第27話

文字数 2,209文字

 参道で悪鬼を調伏して神橋を渡る直前、本殿を覆った結界の上から分裂した大量の悪鬼が襲いかかってきた。右近が気付いたのか、しんがりの悪鬼を水塊が捉え衝撃音を響かせる。美琴は足を止め、霊符を構えた。
「ノウマク・サマンダ・バダナン・バロダヤ・ソワカ。帰命(きみょう)(たてまつ)る。鋼剛凝塊(こうごうぎょうかい)渾天雨飛(こんてんうひ)斥濁砕破(せきだくさいは)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 目の前に大量の水塊が顕現し、悪鬼に向かって一斉に空を切った。確認している暇はない。
「あっちから回り込むわよ」
「はいっ」
 盛大に響く激突音を背中で聞きながら、美琴と香苗と水龍は踵を返し、左の道へと駆けた。セキレイの里と呼ばれる土産屋がある方だ。神池をぐるりと回り込むともう一本朱色の神橋があり、そこを渡れば馬場に出られる。
 正直、わざわざ馬場に戻らなくても悪鬼は勝手に襲ってくる。だが、さっきは何とか調伏できたが、次も同じ手に引っ掛かってくれるとは限らない。水龍がいるとはいえひと回り小さくなっているし、広い場所で四方八方から襲われると対処できない。結界内に閉じこもるという手もあるが、破られると逃げ場がなく、間違いなく全身串刺しにされる。ならば、右近の結界を利用し、せめて背後だけでも守ればまだまともに戦えるかもしれない。結界に激突してくれれば自滅するし、中には警戒して近寄ってこない悪鬼もいるかもしれない。それと鎮守の森だ。木々が障害となって、多少なりとも動きが読みやすくなるかもしれない。だが、問題は足元と頭上だ。これだけの邪気の中、影に紛れられると感じ取りづらい。何か方法を考えなければ。
 馬場には、先程香苗が行使した尖鋭の術の土の針がそびえ立ち、瓦解した針の残骸が複数残っている。とはいえ、飛べる悪鬼には障害にもならない。
 左側。神池の周りを囲むように植わった木々の隙間から見えるのは、こちらと並走するように水面の上を飛ぶ、捉え損ねた悪鬼の集団。だが、塊の時より遅い気がする。
 ものの数秒で木々が途切れ、ぽっかり口を開けた。神橋への入り口だ。
 だが、木のトンネルに足を踏み入れたところで大量の悪鬼が目の前に滑り込んできた。地面を滑って足を止める。樹がいればのんきに「自殺行為だねぇ」とか言うだろうが、生憎そんな余裕はない。美琴が迷うことなく霊符を取り出し、水龍が水塊を顕現した。と、突如、池の水が飛び跳ねるように一斉に浮き、下から悪鬼を一匹残らず飲み込んだ。池の中では、住処にしている鯉がぴちぴちと跳ね、亀が首と足を引っ込めて閉じこもった。
 右近だ。とっさにそう判断し、調伏の霊符に持ち替えて真言を唱える。
「オン・シュチリ・キャラ・ロハ・ウン・ケン・ソワカ。帰命(きみょう)(たてまつ)る。邪気剿滅(じゃきそうめつ)碍気鏖殺(がいきおうさつ)久遠覆滅(くおんふくめつ)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 たぷたぷと揺れる水の中で大暴れする悪鬼は、狭い水槽にびっしり詰まったオタマジャクシのようでちょっと気持ち悪い。早く消えてくれと言わんばかりに早口で唱えた真言に答えるように空を切った霊符は、揺れる水に張り付いてまばゆい光を放った。閉じ込めた上での調伏だ。仕留め損ねるなんてことはあるまいが、念のために水龍には水塊を顕現させたままで、しばし様子を見る。
 ほんの数秒後、光が引いてゆき、浮いていた水が大量の飛沫を上げて一気に池に落下した。祠は結界を張っているのでいいとして、鯉や亀は大丈夫だろうか。あとで見に来ようと頭の隅でこっそり考えながら悪鬼の攻撃がないことを確認し、橋へと駆け出す。
 不意に、先行する水龍を見て気付いた。ひと回り小さくなっていて、威力も落ちている。使いとして宿る精霊は、多くても三体。香苗の護衛なのに右近が一体や二体で済ませるはずがないし、初めの威力を考えると三体宿っていたはずだ。ということは、少なくとも一体は間違いなく消されている。ならば。
 美琴は神橋を渡り切ったところで足を止め、思い切り息を吸い込んだ。
「右近!!」
 結界の上へ向かって腹の底から叫ぶと、タイミング良く空中に右近が姿を現した。水を纏った刀を一閃し、こちらをちらりと見やる。さすが式神、聞こえているらしい。水塊が分裂した悪鬼を見事に捕らえ、破裂音が響く。
「使いの威力が落ちてる!!」
 右近なら分かるだろう。できるだけ簡潔に状況を伝え、即座に駆け出す。目指すはすぐ目の前、結界が途切れている場所だ。本殿の敷地の右側に当たるその場所は、もともと淡路祖霊社と記念館が左右に並んで建立されていたが、現在は、記念館はそのままに、淡路祖霊社だけが反対側に移設されている。そしてその裏側に、鎮守の森が広がる。つまり、淡路祖霊社が建立されていた場所は空き地になっているのだ。
 二人と一体が馬場を横切り終わる直前、さすがに放っておいてくれないようだ。悪鬼が正門の辺りから追いかけて来た。どこからでも飛んで来られるのに、あんな後ろから。鎮守の森を狙っていると察して、右近が誘導しているのだろうか。
「……誘導」
 先程のように、一カ所に閉じ込めてまとめて調伏するのが最善で手間がないのだが、悪鬼の数も多いし、展望台で茂が使った籠檻(ろうかん)の術でも全部は捕えられない。でも、誘導することはできる。
「香苗、水龍――」
 理屈を説明している暇はない。結界に沿って淡路祖霊社跡を目指しながら、美琴は簡単な指示だけを出した。
「了解です。オン・ビリチエイ・ソワカ。帰命(きみょう)(たてまつ)る――」
 水龍が尻尾を振り、香苗は頷くや否や、真言を唱えながら霊符を取り出した。
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