくて。でも、よろしく頼むって言った二人を見てびっくりして、隗とは違うんだって思いました。鬼だってことは同じだけど、やっぱり同じに考えちゃ駄目なんだって。ちゃんと二人を見なくちゃいけないって。華さんや皆と普通に話したり、一緒のご飯食べたり、今朝だって、藍ちゃんと蓮くんのこと心配してくれて……あたしのことも。すごく、優しいんだと思いました。それなのに……」
 香苗は膝の上の拳をきつく握り締め、肩を竦めた。
「頭では分かってるのに、あの話を聞いたら怖いと思ってしまうかもしれない。そんな自分が、情けなくて……とても申し訳なくて……」
 俯いて唇を噛んだ香苗から、春平は視線を逸らした。
 香苗は、自分で答えに辿り着いたのだ。あの二人は隗とは違う、個々として見なければいけないと。それなのに自分は、昴に言われて気が付いた。
 情けない。
「あたしは……」
 香苗は、喉の奥から声を絞り出した。
「憶病で、弱いから……」
 小さく震えていたその声は、しかしはっきりと春平の耳に届いた。聞きたくない言葉。認めたくない事実。今にも涙がこぼれそうで、春平はきつく唇を噛んだ。
 俯いた春平と香苗、手を止めた昴を見やり、夏也はああと腑に落ちた声を漏らした。
「すみません、勘違いをしていました」
 唐突な謝罪に、三人が同時に顔を上げた。
「夏也ね……夏也さん、それ、どういう……」
 いつも通りの無表情な夏也に首を傾げると、首を傾げ返された。
「皆さんが怖かったのは、自分の弱さだったんですね?」
 率直な指摘に、はいともうんとも言えない、曖昧な声が三人から漏れる。
「私は、皆さんが憶病だとも、弱いとも思ったことがありませんから、思い至りませんでした」
 春平たちは目を瞠った。意味が分からない。自分が憶病で弱いのは、一緒に施設で育ったのだからよく分かっているはずなのに。
 夏也は静かな目で三人を順に見渡し、春平で止めた。
「春くんは、公園で香苗ちゃんたちを先に逃がそうとしましたね」
「え、あ、はい。それはだって……」
 あの時、大河は術を使えなかった。彼だけでは双子を連れて逃げられない。だから香苗も一緒に行かせた。合理的な判断をしたまでだ。
「冷静にあんな判断ができるのは、すごいことです。身を呈して、香苗ちゃんたちを守ろうとしたんですから」
 夏也は、次に昴を見やった。
「昴くんは、香苗ちゃんたちを守りながら逃げて、守り切りました」
 昴は悲しげに顔を歪ませた。
「でも、結局は……」
「いいえ。香苗ちゃんたちが無事だったのは、昴くんのおかげです」
 華から連絡をもらい現場に行くまでの時間、昴はずっと香苗と双子を守っていた。だからこそ、今三人は生きている。影正の犠牲はあったものの、それは事実だ。
 夏也は、納得し切れていない様子で手元に目を落とした昴から、今度は香苗へ視線を移す。
「香苗ちゃんは、藍ちゃんと蓮くんを守っていましたね」
「で、でもそれは、昴さんがいたからで……」
「あの状況で自分だけ逃げずに仲間を守ろうとしたことが、強い証拠なんです。それは、昴くんにも言えることですよ。さらに言うなら、香苗ちゃん」
「は、はいっ」
 香苗は背筋を伸ばした。
「香苗ちゃんは、ここに来たばかりの頃、体術訓練を拒みましたね。人を傷付けるようなことを会得したくないと言って」
「……はい」
「でも今は、会得する意味や理由を理解し、毎日頑張っています。嫌だと思うことに正面から向き合えるのは、強いからです。皆さんのように、自分の弱さを認められるのも、また強さです。私は、そう思います」
 春平は膝の上にある自分の手の平に目を落とした。
 本当に、そうだろうか。夏也が言うように、自分は本当に弱くないのだろうか。彼らの手助けができるようにはならないと。以前はそう思ったけれど、まだ自分の弱さに打ちのめされるし卑屈にもなる。信じられない速度で成長する大河の資質に嫉妬心を覚える。樹から指摘された覚悟もできない。こんな自分が、強いわけない。
 何があっても信じられる時なんて、本当に来るだろうか。
 下書きを書き終えた藍と蓮の頭を撫でる夏也を見つめ、春平は拳を握り締めた。

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