第17話

文字数 2,569文字

 近藤が黙ったままでいることを確認して、男は続きを口にした。
「俺の両親は研究員だ。病理と薬理に携わっている。人の役に立つ仕事をしてる両親は俺の自慢で、尊敬していた。だから俺もと、子供の頃から同じ道を志した。だが、まったく同じじゃ面白くない。そう思っていたある日、定期購読していた子供新聞に仕事特集が組まれていた。それが、科捜研だ。読者から質問を募集し、実際に科捜研で働く研究員が答えるというものだった。小説やドラマとの違いや、実際に行われている鑑定方法に機器。読んでいてわくわくした。それから、科捜研のことを色々調べたんだ」
 わずかに、男の表情が和らいだ。視線を落とし、昔に想いを馳せているような面持ちだ。
「現実の科捜研は、地道で地味だ。けど、微細な付着物や遺留品から犯人へと繋がる証拠を見つけ出し、それが事件解決の糸口になる。時には決定打となるんだ。自分の知識や技術が、犯人を追いつめる。想像しただけで興奮した。いつか俺も自分の鑑定で犯人を追いつめてやる。そして、自慢してやるんだってな」
 途中まではいい話だったのに、最後の最後でとんでもないことを口にした。何だって?
「だから科捜研を目指した」
 だからじゃないよ。
 つまり、家族と同じ研究職であり、人に自慢できるから科捜研を目指したのか。頭痛も忘れてぽかんとする近藤の心情を知ってか知らずか、男の口は止まらない。
「俺は、子供の頃から優秀だった。自分でも自覚してたし、回りの評価もそうだった。友達も優秀な奴ばかりだ。科捜研に入ると言ったら、皆応援してくれた。期待もしてくれた。世のため人のためになる仕事はやりがいがある、頑張れと。けど、残念ながらその年に募集はかからなかった。こればかりは仕方がない。だから俺は、とある企業の研究職に就いて待つことにした。そして二年後、やっと京都府警で法医科の募集がかかった。その年は他の県でも募集がかかっていて、同時にそっちも受けた。当然合格さ。ただ、面接日が重なってな。やっぱり故郷で活躍したいだろ。ずらせないと言われて、仕方なくそっちは辞退して京都府警の面接に臨んだ。そしたら――」
 両親は病理と薬理、本人は法医科、京都府警――まさか。いやでも、そうとしか思えない。
 一つの可能性が思い浮かび近藤が目を細めると、男はついと視線を上げた。
「不採用だったよ」
 真っ直ぐ向けられた視線から逸らすことなく、近藤は男を見つめ返す。耳が痛いほどの静寂が落ちた。
 やがて、男が再び口を開いた。
「絶対に受かると確信していた。研究職の経験があって、実績もある。即戦力になる。企業だろうと警察だろうと、そういう人材を欲しがるのは同じだろ。でも不採用だ。意味が分からなかった。回りの奴らは、面接官に見る目がなかった、相性が悪かった、また次があると言う。そうだ、特別京都府警にこだわっているわけじゃない。だから次の年は大阪府警と兵庫県警を受けたが、また不採用だった」
 はっ、と男は息を吐き出すように嘲笑気味に笑った。
「そのうち、周囲の奴らの態度が変わった。口では励ましても、目が憐れんで蔑んでるんだよ。可哀想な奴だ、こいつは駄目な奴だ、自分より格下だってな。家族も次第に目を合わせなくなって、職場の奴らは陰でこそこそ嘲笑う。あれだけ大口叩いておいて結局どこも受かんねぇじゃねぇか、自分一人で成果出した気になってるからだよってな。無能どもが、滞ってた研究を進めてやった恩も忘れてよく言うよな。酷いストレスで体調を崩すようになって、徐々に視力が落ち始めた。そしてある日、視界の中心が真っ黒になった」
 中心性漿液性脈絡網膜症(ちゅうしんせいしょうえきせいみゃくらくもうまくしょう)か。
はっきりした原因は分かっていないが、ストレスや寝不足などにより、網膜の中心部にある黄斑付近にむくみを引き起こす病気だと言われている。局所的な網膜剥離の状態となり、男のように視力低下や視界の中心部が黒や白く見えたり、ものが小さく見えたり、歪んで見えるという症状が出る。働き盛りの三十代から五十代に多く発症し、しかしほとんどは自然に治癒することが多い。ただし、再発を繰り返すこともある。
 男の場合、継続的なストレスや不眠などにより再発、治癒しなかったのだろう。レーザー治療や服薬という治療法があるが、診察を受けなかったようだ。
 理由は、おそらく自暴自棄、といったところか。そして片目を隠しているのは、ものが視界に入ると不快だから。
「視界に異常が出れば、研究なんかできねぇ。俺は仕事を辞めた。友達には、府外の科捜研に受かったって言ったよ。だってしょうがねぇだろ。これ以上憐れまれるなんてごめんだからな。俺は今、京都にいないことになってる。そして考えた。どうしてこうなったのか、何が原因だったのか、どこで間違えたのか。毎日毎日、来る日も来る日もずっと、ひたすら考え続けた。考えて考えて――やっと分かった」
 男は言葉を切り、近藤を凝視したままゆっくりと組んだ足を下ろした。
「面接の時のことを覚えているか?」
 思った通りだ。科捜研の採用試験は、筆記試験の「合格」を経て、適性検査や面接ののちに「採用」される。つまり、合格イコール採用ではない。しかもあの年の枠は法医科一人。面接会場に行って、適性検査を受け、係員に案内された時、他に三人の受験者がいた。だが、自分のことでいっぱいいっぱいで、他の受験者の顔など覚えていない。
 近藤は何度か瞬きをした。
「あの時の三人のうちの一人が、あんた?」
「そうだ」
 つまり、採用された近藤を恨んだ末の犯行だったわけだ。
 何それ。近藤はぐっと奥歯を噛み締めて堪えた。
 公正に試験を受けた結果なのに恨まれるなんて、理不尽にも程がある。面接で何をどう答えたのかは知らないが、適性検査で極端な結果が出ずとも、直接顔を合わせて言葉を交わせばおのずと本性は見抜かれるものだ。
 自慢したいと言ったことといい、高すぎる自尊心やプライド。同僚たちの陰口の内容を聞けば、男が普段からどんな態度を取っていたのかよく分かる。そういったものが滲み出ていたのだろう。
 幼い頃からちやほやされて育ち、自分は優秀だと信じて疑わないゆえに、挫折した原因を人になすりつける身勝手さ。自分は優秀だと言い聞かせ、奮い立たせる分にはいいかもしれないが、ここまでくると滑稽だ。
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