第4話

文字数 4,903文字

「っと、そうだ。お前、お守りの話は聞いてるか?」
「うん、聞いた。あ、下平さんはどのお守りをもらったの?」
 いわくを知っているらしい。にやにやした顔を向けられ、下平は渋い顔をした。あれはあれで有りだが、こうもあからさまにからかう気満々の顔をされるといい気はしない。けれど、どうせ知っているのなら隠す意味もない。
 仕方なくジャケットの内ポケットからお守りを取り出して見せたとたん、樹が噴き出した。
「また可愛らしいのが……って、あれ?」
 樹は突然何かに気付いて不思議そうに首を傾げた。
「どうした?」
「ちょっといい?」
「ああ……」
 出された手にお守りを渡すと樹はまじまじと眺めまわし、おもむろに紐を解いて中身を引っ張り出した。何か不備でもあるのか。下平は興味深げに横から覗き込む。お守り袋からもう一つ、和紙で作られたお守り袋が出てきた。それを開くと、収まっていたのは綺麗に折り畳まれた和紙が二枚。少々厚みがあるなとは思っていたが、補強材が入っているか、護符自体に厚みがあるのだとばかり思っていた。
「二枚?」
 一枚では不十分だと思ったのだろうか。
「やっぱり……」
 樹は眉根を寄せてぼやき、一枚の護符を開いた。素人にはただの奇怪な図形にしか見えない絵が描かれている。しかし、どこか歪に見える。描き慣れていないというか、いかにも素人が描いたような。
「何がやっぱりなんだ?」
 下平が尋ねると、樹は護符を折り畳みながら息をついた。
「これ、大河くんが描いた護符だよ」
「大河が? 明さんが作るって聞いたぞ」
「もう一枚は明さんのだよ」
「誰が描いたか分かるもんなのか」
「直筆にも霊力がこもるから何となく感じるんだよ。特に二人は霊力が強いし。それに、大河くんはまだ描き始めたばかりだから下手くそなの」
 説明しながらしまい直されたお守りを、はいと突っ返される。なるほど、それで歪だったのか。
「でも、なんで大河の護符が入ってんだ?」
 内ポケットにしまいながら尋ねると、樹は小首を傾げた。
「さあ、それは僕にも分かんない。ただ、そのお守り袋、本当は大河くん用なんだよ。紺野さんと同じで、瘴気の影響を受けやすいからいつも護符を持ち歩いてるんだ。でも暴走して焦がしちゃう時があるから、その時の予備。廃ホテルの事件の日、待ってる間に皆でいっぱい作ってくれたみたいだよ。柄が子供っぽいのは、双子の鞄とか作った時の端切れを使ったから」
「あー、それでか」
「それが聞きたかったの? 嫌だった?」
「いや、そういうわけじゃねぇんだけどな。見るからに手作りだろ。どういういきさつがあるのか、紺野が気にしてたんだよ」
「紺野さん、どんな柄だったの?」
「車柄」
「似合わない」
 速攻で突っ込んで、樹がけらけらと小馬鹿にした笑い声を上げた。
 やっと腑に落ちた。廃ホテルの日に作られたのなら、明もお守り袋があると知っていたはずだ。気を利かせて頼んでくれたのだろう。とはいえ、やはり大河が描いた護符が入っている理由は分からない。まあ問題がないのなら別に構わないか。
 下平は最後の一口を吸って吐き出しながら、今度は右ポケットから携帯灰皿を取り出した。
「ところで、暴走ってあれか? 島で襲われた時みたいな」
 火を揉み消しながら窺う。
「そう。精神的なことが影響するからねぇ。意外と大変なんだよ、陰陽師って」
 下平は、そうか、と相槌を打って携帯灰皿をポケットにしまった。
 廃ホテルでの樹たちの強さは、喧嘩レベルではなかった。明らかに武道を嗜んだ者の動き。あれほどの強さを身に付け、知識や術を学び、さらに精神的な強さまで求められるのか。心の傷を抱えつつ、しかし立ち止まっている暇はないだろう。どれだけ辛くても、樹をはじめ、寮の者たちは少しずつ、ゆっくりと立ち上がってきた。強いはずだ。
「……皮肉だよねぇ」
 不意に、樹が背もたれに体を預けてぽつりと呟いた。
「皮肉?」
 思わず聞き返すと樹はくすりと笑い、だって、と言いながら遠くを見るような目をして、空を仰いだ。
「あんなに神様に振り回された僕が、今は陰陽師だよ? 皮肉以外の何ものでもないでしょ」
 ははっ、と上げた笑い声は自嘲的だった。
 きっかけは虚構の神だったとはいえ、樹からしてみれば神と名の付くものは全てが敵に見えただろう。否定し、憎みもしただろう。それにもかかわらず、今は神の力を借りる陰陽師なんぞを生業としている。確かに、これを皮肉と言わずなんと言うのか。
「だったら、今度はお前が振り回してやれ」
 樹が顔を向けた。
「この際だ、思う存分神の力とやらを貸してもらって、さっさと犯人捕まえてくれ」
 下平がにっと不遜な笑みを浮かべると、樹は苦笑し、呆れた息をついて前を向き直った。
「簡単に言わないでよ。借りるっていっても、対価は僕たちの霊力なんだからね」
「なんだ、タダで貸してくれねぇのか」
「くれるわけないでしょ。タダで貸してくれるんだったら、霊力がなくても誰でも陰陽師になれるよ。むしろ下平さんたちが頑張ってよ、殺人事件なんだから」
「人外やら霊現象は管轄外だ」
「頼りないなぁ」
「失礼だな。情報はちゃんと渡してるぞ、っと、そうだ。一応お前らに話しておきたいことがあるんだが、里見くん遅いな」
「そういえばそうだね。どこまで行ったのかな」
 揃って視線を正面に投げた。と、
「すみません、遅くなりました」
 声が聞こえたのは正面の車を停めた方ではなく、横の道路側からだった。頭上に式神二体を携え、手に三本の缶を抱えた怜司に、樹が前のめりになって言った。
「怜司くん遅い。どこまで行ってたの」
「お前がカフェオレとか言うからだろ」
「あれ? なかった?」
「ラインナップが変わってた」
「えー? あれ、そんなに人気なかったのかなぁ? 美味しいのに」
「甘すぎるからじゃないのか。なかったからミルクティーで我慢しろ」
 自販機を回ってきたらしい。差し出されたミルクティーを、樹は不満そうな顔をして受け取った。
「下平さんは、微糖とブラックどっちがいいですか」
「どっちでもいいぞ。里見くんはいつもどっちだ?」
「ブラックが多いです。いいんですか」
「ああ。あとこれ」
 渡されたコーヒーと交換するように、下平は上着のポケットから五百円玉を取り出して怜司の手の平の上に乗せた。ここに来る前に買った煙草のお釣りだ。
「呼び出したのはこっちだからな。大した額じゃねぇけど、手間賃込みだ」
 冗談めかしに言うと、怜司はくすりと笑った。
「ありがとうございます。ごちそうさまです」
「ごちそうさまー」
 樹がおざなりに礼を言い、怜司が尻ポケットに五百円玉を落とした。
「それで、話って何?」
 聞きながら、樹は早々にプルタブを空けてミルクティーを喉に流し込んだ。下平はプルタブを開け、缶に口を付ける二人を交互に見やる。
「実は、龍之介の件なんだがな、新しい情報が入った」
 樹がぴくりと眉を跳ね上げた。一口飲んでから、下平は先にナナからの情報を伝えた。
「揉み消しですか……」
「腐ってるね」
 神妙な顔つきの怜司とは反対に、樹は冷ややかだ。反論する余地もない。
「紺野たちと当主二人には報告済みだ。それと、リンとナナの送り迎えに冬馬も同行するらしい。さすがに毎日は無理みたいだが、今日は行ってるそうだ」
「ああ、確かにその方がいいかも。廃ホテルで見た時も、智也(ともや)さんと圭介(けいすけ)さんは相変わらず喧嘩慣れしてなさそうだったし」
「やっぱお前もそう思うか」
 うん、と樹が頷いた。
「それともう一つ。お前ら、犯人が意図的に犯罪者を狙ってるってことには気付いたよな」
 二人同時に頷く。
「柴と紫苑の話を聞いた時に……」
 ふと樹が口をつぐんで逡巡した。さすが察しがいい。
「まさか、冬馬さんたちがまた狙われるって言いたいの?」
「憶測だけどな。客観的に見て、冬馬たちの行動は違法だ」
「ちょっと待ってよ。三年前のことが巻き込まれた理由の一つなら、もう終わってる。良親(よしちか)さんから全部聞いてるだろうし、あの場所には平良がいたんだよ?」
「俺もそう思ってた。けどな、あいつらの狙いが犯罪者だとしたら、あの時、他に目的があったにせよ、あいつらは犯罪者を殺し損ねたことになる」
 良親の仲間たちの身元を知っているかまでは分からないが、冬馬たちはアヴァロンで働いていることを知られている。尾行すれば家も分かる。
 忌憚なく告げた下平に、樹は眉根を寄せて舌打ちをかました。
「何それ。余計なお世話……」
 樹が中途半端に言葉を切って目を見開き、怜司が目を丸くした。
「まさか……!」
「下平さん、冬馬さんの連絡先知ってるんだよね!?」
 二人同時に今にも食いかかるような勢いで振り向かれ、下平は仰け反った。
「ああ、知ってる……」
「今すぐ電話して! 三人一緒はまずい!」
 言われて気が付いた。廃ホテルでまとめて殺害しようとしたのなら、また同じ手を使う可能性がある。犯人が冬馬たちの動向を監視しているかもしれない。一気に空気が張り詰め、下平は弾かれたように携帯を取り出して冬馬へ繋ぐ。
 耳元で暢気に鳴るコール音が苛立たしい。三度目のコールで繋がった。
「俺だ! 無事か!?」
 噛み付く勢いで問いかけると、冬馬は「えっ」と驚いた声を上げた。
「ああ、びっくりした。……ええ、無事ですよ。変わったことはありません」
 夕方に連絡をしていたためだろう、下平の言わんとすることを察した答えに、思わず長い安堵の息が漏れた。その様子に、樹と怜司もほっと脱力する。
「下平さん、どうしたんですか?」
「ああ、悪い。ちょっとな。お前ら今どこだ?」
「ちょうどリンとナナを送り届けて、店に向かうところです」
「そうか。悪かったないきなり。お前ら、お守り持ってるよな」
「お守りですか? ええ……」
 智也と圭介にも確認しているのだろう、ごそごそと布擦れの音がした。
「持ってます」
「送った顔写真は確認させたか」
「はい。あのあと、すぐに智也と圭介に送りました」
「分かった。いいな、十分気を付けるんだぞ」
「はい、ありがとうございます」
 おう、と返事をして通話を切った。余計なことを聞いてこないのは冬馬らしい。
「とりあえず一安心だな」
 いくら憶測だとはいえ油断できない状況だ。もう一度安堵の息を漏らした下平とは反対に、樹は神妙な面持ちで口元に手を添えた。
「下平さん、冬馬さんたち全員の住所が知りたい。あと、送り迎えする日にちと時間」
「なんで」
宗一郎(そういちろうさん)さんと明さんに相談して、式神に重点的に哨戒してもらう。もし下平さんたちの憶測が当たってたら、誰か捕まえられるかもしれない」
「ああ、そうか。了解」
 下平はすぐに冬馬へメッセージを作成し、気付いて手を止めた。
「そういや、店も危なくねぇか?」
「そっちは大丈夫だと思う。標的が犯罪者なら、大勢のスタッフやお客さんがいる場所では襲ったりしないでしょ。中には霊感がある人もいるかもしれない。そうなると確実に騒ぎになる。冬馬さんたちは犯人の顔を知ってるし護符もあるし、智也さんと圭介さんは一人になることないから。でも、冬馬さんは事務所にいる時は鍵開けっ放しにするんだよね。防犯カメラはあるけど、スタッフフロアには誰でも入れるから閉めとくように伝えといて」
 よくもまあ覚えているものだ。呆気に取られ、下平は「そうか、分かった」とだけ答えて再び手を動かした。
 相手が人間でないのは、(たける)にもあてはまる。少年襲撃事件から日にちが経っているのに音沙汰がないのは、やはり尊が憔悴するのを楽しんでいるか、襲う時期を窺っているか。あるいは他に狙いがあるか。
 全てにおいてこちらが受け身になっているため、確証も確信も得られないまま、ただ警戒し護身するしかない。犯人側の内情を探る手立てがあればいいのだが。
 メッセージを送り終えて横目で見やると、樹が思い詰めたような顔でじっと缶に目を落としていた。その真剣さに声をかけるのも憚られて怜司を見上げると、さあ、と言うように肩を竦められた。
 結局巻き込んでしまっていることに罪悪感を覚えているのか。それとも、守るための策を考えているのか分からない。両方だろうか。
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