第19話

文字数 3,417文字

 リビングへ戻り、ひとまず北原の家族に連絡を入れるかと相談していた矢先のことだった。
 大河の突然の謝罪は、分からなくもない。仕方がないとはいえ、人によっては不快に思うだろう。寮へ来た時や会合中の雰囲気を見れば彼らが気にしていないことは分かるが、大河からしてみれば、謝らなければ気が済まなかったのだろう。
 と思ったのだが、何やら少々違うようだ。
「あの二人、仲が悪いってわけじゃねぇよな」
 下平は紺野に耳打ちした。熊田と佐々木も、ダイニングテーブルで荷物を解いている春平と庭の大河を、心配そうな顔で見比べている。
「そんな感じには見えませんでしたけど……」
 だよな、そうよね、と熊田と佐々木が同意する。大河が頭を下げた時、春平はきょとんとした顔をしていたし、弘貴に問いにもすんなり頷いたのだ。しかし、二人の間には、何とも言えないぎこちなさがある。
 あからさまに口を出そうとは思わないが、美琴のこともある。これも職業病だろうか。
「とりあえず、北原の家族に連絡してきます」
「ああ、そうだな。っと」
 内ポケットで携帯が震えた。榎本たちかと思いつつ引っ張り出すと、冬馬だった。
「お、冬馬だ。ちょっと悪い」
 下平はひょいと手を上げてリビングのドアへ足を向けた。紺野も続く。
「もしもし俺だ、っと」
 ドアを開けるとトイレから戻ってきた弘貴とぶつかりそうになり、思わず足を止めた。
「あっ、すみま……」
 携帯を耳に当てた下平に、弘貴は一旦言葉を切って「すみません」と小声で言い直した。いや、と笑顔付きで返してすれ違う。と、
「あ、戻ってきた。弘貴くん、春くん、説明始めるよー!」
 樹の大声が響いた。苦い顔をした下平をよそに、はーい、と二人が元気よく返事を返して庭へ駆け出す。
 何となく足早に廊下へ出て、下平は離れの方へ、紺野は玄関へと別れる。
「下平さん、今の、樹ですか?」
 やっぱり聞こえていたか。あいつ声でかいんだよ、と内心でぼやき、ああまあと曖昧に答える。
「もしかして、寮にいるんですか?」
 思いがけない質問に、どう言い訳するかとフル回転していた脳みそが停止した。
「お前、なんで寮のこと知ってんだ」
「昨日、左近から聞きました。母親のことも……、病気だったそうですね」
 どんな流れで寮の話しになったのかはともかく、左近は病気だと言ったのか。ある意味、間違っていない。
 ただ、声はわずかに曇ったが、すんなり口にできるのなら、どうやら自分のせいだとは思っていないようだ。左近は宗一郎の式神だし、詳細は知っているだろうが話さなかったのだろう。
 下平は密かに安堵の息を吐いた。
「ああ。そう聞いてる」
 そうですか、と冬馬は小さく呟いた。話しを聞いた時どう思ったのか、何となく想像はできる。三年前あんなことがなければ、樹の傍には間違いなく冬馬がいた。
 頭を切り替えたのは、冬馬の方が先だった。
「それで、智也の容体なんですが」
「ああ、どうだ?」
「昼に退院しました。しばらく自宅療養だそうです。仕事も一週間ほど休ませて、様子を見ながら徐々に復帰させようかと。医者が言うには、若いし完治するまでそんなに時間はかからないだろうとのことです」
「そうか、そりゃよかった」
 安心から顔が緩む。視界の端に、電話を終えた紺野の姿が映った。横目で見やると、口元に笑みを浮かべ、無言で頷いてリビングへ戻った。どうやら面会できるようだ。
「冬馬、急で悪いんだけどな、今日時間取れないか。どうしても話したいことがある。リンたちの様子もその時に」
「ええ、いいですけど……。でも仕事なので、それまでなら」
「じゃあ、そうだな……」
 下平は腕時計を確認した。もうすぐ五時だ。今から北原のところへ行き署に戻って報告するとなると、七時を過ぎるだろう。警戒させなければいけないし、榎本たちには平良のことだけ話してあとは明日に回すか。
 こうなると、榎本たちに知られて良かったのかもしれないと思ってしまう。
「七時までには連絡するから、ついでに飯食いながら話そう」
「分かりました」
 じゃああとで、と通話を切ろうとしたその時、
「えっ、嘘! 早っ!」
 またしても樹の大声が届いた。まさかわざとじゃないだろうな。嘆息した下平とは反対に、冬馬は小さく笑った。
 今度は何ごとだと、リビングの戸口からひょいと庭を覗く。
「香苗ちゃん一発で成功? コツは、コツ!」
 どうやら、香苗が一発で地面に五芒星を刻んだらしい。縁側で訓練を見学していた紺野たちは、目を凝らして地面を見つめている。さすがに見えまい。
 寮のことを知っているのなら、もう隠す必要はないだろう。下平は戸口で佇んだまま、香苗に詰め寄る樹に苦笑した。
「元気そうですね」
 笑いを噛み殺した声で、冬馬が言った。まあ、元気といえば元気だが。
「元気を通り越して凶暴になってるぞ」
「凶暴?」
「よく喋るし言うこと物騒だし、何より生意気だ。あいつ確実にお前に感化されてるな。ああ言えばこう言うとこなんか、もうそっくりだ。何教えたんだ、お前」
「生意気だなんて、心外ですね。おかしなことを教えたつもりはありません」
 くすくすと届く密やかな笑い声は信用に欠けるが、楽しそうだから良しとしよう。
 下平は口角を緩めた。例え本人たちに会うつもりがなくても、自分がいる限り互いの様子は教えてやれる。今は、それでいい。
「またあとで連絡する」
「はい」
 じゃあなと通話を切り、下平は携帯をポケットにしまいながら縁側へ向かいかけ、ふと足を止めた。
 宗史や晴から指導を受け、術を試す樹たち。結界にも使えるらしい五芒星とやらがどの程度の強度なのか確認しているのだろう。指を掲げる大河の目の前で、紫苑が空中に向かって腕を振った。藍と蓮にも見えているようで、先程晴が結界を張ったらしいあたりに柴と一緒にしゃがみ込んで、目をキラキラさせている。
 そして、それを見守る携帯を掲げた宗一郎と、ここぞとばかりに式神らを質問攻めにする紺野たち。
 何というか、こう――。
 下平が一人感慨に浸っていると、不意に怜司が輪を外れてリビングに上がってきた。
「どうしたんですか?」
 尋ねながら向かったのは、冷蔵庫だ。この暑さで集中すれば、喉も渇きやすいだろう。
「ああいや。なんかこう、あれだなと思って」
「あれ?」
 怜司はスポーツドリンクのペットボトルを取り出し、蓋を捻りながら下平の隣に並んだ。
「紺野から話しを聞いた時は、まあ信じはしたが実感がなかったんだよ。廃ホテルで実際にお前たちを見て、やっとって感じだった」
 もっと霊力上げてみて、と樹から大河へ指示が出た。どこまで強度が上がるかの実験か。
「でも、今となっちゃすっかり普通になっちまったなと思ってな」
 ははっと下平は短く笑った。陰陽師に神に鬼。現実的に考えれば、胡散臭いと思われがちな者たちだ。そんな彼らと一同に会し、日常的に陰陽術や悪鬼の話題が出る。こんな状況を何の違和感もなく受け入れているのなら、それはもう「普通」だ。
「普通、ですか……」
「ああ。特にお前らからすれば、これが普通だろ?」
 何気なく尋ねて見やった怜司は、中途半端にペットボトルの蓋を閉めたまま、静かに庭を見つめていた。その横顔は、何かに思いを巡らせているようにも考え込んでいるようにも見える。
 やがて、怜司が小さく息をついた。
「そうですね」
 同意しながらも、どこか自嘲的な笑みが浮かんでいる。何か余計なことを言っただろうか。
「れい……」
「あー、怜司くんだけずるい! 僕のも持って来てー!」
 怜司どうした、と尋ねようとした下平の声を、樹が遮った。ほんとに元気で何よりだ。
「自分で取りに来い」
「怜司さん、俺も俺も!」
 弘貴に便乗され、怜司が踏み出した足を止めた。続けざまに、俺もあたしもと便乗され、渋面を浮かべてしぶしぶと踵を返す。さすがに全員分は抱えきれないだろう。ついでだ、下平も苦笑いで冷蔵庫へ向かった。と、
「あっ!」
 今度は大河が叫んだ。
「お守り袋、忘れるところだった。取ってくる!」
 そう言って掲げていた腕を下ろした大河の目の前で、紫苑が振り抜きかけた腕をぴたりと止めた。この腕をどうしてくれると言いたげに、恨めしい目で駆け出した大河の背中を追う。
「悪いな」
 怜司からペットボトルを受け取りながら声をかけると、大丈夫! と言いながら大河はリビングから飛び出した。
 さて、今度はどんなお守り袋を渡されるのやら。
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