第13話

文字数 3,912文字

「では次、っと、その前に。保護した女性二人については」
 下平の話しでは、勇敢にも尊を助けようとしたらしいが、あんなわけの分からない現場に遭遇したのだ。ある種、珍しい体験とも言える。他人に話しても信じてもらえないだろうけれど、口止めするに越したことはない。
 宗一郎が下平に視線を投げると、紺野や佐々木、茂と華も一緒になって視線を逸らし、口ごもった。一様に小首を傾げる。
「あの……」
 おもむろに、決まりの悪そうな顔をした熊田が小さく手を上げた。
「すみません。その二人は……娘と、娘の友人です……」
「――は?」
 尻すぼみの答えに問い返したのは、展望台にいなかった者全員だ。熊田は肩身を狭くした。
「大変お恥ずかしい話ですが、中学時代の先輩に紹介された男二人と一緒だったらしく。悪鬼に驚いて、置き去りに……」
「置き去り!?」
「最低だな」
「最低ですね」
 噛み付くように声を荒げたのは、晴、樹、大河、弘貴、そして志季の五人。冷ややかに言い捨てたのは、宗史、怜司、陽、夏也、美琴の五人だ。春平と香苗は唖然とした顔をし、柴は不憫そうな目をし、宗一郎と明、右近、左近、紫苑は呆れ顔だ。
 一瞬冬馬たちのことが脳裏をよぎったが、樹が不快そうに「最低だね」とぼやいているので横に置いておく。
「てことは、榎本って刑事がぶつかりそうになった車は、そいつらのか。男の風上にも置けねぇな」
 むっと不快感をあらわにし、志季が腕を組んで悪態をついた。大河たちがうんうんと頷く。怖いのは分かるけれど、女性を置き去りにするなんて。
「本当にバカな娘がご迷惑をおかけして……」
 今にも体が縮んでいきそうなほど恐縮する熊田に、大河は同情と共感を覚えた。
 先輩からの紹介とはいえ、男二人と人気のない場所で密室なんて、警戒してしかるべき状況だ。これが恋人ならともかく、熊田の言い回しからするとそうではないようだ。しかも、その軽率な行動のせいで悪鬼に襲われたとなればなおさら。父親ならば怒って当然だし、人には話しづらいだろう。心配はもちろんだが、よく知らない男に簡単について行くような娘、と捉えられかねない。
 もし風子とヒナキが同じことをしたら、二人の両親は平手の一つや二つは飛ばす。また大河と省吾も説教だけではすませない。当然、置き去りにした奴らは半殺しだ。熊田も帰り道で怒涛の説教をしたに違いない。
 ほんとすみません、と謝る熊田を見かねたのか、明が言った。
「確かに、巻き込まれないに越したことはありませんが、熊田さんの娘さんだからこそ、口止めできたのでは?」
「あ、はい。それはもちろん。口外するな、SNSにも投稿するなと、帰りにきつく言い聞かせましたので」
「では、心配いらないでしょう。何より、ご無事で良かったです」
「そう言っていただけると……、ありがとうございます」
 熊田は心の底から申し訳なさそうに頭を掻いた。
「松井桃子さんの様子はいかがでしたか」
 明が話しを逸らし、熊田がほっと胸を撫で下ろした。答えたのは佐々木だ。
「詳しいことは話せないと、理解してくれました。少し落ち込んでいましたが、熊さんの娘さんや友達に励まされて、自宅に着く頃には笑えるようになっていたので、大丈夫だと思います」
 へぇ、と大河は口の中で呟いた。勇敢だったとはいっても、酷く不安で怖かっただろうに。それでも桃子を励ますなんて、軽率な行動はあったものの、尊を助けようとしたことといい、きっといい人なのだろう。また桃子の方も、熊田たちから危険かもしれないと説明されていたはずだ。それなのに雅臣を連れ戻そうとした。三人とも、強くて、優しい人だ。
「そうですか、安心しました。熊田さん、佐々木さん、フォローしていただいてありがとうございます」
 いえ、と二人は笑って、首を小さく横に振った。
「では、続きを」
 明が促すと、宗一郎が引き継いだ。明がビデオ通話だからだろう、いつもと立場が逆だ。
「昨日判明した、玖賀真緒についてだが――」
 賀茂家を襲撃し、犬神の術者だと思われる少女だ。宗一郎は一旦言葉を切り、ついと視線を投げた。
「華」
 意外な人物の名が呼ばれ、視線が集中する。華もまさか呼ばれるとは思わなかったのだろう、目をぱちくりさせた。
「玖賀という名に、聞き覚えは?」
「え?」
 ますます目を丸くしたあと、華は唇に指を添えて考え込んだ。身近にいた人だろうか。やがて華が、もしかしてと視線を上げた。
「お山の玖賀さんのことですか?」
「お山?」
 宗一郎と明以外の陰陽師組が、素っ頓狂な声で聞き返した。
「西舞鶴に真倉って場所があるんだけど、その山の中のお屋敷だから、お山の玖賀さん。あたしは東舞鶴出身だから詳しいことは知らないんだけど、明治時代から続く旧家で、元々は一帯の地主だったって、聞いたことが……」
 舞鶴出身なのか、と大河が覚えたての京都府の地図を思い出しながら聞いていると、何か思い出したらしい。華は言葉尻を小さくし、弾かれたように視線を宗一郎へ投げた。
「まさか、あの噂……」
「知っていたか。真実だ」
 ほんとに? と華は目を丸くして呟いた。
「熊田さんたちは、家紋のこともご存知ですね?」
 はい、と下平、熊田、佐々木が頷いた。宗一郎が改めて口を開く。
「犬神事件において、公園の防犯カメラに橘詠美の母親が陰陽師と接触している姿が映っていた。人相は分からなかったが、女性であること、それと」
 宗一郎は右腕を上げ、手の甲を指差した。
「ここに、玖賀家の家紋が焼き付けられていると、報告を受けていた」
 ざわっと大河たち陰陽師組と志季がざわめき、柴と紫苑が眉根を寄せた。
「焼き付けられてって、それ……」
「ああ、焼印だな」
 唖然とした大河の呟きに、宗史が不快そうに眉を寄せた。大河は自分の手に目を落とした。つまり、跡が残るほど熱した鉄を押し付けられたということだ。一体何の目的でそんなことを。
 大河がぞくりと背筋を凍らせていると、志季が言った。
「てことは、やっぱりあいつが玖賀真緒か」
「何か確信があるのか」
 晴の問いに、ああと頷く。
「あいつ、このクソ暑いのに長袖着てたんだよ。袖のところに親指通すやつ。あれ手の甲も隠れるだろ。日焼け対策かと思ってたんだけど、家紋を隠すためだったのか」
 日焼け対策だと思うあたり、現代陰陽師の式神だ。などと感心している場合ではない。志季の言うことは分かるけれど。
 大河は難しい顔で宗史を見やった。
「でも、矛盾しない? 防犯カメラには映ってたんだよね」
「いや、身元を隠すつもりがないのならおかしなことじゃない。こちらに情報を与えるために、わざと晒したとも考えられる」
「あ、なるほど。え、でも……」
 じゃあなんで昨日は、という疑問を飲み込んだ。女の子が手の甲に火傷の跡。しかも、事故などではなく意図的に焼き付けられた家紋なんて、見たくもないだろう。人目に触れないように、自分の目に触れないように、夏真っ盛りのこの時期でも長袖を着ているのか。
 玖賀家は、一体どんな家なのだ。
 少々重い空気が漂いはじめる中、宗一郎が話しを戻した。
「紺野さんから報告を受けて、玖賀家を調査した。今、華が言ったように、玖賀家は西舞鶴の真倉にある旧家だ。現在は、投資や借地、貸店舗、マンション経営で生計を立てているらしい。これと言って悪い噂はないが、少なくとも昭和初期からある噂が流れている」
 宗一郎は一拍置いて続けた。
「夜な夜な真っ黒な犬の幽霊が現れる。どこからともなく子供の声が聞こえる、と」
 うーん、と誰もが思案顔で低く唸った。黒い犬は犬神に間違いないし、子供の声は怪談話ではよくある。しかし、真緒が事件に関わることになった理由と結びつかない。
 昭和初期から噂があったのなら、真緒が生まれる以前から玖賀家は犬神を使役していたことになる。霊的な現象を目にしていたのなら、霊力のせいで冷遇されていたとは考えにくい。ましてや焼印を押される理由なんて、どこにあるのだろう。
 以前明が、犬神は術者や家に取り憑いて子々孫々仕えると言っていた。そもそも、玖賀家はどうして禁忌とされている術を行ったのか。まさか、少女誘拐殺人事件の犯人のように、誰かを殺させてきたのだろうか。
「ちょっと待て」
 突如、晴が口を挟んだ。大河が目をやると、晴だけではなく宗史までも訝しげな目をして宗一郎を見据えていた。
「それ、誰が調べた」
「なんだ、お前たちが調べたんじゃねぇのか?」
 紺野が口を挟み、宗史が答えた。
「いいえ、俺たちではありません」
 きっぱりと否定され、紺野は何故か呆れた顔になった。
「望月さんに頼んだんだよ」
 答えたのは明の声で、続いたのは樹だ。
「望月って、望月探偵事務所の? 栄明さんの友達がやってる?」
「そうだ。秘密裏に探るのなら、プロである望月さんたちは適任だ。彼らも心得ている」
 なるほどと納得した声と、へぇ、と感心した声が上がるが、宗史と晴だけは納得いかない顔をしている。何をそんなに疑っているのだろう。
「たんていじむしょ、とは、何だ?」
 不意に柴が小首を傾げた。明が答える。
「人から依頼を受けて、色々な調査をする場所のことだ。特定の誰かの素行や居場所から、浮気調査まで。その仕事を請け負う人たちを、今は探偵と呼ぶ」
「密偵のようなものか」
「ああ」
 そこで会話が途切れ、何となく宗史と晴、宗一郎の間を皆の視線が行き来する。
 宗一郎は笑顔を崩すことなく二人を見つめ、やがて宗史が折れた。
「分かりました」
 納得の言葉とは裏腹に、表情は納得していませんと言っている。晴もどことなく嫌そうな顔だ。ますます何が何だか分からず、一同小首を傾げる。
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