第10話

文字数 2,524文字

 柴と紫苑のことも気になるが、今は自分のことに集中しなければならない。
 大河は、二人に断って部屋から京都の地図を借りて、パソコンと共に部屋に籠った。会合で樹に「やることが多いんだから」と言われたこともあり、書き出してみる。

1、夏休みの宿題
2、体術訓練
3、術の訓練
4、独鈷杵訓練(剣術含む)
5、真言の暗記
6、霊符の練習
7、仕事
8、報告書の作成

「死ぬんじゃないの、俺……」
 大河は両手で握り締めたノートに顔をうずめて、悲痛な声を絞り出した。さらに後回しにしていた京都の地図を覚えるという項目が加わるのだ。
 言われるがままに色々やってきたけれど、改めて確認すると、よくやってるなと思う。だがぼやいている暇はない。大河は気を取り直して顔を上げた。要領よくやらなければあっという間に時間が過ぎそうだ。
「とりあえず、報告書と宿題終わらせて、それから霊符……いや、先に地図を覚えた方がいいか。霊符は夜でもできるし、あんまり急がなくても……あっ、でも神様の役割も確認しときたいから……」
 最近独り言が増えたなと思うが、こうも多いと口に出さないとまとまらない。
 ぶつぶつ言いながら、一覧と同じページの端に順番を書き留める。報告書、宿題、神様、地図、霊符。並んだ自分の文字を見て一度息を吐き、よしと気合を入れてパソコンを開いた。ふと、積み上げられたままのプリントや問題集が目に入った。起動するまでの時間じっと見つめ、いやいやと首を横に振って手を動かす。掃除は霊符を描く前でも明日でもできる。今はこっちに集中だ。
 昨日の仕事の報告書を終え、宿題のノルマを終え、これまで覚えた真言の神様の役割の確認に入る。
 攻撃系の術を含め、真言は、正確には仏の真言だ。ゆえに、真言の構成は「仏の真言プラス現象」が正しい。だが、以前茂に真言の構成を尋ねられた時は誰も指摘しなかった。本来「神」は神道の神を指すが、人智を超えた絶対的な存在という意味もあるらしく、ひっくるめて使っているのだろう。何せ陰陽道は、陰陽思想と五行思想に、神道や仏道、道教などから影響を受けたもので、さらに確立されたのは神仏習合の時代だ。節操がないと言われればそれまでだが、ここは柔軟、あるいは懐が広いと解釈しておく。
 結界、浄化、調伏においての神の役割は影正のノートを見れば分かるが、攻撃系の神については自分で調べなければならない。携帯でもいいのだが、ここは都合よくパソコンがあるのでこちらを拝借する。
 「火天」で検索をかけて概要に目を通す。天部だの十二天だのと知らない言葉が出てきて、そこからさらに飛んで読みふける。
 土砂降りの雨が窓を叩き、庇から地面に流れ落ちる雨水の音がとめどなく届く。時折エアコンが思い出したように冷えた空気を吐き出し、また静かになる。
 水天も検索し、しばらくして、大河は息を吐き出しながらパソコンを閉じた。そして少々呆れた顔で、ぼそりと呟いた。
「日本人って、ほんとこじつけるの好きだな……」
 水天は仏教における仏だ。それが神仏習合時代に、水に関わりがあるからと、神道の神である天之水分神(あめのみくまりのかみ)国之水分神(くにのみくまりのかみ)と習合した、というのだ。この二柱は水の分配を司り、雨乞いの対象や田の神とされる。さらに「みくまり」の発音が「御子守(みこも)り」と通じ、子供の守り神や安産の神としても信仰されるようになったらしい。
「みくまり、みこもり……えー……?」
 真言に入っていても言い間違わないと思う。昔の人は創造力が豊かだ。陰陽術を学んでいる立場としてこんなことを言うのは気が引けるが、そもそもの話し、何故二つの宗教を合わせようと思ったのか分からない。別々のままでは駄目だったのだろうか。神と仏はさぞや首を捻ったことだろう。それとも微笑ましく見守っていたのだろうか。
「神様だしな……」
 人智を超えるのが神だ。自分ごときが思考を読めるはずもない。
「よし、そろそろ休憩」
 大河は背筋を伸ばし、組んだ両手を上げて伸びをした。報告書に宿題に神様の役割。自分的にはかなり頑張った。あとは地図と霊符だけだ。
 地図を覚えるのにそう時間はかからないだろうが、問題は霊符だ。せっかく用意してくれた筆や墨はまだ手付かずのままで、霊符の和紙も半紙だ。紺野たちへ渡したお守りは明の護符も入っている。忌々しくも平良には効かなかったが、少しでも足しになって、彼らを守ってくれればいいけれど。
「北原さん、大丈夫かな……」
 皆は事情を知らされていないから、見舞いに行きたくても行けない。
 大河は憂い顔で凝り固まった肩をほぐしながら、何となく京都市の方の地図をケースから取り出した。一枚のシートタイプの地図。ふと、青い印が目に付いた。何だろう。
 椅子から立ち上がり、ベッドの上に広げる。青い丸で囲まれた京都駅。同じように、晴明神社をはじめとしたいくつもの観光名所や施設に印が付けられており、河川や山には緑色、上京区や中京区などの区にはピンク、主要道路は黄色の蛍光ペンが引かれている。
 さすがに柴と紫苑が付けたとは考えにくい。と、茂の言葉を思い出し、大河はケースをひっくり返した。発行年月日は一年前。
「……美琴ちゃんかな」
 美琴が寮に入ったのは一年前。そして春平が言っていた。彼女の出身は神戸だと。もしかして、寮に入ったと同時に京都に来たのだろうか。だとしたら、この印にも納得がいく。
 先日の、美琴の苦しむ姿が脳裏に蘇った。
 過呼吸を引き起こすほどのトラウマ。あれはどう考えても――。
 大河は落ち込みかけた気持ちを振り払うように、頭を振った。やっぱり、矛盾している。
 内通者がいると確定し、一体誰だろうと思う気持ちはもちろんある。けれど、信じたいという気持ちも同時に自分の中に存在する。隗を許せない、けれど解放してやりたいと思う、相反する気持ちと似ている。
 どちらかに振り切れれば、楽になれるのだろうか。雅臣や健人たちは今、どんな気持ちなのだろう。
 大河はベッドに腰を下ろし、地図を眺めた。
 寮の場所を起点に覚えた方がいいかな、と思って目を滑らせると、すでにそれらしい場所に印が付けられていた。塗り潰された赤い丸。大河は一人笑みを浮かべ、助かる、と小さく呟いた。
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