第8話

文字数 2,942文字

「では」
 場を仕切り直そうと明が咳払いをした時、チャイムが鳴った。ちわー、と元気の良い呼び声が響く。先日も来た配送業者の声だ。
「あ、あたしが」
 香苗が腰を上げて席を外した。皆、手持ち無沙汰に麦茶に口を付けたり、平良と雅臣の写真を覗き込んだりして待つ。
 すぐに香苗が茶封筒を三つ抱えて戻ってきた。
「和紙が届きました」
 嬉しそうな顔で報告した香苗に、皆が「お」と待ち侘びた声を漏らした。最近は、従業員の人たちはちゃんと休んでいるのかと心配になるくらい早く荷物が届く。とはいえ、さすがに島からでは翌日というわけにはいかないようだ。
 柴のことも気になっていたから少し安心したような、先延ばしにするほど気まずくなるから残念なような、複雑な気分だ。
「ちょうどいい、終わった後で試してくれるか」
「あ、はい。分かりました」
 宗一郎の要求に、香苗は笑顔で頷きながら席に戻った。
「影綱の日記は明日かなぁ」
 残念そうにぼやいた樹を、大河がぎょっと目を剥いて振り向き、案の定、柴が反応した。
「影綱の日記?」
 何のことだと窺うような視線を向けられ、大河はバツが悪い顔で肩を竦める。
「大河、話してないのか?」
 宗史に問われ、小さく頷く。もう隠しても仕方がない。大河は俯いてぼそぼそと白状した。
「影綱が、日記を残してるんだ。二人のこととか、隗と皓のことも書いてある。影綱が使ってた独鈷杵がどこにあるか分からなくて、日記にヒント……手掛かりがないかと思って、父さんに頼んで送ってもらったんだ。二人にも話そうと思ったんだけど……その」
 大河は後ろめたい気持ちで柴を見やった。
「影綱、あの戦いの後に、命令違反の処罰で島に送り返されてて……。気にするかなと思って言えなかった……ごめんなさい」
 ああ、と皆が小さく納得の声を漏らした。自分のせいで処罰を受けたなどと聞けば、誰でも気に病む。それが親しかった友人であればなおさらだ。
 心配そうに、かつ申し訳なさそうに眉尻を下げる大河を見つめ、柴はそうかと小さく呟いた。
「しかし、その話ならば、紫苑から聞いているが」
「――え」
 思ってもみなかった内容に、大河は目をしばたいた。
「ああ、私が柴主にお伝えした。隗から、封印場所は影綱の故郷だと聞かされた時に理由を問うたのだ。状況をご説明した際にお尋ねになられたので、お答えした」
 何でもないことのように告げる紫苑を呆気に取られた顔で見つめ、大河はしばらくして長く息を吐いた。
「知ってたんだ……」
 脱力した声で呟いた大河に、柴はこくりと頷いた。まさかすでに知っているとは思わなかった。先日の華のピアノの件といい、やはりあれこれと考え過ぎなのだろうか。
「気を使わせてしまったようだ。すまない」
 柴の謝罪に我に返り、大河は首を振った。
「俺が勝手に気にしただけだから、柴が謝ることじゃないよ。ね、二人は字が読める?」
 ああ、と揃って頷く。
「父さんから送ってもらった日記、今の言葉に訳した物なんだ。日記そのものは島にあるんだけど、読むなら送ってもらうよ。どうする?」
 こんなことになるのなら、やっぱり一緒に送ってもらえばよかった。二度手間だごめん、と心の中で影唯に謝りつつ尋ねると、柴は逡巡した。
「では、頼めるか」
「うん、分かった。頼んどく」
 大河が笑顔で返すと、柴はこくりと頷いた。また一つ肩の荷が下りた気がする。大河はほっと胸を撫で下ろし、はたと気付いた。一度は断った日記を送れと言うからには、理由を説明しなければならない。あんなことがあったのだ、柴と紫苑が一緒にいると言ったら、心配するだろうか。いや、また考え過ぎだ。正直に話して、大丈夫だと伝えるべきだ。会合が終わってすぐに連絡すれば宗一郎たちも一緒だし、安心してくれるかもしれない。
「では、話を戻そうか」
 よしそうしよう、と一人会議を終わらせ、大河は明の声に思考を切り替えた。
「他に質問はあるか?」
 皆が思案の声を漏らす中、香苗が一瞬何か言いたげに顔を上げたが、結局俯いてしまった。
「柴、紫苑、君たちから何か言っておくことや、聞きたいことは?」
「一つ」
 紫苑が言った。
「あの日から、私たちは山々を巡り奴らの根城を探っていた」
 今朝話していたことだ。えっ、と皆から驚きの声が上がる。
「何か手掛かりは見つかったか?」
 紫苑は首を横に振った。
「隗と皓がいるのなら根城から近い場所に幽閉するとは思えぬが、ひとまずそちらの方角から探った。大枝(おおえ)愛宕(あたご)、もっと(とり)の方もだ。だが、何も見つからぬ。鞍馬、比叡辺りも探ってはみたが、手掛かりはおろか気配すら感じぬ」
 西だ、と隣から三度目の補足が入る。すみません、と小声で謝るとふっと息を噴くように笑われた。
「どこも有名な観光地になっているから、鬼を連れて潜伏するには向いていない気もするが……とはいっても、京都は山々に囲まれている。潜伏先が山の中だとすると、二人ではさすがに探し切れないだろうな」
「それ以前に、山の様子も変わり、ああも人が多くては迂闊に探ることもできぬ」
 そう言って紫苑は辟易した様子で嘆息した。平安時代と比べて人口も増え、地形も変わっているだろう。だからといって山奥になると不便だし、野生動物もいて危険だろう。隗たちがいるから大丈夫かもしれないが。彼らは今、どこでどんな生活をしているのだろう。
 いやそんなことより、と大河は飛び出した地名に遠い目をした。大枝は、童子切安綱に首を切り落とされたとされる酒吞童子の伝説が残る地であり、首が祀られている神社があったはず。ということくらいは分かるが、場所が分からない。鞍馬、比叡も聞いたことはあるが、やっぱり場所までは知らない。愛宕においては聞いたことすらない上に漢字変換もできない。
 あとで確認しよ、と情けない気持ちでいると、宗一郎が口を開いた。
「分かった。柴、紫苑、引き続き探ってくれ。場所は任せるが、報告だけ頼む」
「承知した」
 二人が頷くと、茂がふと思い立って口を挟んだ。
「それなら、地図があった方がいいですかね?」
「ああ、そうですね。後で二人に渡してください」
「はい」
 地図が分からないようで、柴と紫苑は首を傾げた。
「ちず?」
「国図のことだ」
 明の補足に、ああ、と柴と紫苑が納得した。
「地図って平安時代にもあったんだ。伊能忠敬が初めかと思ってた」
「あ、俺も。歴史で出てこねぇよな」
 追随した弘貴にうんと相槌を打つと、宗史が言った。
「平安時代初期の官符――公式文書に国図とあるらしいから、存在していたのは確かだそうだ。だが現存していないらしい」
 へぇ、と揃って感嘆の声を上げる。
「大河、いい機会だからお前も覚えろ。せめて区画と有名な神社や山くらいは知っておいた方がいい」
「うん、そのくらいならなんとか……」
「大河って、やること多いよなぁ。大丈夫なのか?」
 同情たっぷりで言った弘貴に皆からも確かにと声が上がり、大河は苦笑した。
「地図覚えるくらいなら大丈夫だよ。まったく聞いたことないわけじゃないし」
 全国ニュースなどで区の名前は耳にするし、有名な神社仏閣も歴史の授業で習う。あとは場所を覚えるだけだ。それに、舌を噛みそうな上に聞いたこともない言葉の羅列でできている真言より、よほど身近だ。
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