第6話

文字数 4,766文字

 ひとまず様子を見て、逐一報告を入れるように。宗一郎と明からは、同じ指示が出た。午後から仕事が入っていると言っていたから、彼ら自身は動けないのだろう。
 宗史と晴が来るまでの間に慌ただしく昼食を摂ったけれど、いつも騒がしい時間は葬儀のような静けさで、皆、黙々と箸を動かした。香苗はご飯を食べただろうか、父親に何かされていないだろうかと心配ばかりが募り、味わう余裕などなかった。つい箸を止めた大河に「残さず食べろ」と小言を飛ばしたのは、紫苑だ。
「お前が言ったのだぞ。腹が減っては戦は出来ぬと」
 昨日、柴に自分が言ったことだ。戦えなかったら困るんじゃないのかと。
 そうだ、このまま香苗が帰ってくるのを待つ必要はないし、待たないだろう。何か手を打つはずだ。幸いにも、香苗の携帯は電源が入ったままで居場所は分かる。大河は大きく頷いて、箸を動かした。
 食事が終わり、食器を下げたりコーヒーの準備をしている間に宗史と晴が到着した。香苗の現在地を二人に教え、宗一郎と明へ報告された。
 宗一郎と明と陽が座るソファに、今は柴と紫苑がいる以外は皆会合の時の定位置だ。ローテーブルには、ノートと日記、風呂敷がまとめて置かれている。
 一呼吸置いて、茂が口火を切った。
「一昨日の哨戒中のことなんだけど、途中の休憩でコンビニに寄ったんだ」
 誘拐事件の日だ。
「僕がトイレに行って車に戻ると、香苗ちゃんが四人の男たちに囲まれててね、絡まれてるんだと思って声をかけたら、男たちはすぐに立ち去った。その中にさっきの、香苗ちゃんの父親がいたんだ。ひときわ大柄な体格だったから、さっき見てすぐに思い出したよ。けど、彼らは作業着を着てたんだ。そんな恰好で真っ昼間に女子高生をナンパ――口説くなんて不自然だろう? だから聞いたんだ。若い子もいたから、誰か知り合いでもいたのかいって。そしたら、この辺で美味しい店を知らないか聞かれただけだって言うんだ。近くに外壁工事をしてる建物があったし、そこの作業員だとしたらおかしくない会話だと思って、それ以上は聞かなかったんだ。その後の哨戒もいつも通りで、昨日、会合のあとトイレに行った時にもう一度聞いたんだけど、本当に店を聞かれただけだって言うし。だったらわざわざ報告するようなことじゃないかなと思って、特に気にしなかった。さっきの香苗ちゃんと彼の態度を見て、もしかしてと思ったけど、まさか本当に父親だったなんて……」
 申し訳ない、と言って茂は深い溜め息をついた。
「華さん」
 春平が口を開いた。
「気になったんですけど、華さん、もしかして香苗ちゃんのこと何か知ってるんじゃないですか?」
 こうして尋ねるということは、春平たちは香苗が寮に入った原因を何も知らされていないのだろう。真っ直ぐに見据えられて、華は決まりが悪そうに視線を逸らした。
「それに関しては、俺たちも知っている」
 宗史が口を挟み、視線が集中した。
「香苗は、両親から虐待を受けていた」
 躊躇なく明瞭に言い切られた言葉に、大河は息を飲んだ。茂たちは痛々しげに視線を落とし、やっぱり、と弘貴が呟いた。あの態度を見れば誰だってそう思う。年単位で一緒に暮していれば、なおさら気付いただろう。
「暴力は、保護した際に一度だけあったそうだ。日常的に酷い暴言を吐かれ、当時中学二年生だった彼女は、すでに家事全般を強要されていたと聞いている」
 家庭の事情はそれぞれだ。高校一年の時、母子家庭だからスーパーに買い出しに行って弁当も自分で作っている、と話すクラスメイトがいた。だが彼女は嫌がっている様子もなく、楽しそうに「夕飯何がいいかな?」と友人に尋ねて参考にしていた。片親や共働きなどと言った理由で、家事を手伝っている子供たちがいることは知識として知っている。けれど宗史は、虐待だと、強要されていたと言った。しかも両親から。それはつまり、無理矢理香苗に家事全般を押し付けていたということになる。おそらく度を越していたのだろう。
 さらに、父親のあの態度。日常的に蔑まれ、怒声を浴びせられれば、子供は当然怯えて恐怖を植え付けられる。逆らったら何をされるかという恐怖に怯え、従うしかないと思い込む。香苗は、あんな風に罵倒されながら毎日を過ごしていたのか。
「あたしは」
 華が沈黙を破った。
「香苗ちゃんが寮に入る前に、宗一郎さんと明さんから聞いてたの。そういう環境で育った子だから、何でも自分がやらなきゃいけないって思い込んでるかもしれない。寮での暮らしは戸惑うことばかりだろうから、少しずつ時間をかけて、根気よく見守ってやってくれって」
 華はテーブルに目を落とし、組んだ両手を握り締めた。
「だからあの時、失敗したって思ったわ」
「……迷子になった時のことかい?」
 茂の問いに、はい、と華は小さく頷いて息をついた。今思えば、あれは華の迫力に気圧されたというよりは、トラウマによるものだったのだ。
「たった二年で、忘れられるわけないのに……」
 自嘲気味にぽつりと呟いた華を、藍と蓮が大きな瞳を揺らして見上げた。
「ああ、藍と蓮のせいじゃないのよ。ごめんね、大丈夫よ」
 力のない笑みを浮かべて二人の頭を撫でる。
「つまり、あれですよね」
 思案していた弘貴が、組んでいた腕を解いて宗史を見やった。
「荷物はここにあるんだし、家事? 掃除? をさせるために香苗を連れてったってことですよね」
「おそらくな」
「だったら待つ必要ないじゃないすか。俺らも行って一緒に片せばすぐに終わりますよ」
「あ、確かに」
 納得した大河とは反対に、他の者たちからは浮かない顔と悩ましい声が漏れた。
「それ、香苗ちゃんは嫌がらないかな……」
「うん……僕もそう思う。お父さんに会うだけだってごまかしたんだよ? 知られたくないってことじゃない?」
 遠慮がちに意見した昴に、春平が追随した。
「だったらこのまま連絡が来るの待つのか? 罠かもしれねぇのに? そもそも、こうやって話し合いしてる間にも何か起こってるかもしれねぇんだぞ」
「それは分かってるけど……でも……」
 煮え切らない顔で口をつぐんだ春平は、香苗の気持ちを汲むべきか、それとも罠だとはっきりしなくても手を打つべきか、決めかねているように見える。
「柴、紫苑」
 宗史が口を挟んだ。
「これから、潜伏先を探りに行くだろう」
「ああ、そのつもりだ。場所は?」
「西京区だ。詳しい場所はあとで教える。悪鬼の気配を感じたらすぐに向かってくれ、人に見られても構わない」
「承知した」
 話し早ぇな、と晴が苦笑交じりに呟いた。
 そうか、その手があったか、と大河は感心した眼差しで二人を見やる。すぐに場所を聞いたということは、柴も同じことを考えていたらしい。敵の罠だとしたら、悪鬼を使ってくる可能性がある。そうでなくても彼らは悪鬼を連れているようだし、近くにいれば術を行使した霊力ですぐに察知できる。ただ、考えたくはないが、香苗が内通者だとしたらおびき寄せるための罠かもしれない。だから宗史は柴と紫苑を指名した。それに、式神たちが哨戒している。戦闘になれば必ずこちらに伝わるのだ。
「それと、今日の哨戒は?」
「あ、俺と春です。それと、昴さんと美琴」
「弘貴と春は、しげさんと華さんに交代だ」
「えっ! なんでですか!?」
 目を丸くして前のめりに尋ねた弘貴を、宗史は冷静な面持ちで見つめた。
「言わなければ分からないか?」
 遠回しに牽制され、弘貴は不満顔を浮かべて沈黙した。哨戒を口実に香苗のところへ行こうとしていたのだろう。GPSで動きは筒抜けだが、どのみち行き先は知られている。ならばいっそ、こっそり抜け出したあとで携帯を切って位置を特定されなければ、連れ戻されることはない。単純な話し、行ったもん勝ちとでも思っていたのだろう。弘貴も思考が読まれてるな、と大河は同情の目を向けた。
「哨戒地域ですが、しげさんと華さんは西京区を、昴と美琴は南区を頼みます」
「了解です」
「美琴、念のために独鈷杵を持って行け。いざという時は、速度を重視してから強化しろ。見た目にこだわるな」
「分かりました」
「昴、フォロー頼んだぞ」
「はい」
 緊張の面持ちで頷いた昴に頷き返し、宗史は視線を巡らせた。
「俺からは以上です。質問は?」
 ありません、と各々の口から上がる。不意に宗史の携帯が鳴り、確認してから顔を上げた。
「現在、閃と右近が西京区にて哨戒中だそうです。では、各自よろしくお願いします」
「了解」
 言うや否や、指示を出された者たちが一斉に立ち上がった。
 華が「あと頼むわね」と夏也に声をかけ、茂と共に慌ただしくリビングを飛び出す。また美琴と昴はローテーブルに駆け寄り、風呂敷を広げた。中には色褪せた十本の独鈷杵。その中から、美琴は迷うことなくひと回り小さな物を選んだ。尻ポケットに押し込みながら、すぐに身を翻して小走りでその場を後にする。
 そんな中、柴と紫苑と宗史は一緒に携帯を覗き込み、弘貴は膨れ面のまま腰を上げ、冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出して春平と一緒に庭へと向かう。双子を連れた樹と怜司が苦笑しながらそれに続き、大河は立ち上がりかけた晴に声をかけた。
「晴さん。俺、分かんないことあるんだけど」
「ん、何だ?」
 晴が座りなおした。
「あの人、どうやってこの場所が分かったの?」
「ああ、そのことか。香苗が中学の時にここに来たってのは分かったよな」
「うん。二年前だよね」
「転校手続きする時にな、どうしても住所変更する必要があるんだよ。身分証がいるから、親じゃないとできねぇんだ。もうこればっかりはなぁ」
「中学生の子供だけ住所変えられるの?」
「ああ。例えば、親の仕事の都合で親戚に預けられたとか。香苗も親戚の家に預けられた体になってるはずだぞ」
「そうなんだ。じゃあその時にメモってたのかな」
「もしくは住民票を取ったかだな」
「あ、そうか。住民票って手もあるのか」
 親だもんね、と小さく呟き、大河は渋面を浮かべた。
「わざわざ迎えに来たってことはそれだけ、困ってる? て言ったらなんか違う気がするけど、そういうことだよね」
「まあ、そうなるな」
 さらに眉間に皺を寄せる。
「俺も家事できないけど、そこまでして人にやらせようなんて……あれ? でも、だったらなんで……」
 言いかけて、大河は口をつぐんだ。視線を落とし、唇に指を添える。思案し始めた大河を見て、晴は顔を逸らしグラスに手を伸ばした。
 だったら何故、香苗はここにいるのだろう。両親にとって、香苗はなくてはならない存在だったはずだ。一緒にいた女はどう見ても母親というには若すぎる。香苗が寮に来た時の状況が分からないから断言できないが、もしあの女が義母だったとしたら――どうなる?
 大河は目を見開いて勢いよく顔を上げた。と、
「では、行ってくる」
「ああ、頼んだ」
 連れ立ってソファの脇をすり抜けた柴と紫苑と宗史の声に、思わず声を詰まらせる。
「おー、気ぃ付けてな」
「あっ、二人とも行ってらっしゃい。気を付けて」
 腰を上げて縁側に見送りに出た晴につられて、大河も慌てて立ち上がった。キッチンから夏也の見送りの声が届く。柔軟をしていた弘貴と春平、縁側で藍と蓮を見ていた樹と怜司からも声をかけられながら、柴と紫苑はとんと地面を蹴ると、離れの方へと大きく跳んだ。
 次第に小さくなっていく二人の背中を眺めながら、大河は脱力するように息を吐いた。
 わざわざ聞くことではない。計らずとも家庭環境は知ってしまったけれど、だからといって安易に触れていい話題ではない気がする。
「大河」
 宗史に呼ばれ、大河は顔を上げた。
「真言を覚えてこい」
「あ、うん。分かった……」
 大河は弱々しく頷いて踵を返し、影正のノートを持ってリビングを後にした。
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