第18話

文字数 3,472文字

「他に質問がなければ、次だ。そ……晴。例の術は?」
「あー、はいはい。仰せの通りに。死ぬ気で会得したぜー」
 自慢げに言って、晴はどっこらしょと腰を上げた。
「全員、縁側へ」
 宗一郎も携帯を手に腰を上げ、縁側へ出る晴に続く。
「例の術って、もしかして新しい術?」
 誰もが不思議そうな顔をする中、樹だけがうきうき顔で小走りに縁側へ向かう。
 広いとはいえ、この人数では全員並べない。晴は庭へ下りて縁側を向き、前列は陰陽師ら、後列に柴と紫苑、式神、刑事組が並ぶ。
「いいぞ」
 宗一郎の合図で、晴がゆっくりと深呼吸をした。すっと右腕を持ち上げ、人差し指と中指を揃える。すぐに指先が黄金色に包まれた。
「どうなってんだ?」
 後列の刑事組が、困惑顔を浮かべる。下平のぼやきに答えて実況を始めたのは、隣にいる左近だ。
「指先に、霊力が集まっている状態だ」
青龍(せいりゅう)白虎(びゃっこ)朱雀(すざく)玄武(げんぶ)勾陳(こうちん)帝台(てんたい)文王(ぶんおう)三台(さんたい)玉女(ぎょくにょ)
「真言を唱えながら五芒星を描き、周囲を囲む。本来は、九字結界と呼ばれる基本的な結界の真言で印と共に唱えるものだが、この術はその応用だ」
 へぇ、と刑事組が見えないながらも受ける説明は、前列に並ぶ大河たちの耳には届いていない。皆、一挙手一投足を見逃すまいと、目の前で行使される術に集中している。
 晴が、眼前に描かれた黄金色の結界を眺め、満足げに頷いた。そして結界を伴って指を地面に向けながら、ゆっくりと片膝をついてしゃがみ込んだ。全員の視線が導かれるように移動する。晴が五芒星の真ん中の穴に指を突っ込み、地面に触れた。
触地印(そくちいん)
 いつもより明瞭にゆっくり唱えると、五芒星がすうっと地面に吸い込まれた。と思ったら、今度は地面から浮き出てきた。吐息のような、驚きと不思議そうな声が漏れる。
(けつ)
 さらにもう一言告げて晴が地面から指を離すと、五芒星を囲っている円がせり上がり、ドーム状を形成した。
 目の前で起こった初めて目にする現象を理解する前に、宗一郎の解説が入る。
「見たとおり、平面の結界を立体型に再形成する術だ。描いた五芒星は結界としても使えるが、印を結んでいない分、強度はかなり落ちる。おすすめはしない。それと、地面に五芒星を刻んだあと、霊力を注げば大きさは自由に変えられる。晴」
 宗一郎は懐を探りながら晴を呼び寄せた。
「まずはこの触地印を会得し、感覚を体で覚えてもらう。次にこちらだ。よく見ておきなさい」
 そう前置きをされ披露された術に、正直、目を疑った。
 刑事組を含め、たった二言で発動した術がどういうものか一目瞭然だ。それほど明確で分かりやすく、けれど同時に、思考が停止するほどの恐怖を覚えた。降り注ぐ日差しは肌を焼き、けれど背中には冷たい汗が伝う。
 空気が凍りついたような静寂に、蝉の鳴き声だけが妙に大きく響く。普段なら大興奮するだろう樹ですら、目を見開いたまま身じろぎ一つしない。
 晴は安堵の表情で息を吐き、唯一、宗一郎と宗史、携帯の中の明と陽だけが平常心だった。
「――本来」
 不意に宗一郎の声が耳に届き、はっと我に返る。
「この術は、両家の当主と次期当主のみに口伝で伝えられる秘術だ。しかし、今回は特例としてお前たち全員に会得してもらう。ただし、口外はもちろん、全ての媒体において記録を硬く禁ずる。破った者はそれ相応の処分を受けてもらうから、そのつもりでいなさい」
 はい、と呆然とした返事がぽつぽつと返される。
「宗一郎さん」
 樹がゆっくりと宗一郎を振り向いた。その面持ちと強い眼差しは、平常心を取り戻している。
「あえて聞くけど、これ、解く方法は?」
「ない」
 間髪置かずに断言され、誰もが息をのむ。
 ならばこの術は、陰陽師にとって最強であり、最凶だ。ただ――。
「詳細はあとで宗史と晴から聞くように。それと、先程の触地印だが、印を省く代わりに大地の神の力を借り行使する術だ。土属性である茂さん、大河、香苗はもちろん、弘貴」
「あっ、はい」
 唐突に名を呼ばれ、弘貴は姿勢を正した。
「火天の次に相性がいいのは、地天だったな」
「はい」
 火属性で地天と相性がいい。大河と逆だ。
「四人は、会得するのにそう時間はかからないだろう。期待する」
「はい」
 顔を引き締めた四人の返事が、見事に揃った。
 あの術は危険だ。しかし同時に、切り札にもなる。何があっても会得しなければならない。
 よし、と拳を握り締めて密かに気合いを入れる弘貴につられるように唇を結んだのも束の間、苦笑する春平を見て、大河はわずかに眉を寄せた。
「他に質問がなければ、これで会合は終了だ。解散」
 口を開く前に終了の号令がかけられてしまった。お疲れ様、と互いを労いながら散っていく皆を、大河はあたふたとしながら見送る。
 弘貴と春平はトイレへ向かい、他の皆はさっそく庭へ下り、志季はやれやれといった顔で腰を下ろした。右近と左近は、携帯をのぞく宗一郎のあとを、刑事組はまだ少し余韻を引き摺りながらも「とりあえず連絡を」と打ち合わせながらリビングへ戻っていく。
 一緒に住んでいるのだから、これを逃せば最後というわけではない。けれど、先延ばしにすればますます気まずくなるし、してはいけない。そもそも、樹と怜司にも言っていない。
「あのっ!」
 意を決したように声を張った大河に、皆が足を止めて振り向く。一斉に視線を向けられ、一瞬怯んだ。
「大河、どうした?」
 縁側の前から宗史が声をかけた。大河は視線を落として「あの」と口ごもり、ぐっと奥歯を噛み締めた。しっかりしろ、と自分を鼓舞し、きちんと顔を上げてぐるりと皆を見渡す。そして。
「すみませんでした」
 藪から棒にとはこのことだ。唐突に謝罪と共に勢いよく頭を下げた大河を、誰もが虚をつかれた顔で見つめる。
「皆のこと、疑って……その……」
 残念ながら春平はよそよそしいけれど、他の皆はいつもと変わらない態度だ。皆のことを信じたいと思ったし、個人的には弘貴や春平、茂は違うと判断した。それでも、疑っていたことに変わりはない。皆が気にしている、していないではなく、ちゃんと謝らなければ。
 なかなか返って来ない返事に、大河はきゅっと唇を噛んだ。今さらとか思われているのだろうか。
「なにお前、そんなこと気にしてたのか?」
「――え?」
 晴れた秋空のようにカラッとした口調だった。大河は目を丸くして顔を上げた。視線の先には、不思議そうな顔をした弘貴と春平。
「疑って当たり前の状況だったんだから、しょうがねぇだろ。俺ら誰も気にしてねぇって。な?」
「うん」
 同意を求められた春平がすんなり頷き、茂たちも次々と苦笑いと共に首を縦に振る。
「じゃ……」
 じゃあ、なんで。そう、思わず大河が口にしようとした時、玄関チャイムと共に「ちわー」といつもの宅配業者の元気な声が届いた。
「あ、僕行きます」
 春平はひらりと身を翻した。
 小走りにリビングを出る春平と、ぽかんとした顔で見送る大河を交互に見やり、弘貴がにかっと笑った。
「もし逆の立場だったら、誰だって疑うだろ。だから気にすんなって。お前ちょっと気にしすぎじゃねぇ?」
 屈託なく笑う弘貴から、大河はわずかに眉を寄せて視線を逸らした。皆の態度を素直に受け取るなら、そうかもしれない。しかし、じゃあ春平の態度は何なのか。
「俺と同じで難しいこと考えるのむいてねぇんだからさ、今はできることに集中しようぜ」
 その理屈は少々複雑だが間違っていない。
「うん……」
 大河がぎこちない笑みで曖昧に頷くと、弘貴がよしと相槌を打ってぶるっと体を震わせた。
「そうだ、トイレトイレ」
 宗史たちへそう言い置いて、漏れる漏れる、と一人ごちながら弘貴はリビングを飛び出した。
弘貴の言うとおり、以前、考えすぎかもしれないと思ったことがある。でも、どうしてもあの時と同じとは思えない。春平は、自分を避けているようにしか見えないのだ。
「大河」
 宗史に声をかけられて、大河は我に返った。
「説明するぞ」
「あ、うん」
 おいでおいでと茂と華に手招きをされて、大河は訓練用のスニーカーに足を突っ込んで庭へ下りた。
「大河くん、僕たち全然気にしてないからね」
「そうよ、弘貴の言うとおりよ」
「そうですよ。気にしていません」
「あたしも、全然気にしてないよ」
 茂、華、夏也、香苗に囲まれて、入れ替わるように届いた春平の声に振り向く。段ボールを抱えている。取り換え用の電球だろう。
 届いたか、と宗一郎たちに声をかけられた春平の顔には、いつもの笑顔が浮かんでいる。大河はわずかに眉尻を下げ、振り切るように前を向いた。
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