第9話

文字数 3,559文字

「やめろよ」
 寝転がったままでは恰好がつかないが、どうやっても動けそうにない。春平がわずかに顔を上げた。
「こういう状況で、誰が悪いとかないだろ。予想外のことが起こるのが戦いだし、あいつらは撤退した。それに、皆生きてる」
 ゲームの受け売りだが、どうやら紫苑は分かってくれたらしい。
「その通りだ。戦場では、何が起こるか分からぬ。どれほど綿密に策を練ったとしても、思いがけぬ事態に対処が遅れることや撤退を余儀なくされることもある。それが、戦だ」
 妙に説得力があるのは、やはり戦の時代を生きていたからか。しかし、おおさすが、と感心する弘貴とは反対に、春平から納得の声は返ってこなかった。再び唇を噛んで俯いた春平に、紫苑が困ったように溜め息をついた。
「私も同意だ」
 夏也の治癒が終わったようだ。鈴が溜め息交じりに同意しながら腰を上げた。
 華が春平をちらりと見やり、後ろ髪を引かれるように夏也の元へ小走りに駆け寄った。あちこち気を使わせて悪いが、まともに動けるのが華しかいない。ポケットからハンカチを取り出して、真っ赤に染まった口元を拭う。
「誰もお前のことを責めてはおらぬ。ましてや、夏也がお前を責めると思うか」
 鈴の問いに、春平からの答えはなかった。諦めたように嘆息し、紫苑に目を落とす。
「紫苑、動けるか。結界が発動する前に移動しろ」
「ああ」
 紫苑は胡坐を解いて膝を立て、手で支えて腰を上げた。ゆっくりとした動作にすら、辛そうに顔を歪ませている。
「手を貸そう」
「いや……」
 鈴が手を差し伸べたとたん、体が前に傾いだ。あっと思った時には鈴が腕を出して支えていて、ほっとする。
「すまぬ」
「あれだけの傷だ、仕方あるまい」
 そう言うと、鈴は何でもないような顔をして紫苑の背中を支えて上半身を後ろへ倒し、もう片方の腕を膝裏へ差し入れた。そして、ひょいと抱え上げる。紫苑がぎょっと目を丸くした。
「おい……っ。歩ける、下ろせ!」
 顔を真っ赤にし、見るからに狼狽して訴える。そんな紫苑をじっと見やり、鈴は小首を傾げた。
「倒れかけた奴が何を言うか。遠慮はいらぬ、お前は怪我人だ」
「遠慮ではない!」
「ならば何が不満だ。神に抱きかかえられておいて、贅沢な奴め」
「貴様は女だろう!」
 鈴が不可解そうに二度ほど瞬きをした。
「……だから何だ?」
「な……っ」
 式神の感覚ってちょっとずれてるとこあるよなと思うことはたびたびあったが、鈴のこれははたしてとぼけているのか天然なのか。
 人からすれば、女であれ式神だしと思うが、何せ人外同士。男として、鬼としてのプライドがあるだろう。紫苑の気持ちは分かるし笑ってはいけないと分かっているが、自然と笑いがこみあげてきて、弘貴は歯を食いしばった。ここで笑ったら今度こそ永遠の眠りにつくことになるかもしれない。
 まさかそう返ってくるとは思わなかったらしい。唖然として言葉を失った紫苑にさらに小首を傾げ、鈴は「まあよい」と言って弘貴を見下ろした。
「弘貴。もう少し耐えられるか」
 言葉を発すると爆笑する。唇を噛んで頬を引き攣らせ、無言で頷いた弘貴を紫苑がじろりと見下ろした。上からだと怖さ倍増だ。
「では待っていろ。華、皆を頼むぞ」
「ま、任せて……っ」
 顔を逸らしたまま了解した声は笑っている。紫苑が屈辱に満ちた顔で「貴様ら……っ」と吐き出し、鈴は何ごともなかったように地面を蹴った。
 鎮守の森へと姿を消す二人を見送って、弘貴と華がぶふっと同時に噴き出した。思い切り笑いたいが、春平や夏也のこともあって、いつも通りにはいかない。
 それでも噛み殺し切れない笑い声をひとしきり漏らし、弘貴は息を長く吐き出した。
 側で突っ立ったままの春平はさすがに笑う気分ではないようで、相変わらず顔を曇らせたまま。夏也は完治したようだが、まだ目を覚ます気配はない。しかし、笑ったおかげで胸のつっかえが取れて、いつもの調子が戻った気がする。
「弘貴くん」
 どうやら華も同じらしい。真剣だが、落ち着いた面持ちでこちらを見ている。
「何があったのか、聞いてもいいかしら」
 確かに雅臣の話は筋が通っていたが、例え「集められた」のだとしても、他に理由があるか、全くの勘違いという可能性もある。華たち大人組みは頭が良いし勘も鋭い。気付いていれば別の解釈を話してくれるかもしれない。気付いていなければ不信感を与えてしまうだろうが、何にせよ、会合で話さなければいけないのだ。それに、鈴がいる。当主から何か聞いている可能性は、かなり高い。
 きつく握られた春平の拳を一瞥し、弘貴は深呼吸をした。
「うん」
 実は、と続けた瞬間、不快な気配が感覚に触れた。夜空へと視線を投げた弘貴と華から一拍遅れて、春平も顔を上げた。
「援軍……?」
 華が怪訝そうに眉を寄せた。
「え、このタイミングで? でも、どっかで待機させてたにしては遅くない?」
 雅臣たちが命令したにしては、撤退してから時間が開きすぎている。紫苑と夏也は負傷し、春平が霊力を封印したことも分かったはず。こちらを足止めするために、すぐに命令するのが常套手段だと思うが。
 そうなのよね、と呟いて、華が難しい顔で唸った。不可解ではあるが、こうなってはのんきに寝転がっていられない。弘貴は気だるさを押して体を起こした。あっと呟いた春平が、少し遠慮がちに手を貸す。
「もしかして、街を狙ったのかしら。ここにいた悪鬼の数は多かったし、距離があるとよっぽどの規模じゃないと分からないでしょ? それに、一体一体だと援軍の意味がないから、十分揃ったのが今だったとしたら」
「あ、そうか」
 どこを狙ったのか知らないが、悪鬼を集めるのなら繁華街が妥当だろう。要は、巨大な悪鬼の邪気を隠れ蓑にして、こそこそ街で新たな悪鬼を収集していたらしい。しかも、気付いても自分たちはここから離れられないのだ。
 春平の肩に腕を回して腰を上げる。
「え、じゃあ街の方って大変なことになってんじゃないの?」
「うーん、どうかしらね。あまり規模は大きくなさそうだし、明さんたちが先手を打っていたのかも。どんな方法かは分からないけど」
「なるほど」
 弘貴は嘆息と共に考えるのを諦めた。理屈としては成立している華の推測は、またしても当主陣の秘密主義が露呈した形だ。あくまでも推測だが、こちらもどうせ鈴が知っているだろう。
 秘密主義もいい加減にしろと言ってやりたいが、何か理由があるのだろう。と思っていなければやってられない。
「さて。とりあえず結界を張るから、夏也のこと……」
 言いながら、華が腰を上げて霊符を取り出した時、ぞくりと全身が粟立った。邪気ではない、膨大な神気がどんどん近付いてくる。
 霊力を封印したとはいえ、元来誰でも備え持っている第六感は働くらしい。春平が一瞬体を硬直させ、夜空に視線を巡らせた。さすがにどの方向かまでは分からないようだ。邪気と神気の区別は付くのかとか、そもそも悪鬼は見えているのかとか、聞きたいことはあるけれど、今聞くのは酷か。
「結界、無事に発動したみたいだな」
 にっと笑ってやると、春平は申し訳なさそうに眉尻を下げ、そっか、と呟いた。区別は付いていないのか。一方華は、安心するどころか北の空を見上げて怪訝そうに眉をひそめている。
「華さん、どうかした?」
「あ、ううん。何でもないわ。あら、悪鬼軍団のお出ましよ」
 苦笑いを浮かべて視線を投げたのは駐車場、北西の方角だ。はるか頭上、横長の黒い塊が空を滑ってこちらへ向かっている。だが。
「調伏の必要はないみたいね」
 巨大結界外は、鎮守の森の向こう側。伊勢神宮を超えた裏側から先になる。それを理解しているのか本能なのか。悪鬼の塊は方向を変えることなく、追い立てられるように真っ直ぐこちらへ向かって来る。悪鬼が到着するより、神気の速度の方がはるかに速い。
 悪鬼を嘲笑うかのように、赤が黒を侵食してゆく。まるで赤い空が移動しているような、夕日が闇を飲み込んでいるような、不思議な光景だった。
 乱暴なくらい圧倒的な神気は、ここで動いたら調伏されるのではと恐怖を覚えるほど強烈だ。
 鈴の結界や一帯、そして悪鬼を飲み込む赤い光に包まれながら、弘貴は横目で春平を盗み見た。
 多分、春平の目にこの光は見えていない。それでも「気」を感じ取れるのなら、威圧感は分かっているかもしれない。その証拠に、少し息苦しそうに眉根を寄せている。
 一切の音が奪われた世界で、弘貴は顔を上げ、赤く染まった夜空を見上げた。
 巨大結界は、全ての邪を浄化、調伏する。ならば、春平の心に巣食う負の感情も浄化してくれないだろうか。そうすれば、また一緒に――。
 弘貴の願いを最後まで聞き届けることなく、赤い光は一瞬で全てを飲み込み、地面へと吸い込まれた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み