第4話
文字数 2,202文字
「春くん!!」
華と夏也が叫んだ。華は顔面を狙った真緒の足を左腕で防いで押し返し、夏也は放たれた黒い塊を横へ飛び退いてぎりぎり避ける。
自分が拘束されたせいで、皆が集中できない。早く脱出しなければ。幸いにも、手も口も動かせる。
春平はポケットから霊符を取り出して構えた。
「オン・ノウギャバザラ・ソワカ!帰命 し奉 る。鋼剛凝塊 、渾天雨飛 ――」
途中まで真言を唱え、異変に気付いた。
「え……」
霊符が反応しない。唖然と霊符に目を落とす。符号におかしなところはない。集中力が散漫になっているのだろうか。もう一度。春平はゆっくりと息をし、腹に力を込めた。
「オン・ノウギャバザラ・ソワカ!帰命 し奉 る。鋼剛凝塊 、渾天雨飛 、斥濁 ……」
唱えながら、やっと気が付いた。霊力の高まりを感じない。まさか――。
「……霊力が……」
封印された?
何故。いつ、どこでどんな術をかけられた。それともこの悪鬼に何か特別な力が――不意に、さっきの息苦しさと弘貴の態度が脳裏を掠り、血の気が引いた。
術をかけられたのではなく、悪鬼に力があるわけでもない。封印したのだ――自分で。
「違う……」
自覚したとたん、一気に不安が胸に押し寄せてきた。顔を強張らせて小さくかぶりを振る。
「違う、違う、違うッ! 僕は……っ」
言葉に詰まって、愕然とした。
僕は――何だ。雅臣の話を聞いて、宗一郎と明を疑った。霊力を否定し、今の生活を否定し、別の生活を強く望んだ。
それはつまり、今の全てを――仲間を否定したも同然。今さら、どんな言い訳も通用しない。
春平は強く唇を噛み締めた。湧き出る不安を押し込めるように、霊符をくしゃりと握る。
「――春!」
弘貴の声が響いて、春平ははっと我に返った。
「すぐに助けてやるから待ってろ!」
強い眼差しで、真っ直ぐこちらを見上げてそう宣言する弘貴に、強烈な罪悪感を覚えた。
上からでも分かる。無言のまま、ただひたすら触手を避け続ける弘貴の真剣な顔は、見覚えがある。ゲームに集中している時と同じ。今弘貴は、声をかけても気付かないほど集中している。触手を避けながら、助ける方法を模索しているのだ。
さっきの反応。弘貴は霊力を封印したことに気付いている。つまり、自分が雅臣の言葉を信じたことにも気付いているのだ。それなのに、どうして。
「昴さんの言った通りだな」
不意に、雅臣の言葉が鮮明に耳に飛び込んできた。
「松浦春平は、陰陽師に向いていない」
ガツンと、頭を強く殴られたような衝撃だった。
初めこそこちらが昴に教える側だった。けれどいつしか、立場は逆転していた。昴さんあっという間に強くなったよなー、と悔しげに言った弘貴に、彼は笑いながらこう言った。
『あまり変わらないと思うけど……でも、そう言ってもらえて嬉しいな』
照れ臭そうに笑って謙遜し、心の中では向いていないと思っていた。晴を一人で相手にできる実力を持つ彼に、向いていないと、判断されていた。
身体能力も、霊力も、精神的な強さも、全て皆より劣る。今まで、樹に何度同じことを注意されただろう。何度同じことで気持ちが揺れただろう。仲間を信じ切れず、覚悟もできないこんな自分が、何故あの時陰陽師になんて思ってしまったのか。貴重な存在だと言われ、浮かれた結果がこのザマだ。自分でも気付かないうちに、優越感に浸って調子に乗っていたのかもしれない。自分は人とは違うのだと。特別なのだと。それなのに、いざとなったら霊力を否定するなんて。
勝手すぎて、自分が嫌になる。
「うるせぇ」
弘貴の低い声が割り込んだ。
「春は陰陽師に向いてる。俺が言うんだから間違いない。つーか黙ってろ」
息を切らしながらも至極冷静な声で反論し、また目を据わらせてぶつぶつ呟く。さっきまで避け切っていたのに、触手が次々と体のあちこちを掠り、傷がどんどん増えていく。疲労で反応速度が落ちているのだ。それでも眉一つ歪めない。そんな弘貴から、思わず目を逸らした。
弘貴は、どうしてそこまで自分を信じてくれるのだろう。何故、あんな話を聞いても力を失わずにいられるのだろう。と。
「ちょっと雅臣ちゃん、遊んでないで早くしてよ! 華ちゃんいきなり強くなったんだけど! あれが全力じゃなかったの!?」
真緒の苛立った怒声が割り込んできて、雅臣がちらりと一瞥した。
華が振り下ろした霊刀を、真緒が険しい顔で真正面から受けた。とたん、ガキンッ! と重厚で硬質な音を響かせて真緒の霊刀が真っ二つに折れた。表情一つ変えずに華が蹴りを放ち、目を剥いた真緒がとっさに後方へ飛び退いた。胸元を掠り、着地するなり華が追いかける。慌てて霊刀を再度具現化した真緒を見据える華の目は瞳孔が開き切っていて、瞬き一つしない。それだけ集中しているのだ。彼女のこんな顔は、初めて見る。
華なら雅臣は相手にならない。真緒を抑えてしまえば、弘貴と二人がかりで戦える。間違いなく春平を一瞬で救出できる。
そして夏也もまた、霊符を手に触手を避け続け、しかし細い体には新たな傷が増えていく。擬人式神は全体使っているため、安易に霊符を放っても触手で破られる。それに、もともと霊力量が少ない彼女は術を連発できない。慎重に隙を狙っているのだ。朱雀が放った火玉は威力を増しており、犬神の体を掠った。体積がわずかに縮む。融合した時よりも小さくなっているのが目に見えて分かる。
華と夏也が叫んだ。華は顔面を狙った真緒の足を左腕で防いで押し返し、夏也は放たれた黒い塊を横へ飛び退いてぎりぎり避ける。
自分が拘束されたせいで、皆が集中できない。早く脱出しなければ。幸いにも、手も口も動かせる。
春平はポケットから霊符を取り出して構えた。
「オン・ノウギャバザラ・ソワカ!
途中まで真言を唱え、異変に気付いた。
「え……」
霊符が反応しない。唖然と霊符に目を落とす。符号におかしなところはない。集中力が散漫になっているのだろうか。もう一度。春平はゆっくりと息をし、腹に力を込めた。
「オン・ノウギャバザラ・ソワカ!
唱えながら、やっと気が付いた。霊力の高まりを感じない。まさか――。
「……霊力が……」
封印された?
何故。いつ、どこでどんな術をかけられた。それともこの悪鬼に何か特別な力が――不意に、さっきの息苦しさと弘貴の態度が脳裏を掠り、血の気が引いた。
術をかけられたのではなく、悪鬼に力があるわけでもない。封印したのだ――自分で。
「違う……」
自覚したとたん、一気に不安が胸に押し寄せてきた。顔を強張らせて小さくかぶりを振る。
「違う、違う、違うッ! 僕は……っ」
言葉に詰まって、愕然とした。
僕は――何だ。雅臣の話を聞いて、宗一郎と明を疑った。霊力を否定し、今の生活を否定し、別の生活を強く望んだ。
それはつまり、今の全てを――仲間を否定したも同然。今さら、どんな言い訳も通用しない。
春平は強く唇を噛み締めた。湧き出る不安を押し込めるように、霊符をくしゃりと握る。
「――春!」
弘貴の声が響いて、春平ははっと我に返った。
「すぐに助けてやるから待ってろ!」
強い眼差しで、真っ直ぐこちらを見上げてそう宣言する弘貴に、強烈な罪悪感を覚えた。
上からでも分かる。無言のまま、ただひたすら触手を避け続ける弘貴の真剣な顔は、見覚えがある。ゲームに集中している時と同じ。今弘貴は、声をかけても気付かないほど集中している。触手を避けながら、助ける方法を模索しているのだ。
さっきの反応。弘貴は霊力を封印したことに気付いている。つまり、自分が雅臣の言葉を信じたことにも気付いているのだ。それなのに、どうして。
「昴さんの言った通りだな」
不意に、雅臣の言葉が鮮明に耳に飛び込んできた。
「松浦春平は、陰陽師に向いていない」
ガツンと、頭を強く殴られたような衝撃だった。
初めこそこちらが昴に教える側だった。けれどいつしか、立場は逆転していた。昴さんあっという間に強くなったよなー、と悔しげに言った弘貴に、彼は笑いながらこう言った。
『あまり変わらないと思うけど……でも、そう言ってもらえて嬉しいな』
照れ臭そうに笑って謙遜し、心の中では向いていないと思っていた。晴を一人で相手にできる実力を持つ彼に、向いていないと、判断されていた。
身体能力も、霊力も、精神的な強さも、全て皆より劣る。今まで、樹に何度同じことを注意されただろう。何度同じことで気持ちが揺れただろう。仲間を信じ切れず、覚悟もできないこんな自分が、何故あの時陰陽師になんて思ってしまったのか。貴重な存在だと言われ、浮かれた結果がこのザマだ。自分でも気付かないうちに、優越感に浸って調子に乗っていたのかもしれない。自分は人とは違うのだと。特別なのだと。それなのに、いざとなったら霊力を否定するなんて。
勝手すぎて、自分が嫌になる。
「うるせぇ」
弘貴の低い声が割り込んだ。
「春は陰陽師に向いてる。俺が言うんだから間違いない。つーか黙ってろ」
息を切らしながらも至極冷静な声で反論し、また目を据わらせてぶつぶつ呟く。さっきまで避け切っていたのに、触手が次々と体のあちこちを掠り、傷がどんどん増えていく。疲労で反応速度が落ちているのだ。それでも眉一つ歪めない。そんな弘貴から、思わず目を逸らした。
弘貴は、どうしてそこまで自分を信じてくれるのだろう。何故、あんな話を聞いても力を失わずにいられるのだろう。と。
「ちょっと雅臣ちゃん、遊んでないで早くしてよ! 華ちゃんいきなり強くなったんだけど! あれが全力じゃなかったの!?」
真緒の苛立った怒声が割り込んできて、雅臣がちらりと一瞥した。
華が振り下ろした霊刀を、真緒が険しい顔で真正面から受けた。とたん、ガキンッ! と重厚で硬質な音を響かせて真緒の霊刀が真っ二つに折れた。表情一つ変えずに華が蹴りを放ち、目を剥いた真緒がとっさに後方へ飛び退いた。胸元を掠り、着地するなり華が追いかける。慌てて霊刀を再度具現化した真緒を見据える華の目は瞳孔が開き切っていて、瞬き一つしない。それだけ集中しているのだ。彼女のこんな顔は、初めて見る。
華なら雅臣は相手にならない。真緒を抑えてしまえば、弘貴と二人がかりで戦える。間違いなく春平を一瞬で救出できる。
そして夏也もまた、霊符を手に触手を避け続け、しかし細い体には新たな傷が増えていく。擬人式神は全体使っているため、安易に霊符を放っても触手で破られる。それに、もともと霊力量が少ない彼女は術を連発できない。慎重に隙を狙っているのだ。朱雀が放った火玉は威力を増しており、犬神の体を掠った。体積がわずかに縮む。融合した時よりも小さくなっているのが目に見えて分かる。