第3話

文字数 4,545文字

 このまま逃がせば必ず雲隠れする。冬馬は構えを解いて咄嗟に男たちのあとを追いかけた。
「冬馬止まれッ!」
 志季の声に、反射的に足を止める。踏ん張るようにして足を止めた数センチ先の地面に、突如として二つの卓球ボールほどの穴が開いた。無意識に息が詰まる。見えないということは、犬神に狙われたらしい。厄介な。
 冬馬は舌打ちをかまし、庭から消える男たちの背中を悔しげに見送った。
 どのみちもう警察が動いている。当てにしていた逃走資金はなく、防犯カメラに映り、野次馬に目撃されているのなら逃げられまい。
 冬馬は静かに息をついて志季と左近へ視線をやった。
 二人のあの動き。志季と左近ではなく、女と少女の方だ。かなり刀の扱いに慣れている。彼女たちは、一体何が目的であそこまでの技術を身につけたのだろう。
 女が撤退を宣言し、志季が引き止める声を聞きながら、冬馬はふと思い出した。さっき、男のポケットから何か飛び出したと思ったが。持っていたナイフを尻ポケットに突っ込みながら周囲を見渡す。すっかり気を失って地面に転がっている龍之介の側に細長い物を見付け、冬馬は一歩踏み出した。
 その時。
「冬馬動くなッ!!」
 志季の鋭い指示が飛んだ。驚いて振り向くと、すでに志季と左近の頭上に大量の巨大な赤い針のようなものが浮かんでいた。あれは、と認識するより早く、針が一斉に二人目がけて降り注いだ。
 針が空を切る音と感電したような音、そしてドンッ! と轟いた爆音。さらに微かな地面の揺れが、ほぼ同時に聴覚と足元を襲った。
 衝撃で上がった大量の砂煙が、波紋のように広がって周囲を飲み込んだ。庭木の枝をしならせ、茂った葉を攫い、池の水面を波立たせる。冬馬は反射的に目を硬くつぶって息を止め、腕を交差させて顔を逸らした。同じ光景を廃ホテルでも見た。陰陽術だ。彼女たちを逃がすために、仲間が志季と左近だけを狙ったのか。
 緩やかに風圧と砂煙が収まり、冬馬はゆっくりと顔を上げた。目を細めて煙の向こう側を窺う。衝撃は廃ホテルの時よりも弱かったように思えるが、それでも地面を揺らすほどの威力。
「志季、左近ッ!」
 手扇子で砂煙を仰ぎながら叫ぶ。軽く咳き込みながら一歩踏み出し、踏みとどまった。状況が分からないところに飛び込むのは危険だ。志季は動くなと言った。攻撃をした奴がいたら、邪魔にしかならない。でも。
 冬馬は歯痒く思いながら、砂煙の向こうを注視する。と、うっすらと見えた二つの人影が、天に掲げていた両腕を下ろした。結界を張って防いだらしい。他に人影がないところを見ると、仲間はいないようだ。
「ご近所迷惑だろうが……っ」
 げほげほと激しく咳き込みながらも軽口を叩く苦しげな声は、志季だ。左近は、と思った時、漂っていた砂煙がぶわっと扇がれ、冬馬はもう一度息を止めて顔を逸らした。突風が吹いたような勢いで一気に砂煙が霧散する。ざわざわと揺れる庭木の葉音を聞きながらうっすらと目を開いた時には、もう視界が開けていた。志季と左近をそれぞれ囲むように、地面に無数の穴が開いており、砂が波紋を描いている。
 志季は軽く咳をし、左近は右手を広げた恰好で遠くの方へ視線を投げている。もしや、腕をひと振りして砂煙を排したのか。すごいな、と感心して冬馬は無事な二人にほっと胸を撫で下ろし、左近の視線を辿った。
 ずっと遠く、しかもかなり上の方だ。屋敷の前には道路が走り、庭の広さもあって肉眼では見えない。だが、夜空で月光に照らされた不自然な動く物体があるのは分かる。その物体が、どこかに降下した。おそらく先程の女性たちだ。犬神が悪霊ならば飛べるのかもしれない。龍之介もそれで塀を越えたのだろう。
「つーか左近」
 遠くから視線を戻し、砂埃まみれになった着物をはたきながら、志季が苛立ちを殺した声で問うた。
「お前なんであいつら拘束しなかったんだよ」
 左近がついと視線を志季へ向ける。
「無駄だからだ」
「あ?」
 端的な答えに、志季が手を止めて怪訝な顔をした。
「奴らを捕らえ拷問したとしても、何も喋らん」
 物騒な言葉が飛び出した。
「……何か話したのか」
 志季の神妙な声色に、左近は眉一つ動かさずに答えた。
「問うたのだ。捕虜となる覚悟をした上での襲撃かと。すると奴らは断言した。殺されても何も話さない、と。あれは、強がりでも虚勢でもない。本心だ」
 その答えを聞いたとたん、志季が小さく舌打ちをかました。
大河(たいが)の推理が当たってたってことか」
「まだ言い切れんがな。それに、奴らの動きに気付いたであろう」
 左近は腕の砂埃を払い落とした。
「ああ。あいつら、ちゃんと仲間意識がある」
「明確な目的を持ち、死を覚悟し、なおかつ強い仲間意識がある者は口を割らん。捕らえるだけ無駄だ」
「でも戦力を削げる……」
 志季が何か思い当たったように言葉を切り、左近を胡乱な目付きで見据えた。
「……宗一郎は、何を考えてる」
 硬い声で問われた質問に、左近はしらっとした顔で、手を止めることなく砂埃を払い落とす。
「主とはいえ、全てを知っているわけではない」
「信憑性がねぇな。六年も黙っておいて」
 ぱん、と強く着物の裾をはたき、左近が姿勢を戻した。不快気に顔をしかめて志季を見据える。
「気遣いの結果だ。責められる筋合いはない」
 左近の強い口調に、む、と志季が口をつぐんだ。険呑とした空気が二人の間に流れ、やがて引いたのは志季の方だ。ふいと顔を逸らし、冬馬へと足を向ける。その背中を見つめる左近が、ふんと鼻を鳴らした。
「冬馬、怪我なかったか」
 ふてくされた顔で声をかけられ、冬馬はああと曖昧に返事をする。詳しく聞くつもりはないけれど、何やらずいぶんと複雑な事情を抱えているようだ。
「あーあー、お前また埃だらけだな」
 志季は、ははっ、と笑ってくしゃくしゃと髪を掻き回した。おそらく志季の方が年上だろうが、何だか少し複雑な気分だ。こちらももういい年なのだが。
「宗一郎も、右近(うこん)を残してくれりゃよかったんだけどなぁ」
 わざとらしい溜め息を吐いた志季を、遠くへ視線を投げていた左近が横目でじろりと睨んだ。
「その言葉、そっくりそのまま返してやる。椿ならば綺麗にしてやれたものを」
 くしゃくしゃになった髪を手櫛で梳きながら、冬馬は察した。椿は水の神だ。自由に水を操ることができるようだし、砂埃を洗い流すことなど容易いだろう。そして「右近」も水神らしい。ならば左近は何の神なのか。
「いや、別に……」
 あとで顔と手くらい洗わせてもらえれば、と言う前に、今度は志季が左近を睨んだ。
「俺は埃落とす手伝いしてますぅ、何もしないお前とは違いますぅ」
 志季は、冬馬の体中をぱたぱたと叩きながら嫌味ったらしく語尾を伸ばした。む、と左近が渋面を浮かべ、くるりとこちらへ体を向けて歩み寄る。この流れはまさか。
「ちょっと、ま……」
「その程度のことは私にもできる。毎年大掃除に駆り出されているのだ、掃除には慣れている」
「掃除と一緒にすんなっ」
 まったくだ。それにしても、この状況はどうするべきか。拒否したらあとでバチが当たったりするのだろうか。言葉を遮られた冬馬は、神二人に体中をはたかれながら沈黙した。
「おい、もっと優しくしてやれよ」
「きちんと落としてやらねば意味がなかろう。貴様こそもっと丁寧にしてやれぬのか。頭の中と同じで雑な奴だ」
「頭が雑ってなんだよ! お前こそ時代遅れの頭が固いジジイのくせして着物着崩してんじゃねぇよ。中途半端に粋がった反抗期の中学生か」
「誰がジジイだと、雑頭の若造が。私と右近の区別がつかぬ雑頭の貴様にも分かるようにしてやったのだ。敬って(へつら)え」
「雑雑言うな、さすがにもう付くわ! つーかお前に媚売るとか死んでもごめんだ!」
「では初めは分からなかったのだな。火神と水神の区別もできんとはつくづく残念な頭だ。崇め奉れ」
「瓜二つの上に名前が似てたら混乱するわ普通! てかさりげなく何要求してんだ、口の減らねぇジジイだな!」
 思うことは多々あるが、それどころではない。
「志季、左近」
 口争いしつつも砂埃を払ってくれる神二人に声をかけると、同時に手を止めた。
「もう大丈夫だから。二人ともありがとう」
 少々引き攣った笑顔で見上げると二人は顔を見合わせ、これまた同時にふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。式神も色々だなと冬馬は嘆息し、身を翻す。向かう先は龍之介の側に転がっている細長い物だ。
 龍之介の側でしゃがみ、何かを拾い上げる冬馬を、志季と左近は首を傾げて見守る。
「これ……」
「冬馬、どうした?」
 ぽつりと呟いた冬馬に、志季が尋ねた。踵を返し、二人の元へ戻って差し出す。
「ボイスレコーダー?」
「あいつらの一人が落とした」
 冬馬の答えに志季と左近が逡巡する。
「再生できるか」
 左近に言われ、冬馬は頷いて再生した。
 ごそごそと布擦れの音がしたあとに聞こえてきたのは、運転手をしていた男の声だ。
『で、どうするんだ?』
『あいつらに協力させる』
 答えたのは龍之介の声。
『あれか、陰陽師とかいう』
『なんだ、まだ疑ってんのか?』
『いいや。お前、変な宗教信じるタイプじゃねぇだろ』
『当然だろ。世の中、金と権力よ。陰陽師も式神も実際いるのは知ってるけど、俺自身はこれっぽっちも信仰心なんかねぇ。そんなもんで腹が膨れるかっつーの。あいつらはただの駒よ駒』
『神をも恐れぬ台詞だな。そんで、具体的には?』
『おう、よく聞けよ。あいつらの読みだと、式神が護衛につく。一応お前たちは邪気をごまかすために喧嘩しろ。で、お前は悪鬼を封印した箱を二つ渡すから、タイミングを見て封印を解け。一つは式神の足止め、一つは桐生冬馬たちを食わせるように命令するらしい。邪魔者がいなくなったところを余裕でお持ち帰りだ』
『悪鬼ってのは便利なもんだな。けどよぉ、もし失敗したらどうすんだよ。今までよりリスク多くねぇか? 二人はヘタレでも、桐生冬馬って強ぇんだろ。もうちょっと時間置けばボディガードやめるんじゃね?』
『失敗なんかしねぇって。それにもう我慢の限界なんだよ。いいからやれ、終わったら電話しろ。俺は桜ちゃんに会いに行くからさ。上手くいけば連れ出せる。ったく、毎回毎回邪魔しやがって、あのシスコン野郎!』
 運転手が溜め息をついた。
『分かった。その代わり、俺たちは念のために姿くらますから、約束は守れよ。どうしても防犯カメラには映っちまう』
『ああ。とりあえず一人百万、それでしばらくどっかに隠れてろ。もし警察が俺の方に来ても何とでもなるから、落ち着いたらまた呼び戻してやる』
『追加の資金もだ』
『分かってるって』
 くくっと龍之介が笑った。
『この俺をないがしろにしてタダで済むと思うなよ。思う存分可愛がってやる』
 ひひひひ、と気味の悪い笑い声を最後に、録音が切れた。とたん、揃って龍之介をじろりと睨む。
「誰が駒だ、ふざけんな! 燃やすぞクソがッ!」
「我ら神を駒扱いするとはいい度胸だ。身の程知らずが、何様のつもりだ」
「性根まで腐ってるな」
 志季は地団太を踏み、左近と冬馬はこれでもかと渋面を浮かべて悪態をついた。何をどうすればこんな人格に育つのか。奴は人として多くのものが欠如している。
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