第17話

文字数 2,310文字

       *・・・*・・・*

 もう、いくらくらいになっただろう。本山たちに搾取された金額は。
 あの日、桃子と連絡先を交換した日。本山たちに連れられた場所は、錦市場商店街だった。ほとんどの店が午後六時には閉まるため、時折近道で通る住民や観光客は来るが、夜も十時を回れば人通りがぱったりと途絶える。通路はそう広くなく、六角形の形をした各店舗の看板は明かりが灯っているが、かなり薄暗い。中に入ってしまえば、人目に付くことはない。
「体だけにしとけよー。目に付くとこはすぐにバレるからなー」
 雅臣の財布からお札を抜き取りながら、本山は暢気な口調でそう言った。
「なんだ、金持ちのわりにはあんま入ってねぇな」
 舌打ちをかまし、地面で体を丸くして横たわった雅臣に財布を放り投げる。散々背中や腹を蹴られて胃液を吐く雅臣の傍にしゃがみ込み、本山は言った。
「とりあえず五万。来週持って来い。愛しの桃子ちゃんヤられたくなかったらな」
 ははっ、と蔑むような笑いを残し、本山たちは立ち去った。
 閉ざされたシャッターの前で一人激しく咳き込みながら、雅臣はぎりりと歯ぎしりをした。耐えろ、反抗するな、桃子を守るためだ。そう、強く自分に言い聞かせた。
 金を要求してくる頻度は不定期だった。それでも週に一度は必ず要求し、ついでとばかりに暴行を受けた。場所は、商店街の他には近くの路地裏や公園とまちまちで、詳しくは覚えていない。
 桃子とは同じ授業をいくつか受講しているが、同じ時間に終わるのは週に一度のあの曜日しかない。せっかく連絡先も交換して、少し距離が縮まったのに。けれど、桃子と関われなくなった。これ以上親しくなって彼女に何かあったらと考えると、怖かった。本山たちのせいで、桃子とのわずかな時間も奪われた。
 授業が終わると逃げるように塾をあとにする雅臣をどう思っていたのか。桃子は何度か心配するメッセージを送ってくれた。
『最近忙しい? 大丈夫? 疲れてるみたいだけど、無理しないでね』
『あたしでよかったら、いつでも相談に乗るから。何かあったら言ってね』
 桃子の優しさに涙が溢れ、同時に、何があっても守らなければと思った。
『大丈夫。ちょっと根を詰めすぎたかも。心配してくれて、ありがとう』
 そんな言葉しか返せなかった。
 日に日にやつれていくのが、自分でも分かった。
 金の工面も限界だった。初めのうちは、欲しい参考書があるから、気晴らしに友達と遊びに行くからと理由を付けていたが、そんなのはすぐにネタが尽きる。コツコツと溜めていた貯金もすぐに無くなり、両親の財布から黙って抜き取るようになった。罪悪感で心は一杯になり、でも桃子のことを思うと誰にも話せなかった。
 学校や塾をサボることも考えた。けれど、逃げれば桃子に何をするか分からない。言われるがままに、金を運ぶしかなかった。
 そんな日々の中、やるせない気持ちと不甲斐無い気持ちを抱えたまま行われた五月の中間テストは、惨敗だった。
 しばらくして発表された順位はこれまでの中で最下位。それを機に、両親に問い詰められた。
「雅臣、お前お金を盗ってるだろう。何に使ってるんだ。それにこんなに成績を落として。何か悪いことでもしてるんじゃないだろうな」
「何があったの? 言いなさい」
 言いたい。言って、大人の力に頼れば何とかなるかもしれない。体の傷は、病院に行って診断書を書いてもらえば証拠になる。どこかに防犯カメラも設置されているはずだ。けれど、それから先は?
 学校や教育委員会に訴えても、内々で揉み消されるか、まともな調査をしてくれるかすら怪しい。となると、警察。暴行や恐喝は十分刑事事件として扱われる。だが、未成年だ。どう判断されるか分からない。もしも保護観察処分や謹慎程度で済んだら、そのあとは? あいつらのことだ、必ず復讐してくる。必ず桃子を傷付ける。
 そう考えると、どうしても言えなかった。
 俯いたまま、きつく唇を噛んで無言を貫く雅臣に父は頭を抱え、母は涙を流した。
「どうしたんだ、お前は……」
「こんなこと一度もなかったのに……」
 母のすすり泣く声を聞いてもなお口を割らない雅臣に、父は嘆息した。
「もういい、好きにしなさい。その代わり、何があっても自分で何とかしろ」
 怒りと呆れが混じった、諦めの声だった。
 ごめんなさい、ごめんなさい、お金は必ず返します、だから今は許して下さい。何度も何度も心の中で謝った。桃子との時間を奪われ、父が身を粉にして働いて稼いだ金を奪われ、両親の信用も信頼も期待も失った。
 もう、心も体も限界だった。
 それでも、あの日のことはよく覚えている。塾のない日に呼び出された場所は、奇しくも錦市場商店街。時間は十時近く。
「十万っつったよなぁ? 菊池くーん。この前は足りない、今日は持ってきてないってどういうことかなぁ?」
「もう、これ以上は無理……ッ。親にもバレてる……!」
「無理じゃねぇよ。現金が無理ならカード盗んでくりゃいいだろうが、よっ!」
 語尾に合わせて振り上げた本山の足が、ドゴッ、とくぐもった鈍い音と共に鳩尾に深く入った。激痛と苦しさに声も出なかった。ただ胃液と激しい咳だけがひらすら口から吐き出される。咳をしすぎて喉が切れているのか、それとも内臓が傷付いているのか、口の中に鉄の味が広がった。
 囲んだ雅臣を足蹴にしながら、本山たちは楽しげな笑い声を上げる。
 人に優しくあれ。そう教育された雅臣から見れば、何故こんなことができるのか微塵も理解ができなかった。人を理不尽に傷付けて、自分たちの欲のためだけに苦しめて、何がそんなに楽しいのか。
 こいつらは、頭がおかしいのか。
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