第1話

文字数 2,993文字

 冬馬(とうま)を何故ここまで意識するのか、ずっと分からなかった。
 どれだけ追いかけても、目一杯手を伸ばしても決して届かず、振り向いてもくれない。それはまるで、燦々と輝く太陽に恋焦がれる向日葵のように虚しく、見苦しかった。
 やっと理由が分かった頃にはもう遅かった。
 冬馬を通して見ていたものが何なのか理解した瞬間、晴れ渡った夏空のように清々しかったけれど、同時に笑えるほど憎かった。
 お前がいなければ、こんな自分を知らずにすんだのに――。

                 *・・・*・・・*

 良親(よしちか)にとって、ホストクラブを選んだのはごく自然な選択だった。
 幸い見た目も悪くない、酒も強く女も好きだ。実績を上げればそれだけ収入も増え、評価される。起業するほどの金も頭もないけれど、人の上に立てば命令されることもない。せめて店長、あるいは金が溜まったら独立すればいい。
 アヴァロンに入ったのは、その頃ミュゲで募集がなかったからだ。
 ミュゲを選んだのは、バイトの面接が惨敗続きで腐っていた頃に偶然見たホームページがきっかけだった。ちょうど店長が交替した時で、新店長の挨拶文がトップページに掲載されていた。その店長は、入店時は水商売の経験はおろか、接客経験すらなかったそうだ。
『心が折れそうな時もありましたが、先輩やお客様からの励ましでここまで来れました。これからもスタッフ一丸となって店を盛り上げていこうと思いますので、よろしくお願いします』
 ごくごく平凡な文面だった。けれど、実力次第で店長になれる、そう言われたような気がした。
 門前払い覚悟で履歴書を持って飛び込むかと思いつつ眺めていると、下部にある系列店のリンクに目が止まった。さらに下には、小さな文字で「株式会社 Q.R.S」と書かれていた。どうやら本社が別にあるらしい。何の気なしに本社のホームページに飛んだ。
 ミュゲは京都市内に本社を置く「株式会社 Q.R.S」が運営する店の一つで、他にも関西圏内にクラブやバー、高級クラブ、ラウンジ、カフェなどの系列店がある。社長挨拶のページを見ると、こう書かれてあった。
『誰しも何かの才能に恵まれている。年齢や経歴、国籍に囚われず、実力で上を目指せる会社でありたい』
 と。その言葉通り、昼営業のカフェでは若いイギリス人女性が、バーではイタリア人男性が店長を務めていた。
 興奮した。何にも囚われず、実力だけで判断してくれる人がトップにいる。
 ミュゲで求人はしていなかったが、アヴァロンというクラブからバイトの募集が出ていた。系列店にいればミュゲの情報も早く入るかもしれない。迷うことなく飛び付いた。
 そこで、冬馬と出会った。
 ほぼ同じ時期に入った冬馬は、当時大学に通っていた。同じ年だとは思えないほど大人びており、誰から見ても優秀で真面目。笑顔を絶やさず丁寧でそつのない接客、豊富な知識と話題、機転も利き、目配りや気配りも申し分ない。面倒な客にも臆することなく対処する。さらにその端正な容姿。接客をするために生まれてきたような男だと思ったが、同時に誰にでも公平な態度に違和感を覚えた。
 一方良親は、仕事の覚えも早く要領も悪くない。ノリも良く客からも人気があった。ただ、大雑把で短気、喧嘩早い性格が仕事に支障をきたしていた。備品や在庫チェック、店内清掃などの細かい作業に向いておらず、その日の気分次第で接客態度が変わり、客と揉めることも多かった。幸い警察沙汰にまではならなかったが、それは妥協主義の店長と仲裁に入った冬馬が相手を宥め賺していたからだ。
 店長には小言を言われたが、冬馬は一言も何も言わなかった。それが格下に見られているようで癪に障った。
 けれどここでクビになっては元も子もない。ミュゲに空きが出るまでの辛抱だ、自分にそう言い聞かせた。だが、入店の時期にあまり差がないせいか、何かに付けて冬馬と比べられることが多く、日に日に疎ましさを覚えていた。
 そんな良親の感情を察していたのか、あるいは冬馬も反りが合わないと感じていたのか。軽口を叩くことも、余計なことも言ってこない。それゆえ表立っていがみ合うことはなかったが、当然慣れ合いもない。気の合わない同僚との適度な距離。そんな関係だった。

                 *・・・*・・・*

 クラブには「ゲスト」と呼ばれるシステムがある。店のスタッフやDJ、関係者の客として来店するシステムだ。例えば、スタッフと仲良くなって連絡先を交換し、「○日に×人で行くのでゲストをお願いします」と頼めば、店によって特典は様々だが、入場料の割引や優先入場、中には入場料を免除しているところもある。平たく言うと、お得に入店できる予約券のようなものだ。
 ゲストの件数は、スタッフにノルマが課せられているクラブもあるが、アヴァロンにはない。ゆえに多少の賞与が出るくらいだ。
 ノリの良い良親は一気にその数を増やしたが、冬馬はそれほどではなかった。整い過ぎた容姿が逆に近寄りがたく思われるのか、それとも冬馬の方が慎重に客を選んでいるのか。理由は何であれ、確かな優越感はあった。だが、中にはそれ以上の関係を望む女もいた。誘われれば応じるけれど、食事やホテル代の出費を考えると賞与とのわりが合わない。やる気は次第にしぼんでいった。
 半年後、ミュゲから求人が出ると情報が入った。月に一度、本社で行われる店長会議での情報だから間違いない。すぐ店長に、ミュゲに移りたいと申し出た。元々そのつもりだったと。ゲストの数は多いものの、何度も揉め事を起こす良親を持て余していたのだろう、すんなりと許可が下りた。
 系列店で働いていたことに加え、新店長の挨拶文を見たと言ったことも功を奏したのか、面接の翌日には合格の連絡が来た。
 やっと、謂れのない比較から解放される。
 初めはバイトから始め、成績と適正を見て正社員登用という条件が付けられた。
 新人は当然雑用からだ。しかしアヴァロンで散々やらされた経験が役に立ち、店内清掃や備品チェックは手慣れていた。酒を作る順や出し方、灰皿の替え方やタイミング、ライターサービスから始まり、会話のタブーや乾杯時のグラスを合わせる位置、その他諸々の細かいマナーや作法は、先輩たちから叩き込まれた。本来細かいことを面倒に思う質だが、自らこんなに真剣に何かに取り組んだのは初めてではないかと思うほど、夢中になった。
 それもこれも、実力主義のホストクラブだからだ。
 仕事に慣れ、新規の客を取り合って先輩や同期たちと揉めるのはしょっちゅうだったが、しかし最後は客が決めることだ。自分をより良い気分にさせてくれるホストに客は金を落とす。だから営業や同伴、アフターには一切手を抜かなかった。むしろ面倒だと思う奴の気が知れない。同伴やアフター代はホスト持ちだが、それ以上の金を店で使ってくれる。当初は出費が痛かったけれど、しっかり相手をして指名を増やせばその分自分の給料になって返ってくる。もちろん好みの女ばかりというわけにはいかないが、女好きを自負する良親にとっては天職だった。
 目に見える結果に金と女、これに店長という役職が付けば完璧。まさに趣味と実益を兼ねていた。
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