第7話

文字数 4,431文字

 昨夜、熊田と佐々木に会合のことを伝えながらアパートの前に着くと、堂々と監視役の車が待機していた。
 あの時間、加賀谷はすでに鬼代事件の全貌を聞いていたはずだ。何か言われたのだろう、問い詰められることはなかったが、ものすごい疑心がこもった目で睨まれた。
 朝起きてすぐにテレビをつけると、草薙の件はさっそく大々的に報じられていた。内容はまだ曖昧な部分が多く、加賀谷のことには触れられていなかったが、これから徐々に公表されるだろう。
 昨日の一連の出来事が、胸に暗い影を落とす。
 とはいえ、ここで悲観してもどうにもならないし、目を逸らすわけにはいかない。紺野は気を取り直して朝食を摂り、洗濯を終わらせて出勤した。アパートを出ると、監視役の車がなかった。
 案の定、府警本部前はマスコミで溢れ返っていた。
 横領事件は刑事部捜査二課の担当で、報道陣にどこまで公開するかは二課と広報課が決める。そのため、むやみやたらに群がってくることはない。しかし、府警本部に設置されている記者クラブに在籍する、黒田(くろだ)という顔見知りの中年男性記者には捉まった。
「加賀谷管理官が関与してるって情報が入ってるんですけどねぇ」
 昨日、加賀谷は府警本部にいたらしいし、記者クラブにいれば小耳に挟むくらいはするだろう。とはいえ、ここで情報を漏らすわけにはいかない。探るような目付きの黒田に、なんだそりゃ、ととぼけたあとさっさと一課へ向かった。
 署内の光景は一見いつも通りだが、空気が多少浮足立っているように感じる。一課に入ると、今度は緒方(おがた)に捉まった。
「見たか? ニュース」
「ええ。さっき黒田さんに聞きましたけど、加賀谷管理官が関与しているとかって。本当ですか?」
 失笑気味に尋ねると、緒方は苦い顔をした。
「……本当なんですか?」
「みたいだな」
 嘆息と共に肯定した緒方に、紺野はわざとらしく目を丸くした。
「信じられないよな、あの人が」
 加賀谷は確かに人を寄せ付けない雰囲気ではあったが、優秀で事件に真正面から取り組むため信頼は厚かった。緒方たちの落胆は大きいだろう。課内もどことなく活気がない。
「紺野」
 不意に一課長に声をかけられた。手招きをされ、監視を巻いたことだろうかと思いながらデスク前に歩み寄る。
「おはようございます」
「おはよう。聞いたか?」
「はい」
「沢村のことは? お前、今あいつと組んでるんだよな」
「ええ。どうかしたんですか?」
 まさか沢村も関わっていたなんてオチじゃないだろうな。咄嗟にそんな考えが頭をよぎった。
「加賀谷と親しかっただろ。周辺の関係者に話を聞いてるらしくてな、今そっちに行ってる」
 飛び火したか。紺野は渋面を浮かべた。監視役がいなかったのもそのせいらしい。彼らも加賀谷の息がかかっていた。一課長は盛大に溜め息をついて椅子の背もたれに体を預け、ものすごく胡乱な目を向けてきた。
「お前、呪われてないか……?」
 いきなり何言ってんだこの一課長は。とはいえ、こうも次々と相棒や身内が事件に巻き込まれればそう思いたくもなるだろう。近くで聞いていた同僚たちから密かな笑い声が聞こえる。
「近々お祓いにでも行ってきます。失礼します」
 白けた目で適当にあしらって踵を返すと、気を付けろよ、と声がかかった。何にだと言い返したいけれど、あながち間違っていないところが複雑だ。
 あとで沢村が合流するなら、車で右京署に行かない方がいい。紺野は、北原の彼女の聞き取りに同席した(まき)と一緒に右京署へ向かった。
 車内で、事件発生当初担当していた那須(なす)管理官が再任することを聞いた。那須は、飲み会にも気軽に参加し、部下とも進んでコミュニケーションを取るタイプだ。草薙に脅されたりしなければ、加賀谷もそんな上司だったのかもしれない。
 府警本部は浮足立っていたが、捜査本部は騒然としていた。当然と言えば当然だ。
 さて。紺野は別の意味で気合いを入れて捜査本部の扉を開けた。とたん。
「紺野」
 那須から声がかかり、ざわめきがぴたりとやんだ。来たな。紺野は、すっかり慣れてしまった疑いの視線を浴びながら那須の前で足を止めた。
「お前、昨日監視を巻いてどこかへ行ったそうだな。どこに行った」
 思った通りの詰問に、紺野は那須を見返して堂々と言い放った。
「彼女のところです」
 あれから散々考えた結果、もうこれしか思い付かなかった。叱責は覚悟の上だ。静まり返っていたせいで妙に響いた声に、誰もが呆気にとられた。反対に紺野は開き直った顔で反応を待つ。
「え、お前、恋人いたのか」
 そこじゃねぇだろ。思わずこちらが突っ込みたくなる反応をした那須に、紺野は脱力した。背後から、初耳だ、いたのかあいつ、意外、という心外なひそひそ話が聞こえる。嘘とはいえ腹立つ。
「いちいちプライベートを吹聴しません。こんな状況なので巻き込みたくなかったんですが、四六時中監視されればストレスも溜まります。確かめますか?」
 ここで確かめると言われても、独身の女友達が一人いる。彼女に頼むまでだ。
 先手を打つと、那須はじっと紺野を見据えた。真偽を探るような間を開け、諦めたような呆れたような息をつく。おもむろに腕を組んでしばらく考え込み、紺野の背後に視線を投げた。
「熊田、佐々木」
 突然呼ばれた二人がはっと我に返って「はい」と声を揃えた。
「今日からこいつと組んで、再教育だ。一から叩き直せ」
「りょ、了解です」
 思いがけず都合のよい場所に落ち着いた。那須管理官ナイス判断、と紺野は心の中で拍手喝采を送る。これで会合に参加できる。少々戸惑い気味で熊田が了承すると、那須は「早く席につけ」ともう一度溜め息をついた。
 紺野は軽く会釈をして、熊田と佐々木の後ろの席に腰を下ろす。すれ違いざま、熊田と佐々木から心底呆れた視線が飛んできたので速攻で顔を逸らした。
 那須の挨拶のあと、改めて事件全体の流れや被疑者、関係者、聴取内容の確認が行われた。
 北原の携帯の通信履歴については、早々に回答が届いていた。案の定、近藤(こんどう)の件で下平と連絡を取り合っていたらしく、着信履歴の方に名前と番号が残っていた。今日中に下平へ連絡が行くだろうが、何せ刑事同士だ。事件の関係で知り合ったとか何とか、適当に言い訳はできる。またメッセージアプリの方は言わずもがな、履歴が消去されていた。ほんとにやりやがった、と紺野は口の中でぼやいた。
 そして合成映像はといえば、俳優やタレント、著名人、ゆるキャラ、はたまたアニメキャラなどいくつもの顔が流用され、最終的に現れたのは、渋谷健人だった。
 犯人が、偶然取れた映像から無作為に選んだものが健人だった、という可能性も考えられなくもないが、田代基次の件でも名前が上がっている。そんな偶然は有り得ないという意見が大半で、復讐殺人の線が濃厚とされた。健人を引き続き重要参考人とし、撮影者がいることから少なくとも被疑者は二名と断定。また、撮影日時については手動で設定したのだろうとのことだ。
 合成映像を送ってきた人物は明を知る人物、という見解は一致したが、これまでの捜査で明の周辺から健人の名は出ていない。では、明はシロで撮影者から恨みを買っていたのか、それとも仲間割れかまでは結論が出なかった。つまり、昴共々容疑が晴れたわけではない。
 もちろん、昨日の時点で明は否定したし、またこちらにも何か揉め事を抱えていたとの情報は一切入っていない。そこで、鬼代事件班の捜査員たちは、健人の身辺の再調査と明との繋がり、昴の居場所を探ると同時に、もう一度銀行口座から判明していた「顧客」らに話を聞くことになった。
「どんな些細な情報でもいい。とにかく手がかりを見つけて来い」
 再任したことで、意地とプレッシャーがあるのだろう。那須は険しい顔で強く念を押し、会議は終了した。
 ここまでくると、どんな信用もなくなるらしい。失礼を働くとでも思われたのか、顧客への聞き込みを当然のように外され、紺野は引き続き昴と健人の捜索担当になった。
 捜査員らのざわめきの中、目の前の熊田と佐々木の肩が脱力するように落ちた。
「とうとう晒しやがったか」
「ええ」
 明や健人の名前は上がっていたものの、決定打に欠けていた。そこへ来て顔を晒せば、健人への嫌疑は当然深まる。捜査員の士気も上がるというものだ。
「それにしても」
 言いながら熊田が苦い顔で振り向いた。
「お前なぁ……っ」
「すみません」
 監視巻いてどこ行ってんだ、ではなく、なんて言い訳してんだ、の意味だ。即座に謝った紺野に、熊田は全身で溜め息をついた。
「まあ、結果的に都合はいいですよね」
 佐々木が苦笑して小声でフォローする。
「ああ、まあなあ……」
 まったく、とぼやいた時、佐々木のポケットの中の携帯が着信を知らせた。
「あら、近藤くんだわ」
 着信相手を確認し、何かしらと小首を傾げる佐々木を見て、紺野はまさかと内ポケットから携帯を取り出した。
 昨日、会合と被った近藤の着信は七件。サイレントモードにしていたせいで気付かなかったのだ。しかし今はバイブにしてある。気付かないはずがないのだが。と思いつつ確認したが、一件もない。ということは、佐々木に何か用らしい。
「ええ、大丈夫よ。ええ……」
 熊田も同じように思ったらしい。携帯片手に互いに顔を見合わせる。とたん、佐々木がガタンと音を立てて勢いよく椅子から立ち上がった。ぴたりとざわめきがやみ、注目が集まる。
「それ、ほんと……?」
 驚いて見上げた佐々木は、呆然とそう呟いた。
「おい……」
 熊田が声をかけようとした間際、佐々木が弾かれたように駆け出した。
「佐々木!」
「佐々木さん!」
「待て佐々木!」
 熊田と紺野、さらに那須の制止する声が重なった。紺野が咄嗟に立ち上がり、佐々木の腕を掴んで引き止める。
「どうした」
 熊田が緊張した面持ちで尋ねると、佐々木は携帯を握り締めたまま、今にも泣きそうな顔を上げた。珍しい、彼女がこんな顔をするなんて。何があった。佐々木さん、大丈夫? と携帯から近藤の声が微かに届く。紺野は、佐々木の手の中から携帯を抜き取った。
「もしもし、俺だ。どうした」
 ああ紺野さん、あのさ、と冷静な近藤からの端的な報告を聞いて、さすがに耳を疑った。けれど、近藤の鑑定が間違っていたことは一度もないし、彼の目の付けどころは鋭い。
「ちょっと待ってろ」
 紺野は携帯を耳から離し、近藤の報告をそのまま那須へ伝えた。とたん、捜査員たちからどよめきが上がり、那須の判断は早かった。
「分かった、すぐに行って来い」
「はい」
 紺野は、行きましょうと目線で熊田と佐々木を促して、今から行くと近藤へ伝えながら捜査本部を飛び出した。
 慌ただしく捜査本部をあとにした三人を見送り、那須は眉間に皺を寄せて手元の資料に目を落とした。
「どうなってる……」
 不可解そうにぽつりと呟いた声は、収まらないざわめきに紛れて、誰の耳にも届かなかった。
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