第7話

文字数 3,292文字

        *・・・*・・・*

 体力の限界や島民らへの影響を考えると、時間をかけるわけにはいかない。それに巨大結界。メリットもあるがデメリットもある。五芒星の各頂点を支えている霊符を破られれば、結界は解ける。もし敵側に待機している者がいれば、外側から解かれる可能性が大きい。さらにもう一つ。
 宗史は、忌々しい処分内容と宗一郎のしたり顔を思い出して渋面を浮かべた。
「ノウマク・サマンダ・ボダナン・アハンハタエイ・ソワカ!」
 社の左側、悪鬼の気配がする方へ移動して構えた霊刀に、大量の水が渦を巻いて顕現した。晴の真言を唱える声が響く。
 頭上から迫る悪鬼は八つ当たりにうってつけ。ではなく、これほどの濃い邪気と数は上級でないと一掃できない。それに間違いなく、この悪鬼は捨て駒だ。背後に誰かいる。
 社を丸ごと結界が覆い、息つく暇もなく晴が霊刀を具現化した。
 地の底から這い出るような低い唸り声が近付いてくる。茂った枝葉が邪魔で、悪鬼を視認してからでは間に合わない。だが気配は一方向から。ならば。
 ザンッ! と豪快に葉を散らせながら悪鬼の集団が姿を見せたとたん、宗史は思い切り霊刀を横殴りに振り抜いた。渦を巻いていた水が、ものすごい勢いで無数の塊となり広範囲に飛び散る。水塊が悪鬼を捉えて弾け、目の前を水煙が覆った。捉え損ねた悪鬼が数体襲いかかる。
 二人揃って小さく舌打ちをかまし、叩き切る。直後、水煙を飛散させて、向こう側から霊刀を掲げた人間がそれぞれの元へ飛び出してきた。咄嗟に霊刀を横に倒して受け止めたと同時に、頭上を悪鬼にぶら下がった男が一人通り過ぎた。ぞくりと背中に悪寒が走る。
 悪鬼を取り憑かせた菊池雅臣か。すぐに結界を破ろうとする音が響いたが、そう簡単には無理だろう。多少の時間が稼げればいい。
 霊刀を振り払うと同時に相手が自ら引き、しかし着地した瞬間、間髪置かずに地面を蹴った。そう簡単に加勢には行かせてもらえないか。だがそれを言うなら、こちらも同じだ。
 真正面から突っ込んできたのは、知らない顔。おそらく楠井満流だ。鉄がぶつかり合う重厚な音が周囲に響く。
 視界の端に映るのは、晴と対峙する昴の姿。彼の本当の実力を測るいいチャンスだ。今のところ、晴の方が押しているように見えるが。
「あちらを気にするなんて、余裕ですねぇ。賀茂宗史さん」
 弾くように霊刀を交えながら、満流が言った。丸みを帯びた目は愛嬌があるけれど、口元にうっすらと浮かんだ笑みが癪に障る。それに、この単調な動きと、霊刀。
「それはお前の方だろう。楠井満流」
 指摘すると、満流は答えずに口角を持ち上げた。
 蘆屋道満の子孫ならば、それなりの実力があってもおかしくない。それに式神。主が満流ならば、間違いなく実力は自分より上だ。それなのにこの動きは、手を抜いているとしか思えない。さらに襲いかかる霊刀は、大河と同じ童子切安綱。偶然か、それとも故意か。
 同じ刀を具現化してはいけないという決まりなどないが、正直、いい気分ではない。振り下ろされた霊刀を勢いよく弾き返して、不快気に眉をひそめる。
 そんな宗史を見て、満流がああと察したように目をしばたいた。
「勘違いしないでくださいね。順番的には、僕の方が先なんですから。でも、昴くんから聞いて驚きました。まさか彼もこれを選ぶなんて。趣味が似ているんですかねぇ」
「残念だな。あいつはそれしか選択肢がなかっただけだ」
「何だ、そうなんですか?」
 確かに残念、と言って笑う満流は、本気で楽しんでいるように見える。そうか。やけに癪に障ると思ったら、似ているのだ。宗一郎に。
 なるほど。宗史は一人納得して、横から振り抜かれた霊刀を後ろへ跳ねて避けた。視界の端で、雅臣の体から悪鬼が邪気のように立ち上る様子が見えた。悪鬼で結界を破るつもりだ。
 宗史は腰を落として半身に構え、力強く地面を蹴った。姿勢を低く保ったまま、左から右へ一閃。大きく後ろへ跳ねて避けた満流の、脇腹あたりのパーカーが一文字に裂けた。
「体調が万全ではないだろうと聞いていたんですが、さすが、賀茂家次期当主ですね」
 驚いた顔がわざとらしい。宗史が再度突っ込むと、満流も構える。
 大きく振りかぶり、上から下へめいっぱい振り抜く。目の覚めるような硬質な音を鳴らして防がれ、今度は下から振り上げる。横に倒された霊刀を弾き飛ばし、即座に腹を狙って蹴りを放つ。
「おっと」
 腰を後ろへ下げて、くの字の体勢で後方へ飛び退いた。反応が早い。満流は足踏みをするように何歩か後ろへ下がり、足を踏ん張って地面を蹴る。宗史が下から斜め上に振り上げると、満流は霊刀を縦にして防ぎ、弾き返した。そのまま振り上げて振り下ろされた霊刀を、今度は宗史が防いで弾き返す。
 と、社の結界が、ガラスが割れたような音を響かせて割れた。
「大河ッ!」
 神社の裏側近くで昴と対峙していた晴と怒声が被った。
 宗史は満流の霊刀を防ぎつつ、社の戸口の方へ下がる。回収できていれば、大河はリスクなしで霊刀が振るえる。できていなくても、おそらく雅臣は独鈷杵に触れられない。あれは、普通の独鈷杵ではないのだ。
「大河!」
 戸口の近くから、横目で中を覗いて声をかける。二人が睨み合い、大河の手には霊刀。だが、あれが影綱の独鈷杵かどうかまでは分からない。
 宗史は満流の霊刀を受け、口の中で真言を唱えた。即座に後ろへ飛び退きながらポケットに手を突っ込んだ満流へ、躊躇いなく水を纏った霊刀を振り抜く。空を切る水の帯を追うように駆け出した。
 水の帯が、壁にぶち当たったように同じ場所で飛散する。やはり、無真言結界。
 水煙を切り裂くように霊刀を振り下ろすと、バリッと派手に火花が散った。そのまま力任せに結界の表面に霊刀を滑らせて振り抜き、横から襲いかかった霊刀を素早く弾く。
 不意に大河の霊気が膨れ上がり、くそっと悪態をつきながら雅臣が社から飛び出してきた。
「おや、何をしたんでしょう」
 霊刀を合わせながら満流が宗史の背後へ視線を投げて、小首を傾げた。この余裕っぷりが癪に障るのだ。宗史は満流の首を狙って霊刀を薙いだ。即座にエビ反りになった満流の鼻先を霊刀が掠める。バック転の勢いを利用して振り上げられた片足が、今度は仰け反った宗史の目の前を素通りした。
「大河、上だ!」
 裏手から社の右側へ移動したらしい。晴の声が響き、すぐに結界が何かを弾いた音がした。結界――なるほど。社いっぱいに結界を張って追い出したようだ。
「悪鬼が離れてるぞ、気を付けろ!」
 再度響いた晴の怒声に、宗史は眉根を寄せた。悪鬼に直接狙わせる気か。それとも挟み打ち。どちらにせよ、大河の実力では対応しきれない。加勢に行かなければ。とは思うものの、満流は先程からだらだらと攻撃しつつも隙を見せない。安易に離れるわけにいかない上に、あまり派手に攻撃をすると集落の方へも影響が出る。この緩慢な攻撃は、それを分かった上でのことだ。
 敵側の狙いの一つを考えると、こちらの戦力を削るようなことはない。あくまでも独鈷杵の奪取――いや、もしかすると――。
「うわっ!」
 思考を遮るように届いた大河の驚いた声に、満流の方が先に動きを止めた。足を踏み込んだ格好で、社を見上げる。宗史もまた、満流を警戒しつつ視線を辿るように見上げた。大河が悪鬼に足を絡め取られて浮かんでいる。
「おやおや。大丈夫ですかねぇ、あれ」
「大河ッ!!」
 宗史と晴の怒声が、満流の他人事のような言葉を掻き消した。
 確定だ。満流たちの、ここでのもう一つの狙い。
 枝葉の中へ姿を消した大河から視線を満流に戻し、宗史は思い切り息を吸い込んだ。
「志季、柴、紫苑! 上だッ!!」
 腹の底から張り上げた声が、山中に響き渡る。式神と鬼なら確実に聞こえている。と、上空から真言を唱える大河の声が降ってきて、満流が怪訝そうに小首を傾げた。
 大河が何をするつもりか知らないが、志季たちに任せたのだからこちらはこちらでするべきことがある。
 宗史が静かに呼吸を整えて構えると、突如、周囲に結界が張られた。
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