第12話

文字数 2,282文字

 数十メートル先に「伊吹山一等三角点」と刻まれた木製の四角い柱が建っている。側には見落としてしまいそうなほど低い四角形の石の柱が埋め込まれ、上部に十字が刻まれている。説明書きによると、地図や道路、橋などを建築する際の測量に使用するそうだ。これをどう使うのか分からないが、何やら大切な物らしいということだけは分かる。
 晴はざっと辺りを見渡した。北側にも何もないことを確認し、再び走り出す。
 やがて見えた「殉難之碑」と刻まれた石碑は、網が張り巡らされた崖から数メートル手前にぽつんと建っていた。足元を石灰岩に囲まれ、ここを起点に下へ向かって杭が打ち込まれ通路が確保されている。おそらく下山専用の東遊歩道だろう。網が張られていることといい、この先は急勾配の坂になっているはずだ。
「ここまでか」
 一人ごち、手早く殉難之碑に結界を張って踵を返す。陽が言ったようにこちらには何もないが、注意しなければ、足を滑らせるかロープに引っ掛かって真っ逆さまだ。しかもあちこちに石灰岩が顔を出している。頭をぶつけでもしたらそこで終わりだ。それだけではない。何もないということは、戦いの最中に身を潜める場所がないということだ。
 山頂の配置を簡単にまとめると、こうなる。米粒のような敷地の西側三分の一に建物が密集し、残り東側三分の二が起伏のあるだだっ広い広場。そして敷地から外に出た時点でゲームオーバーだ。人外は別だが。
「伊吹山一等三角点」まで戻るとすっかり辺りは闇に飲まれ、眼下に広がる街は明かりが灯り、頭上は満天の星と細い月が輝いていた。そしてもう一つ。
「あいつはほんとに……」
 思わず溜め息が漏れる。
 夜空を飛びまわる三匹の真っ赤な鳥は、言うまでもない。朱雀――いや、朱雀もどきだ。全長一メートルほど。全体的に丸みを帯び、首はほとんどなく、くちばしは小さく、本来とさかがあるはずの頭はつるんとしている。細かいことが苦手なのは知っているが、こんな時くらいもっと気合いを入れて形成できないのか。
 呆れ顔で戻ってきた晴を、志季は自慢げに笑い、陽は苦笑いで出迎えた。
「なかなかの出来だろ?」
「尻尾の長いでけぇ雀にしか見えねぇわ」
「はあ!? どう見ても朱雀だろ、お前の目は節穴か!?」
「節穴はお前の方だろうが。あれは誰が見ても雀にしか見えねぇ」
 息を整えるついでに、盛大に溜め息をついてやる。
「まあまあ、兄さんも志季も落ち着いて」
 陽が苦笑いで仲裁に入った。
「雀だろうが烏だろうが、使いは使いですから。あれはあれで可愛いよ」
「陽お前、それでフォローしてるつもりか……?」
 朱雀には見えないと追い打ちをかけたようなものだ。怒りに肩を震わせて問うた志季と、目をしばたかせて小首を傾げた陽に思わず頭を抱えたくなった――と。
 志季が弾かれたように振り向いた。西。琵琶湖の方角だ。
「お出ましだ」
 晴と陽が独鈷杵を取り出して霊刀を具現化し、朱雀が旋回をやめて空中飛翔した。志季の視線を辿って目を凝らす。ぽっかりと開いた巨大な穴から、黒い影が這い出るように街の明かりを飲み込んでゆく。琵琶湖から街へ向かって、悪鬼が上空を飛んでいるのだ。
 飲み込まれた街の明かりが悪鬼のしんがりから順に顔を出し、再び夜の景色を彩る。ゆっくりと移動しているように見えるが、実際にはかなりのスピードだろう。
「誰か分かるか?」
「いや。この距離だと無理だな。邪気も強すぎる」
 志季は眉をひそめて忌々しげに舌打ちをかました。
「どのみちお互い隠れる場所なんてねぇんだ。あっちの丘に移動して迎え撃つ」
「了解」
 志季と陽が硬い声で応じ、三体の朱雀と一緒に素早く身を翻した。晴はちらりと眼下を一瞥し、二人に続く。
 斜面を下り、通路を横切って丘を駆け上がる。不意に、ぞわっと全身の毛が逆立つようなおぞましい邪気が感覚に触れた。ものすごい速度でこちらへ向かって来る。
 頂上に到着し、再び振り向いて警戒する。横一列に並び、それぞれの肩に一体ずつ朱雀が止まった。
 普段なら、夜空に浮かぶ月と無数の星々に照らされて、静かに眠りにつくのだろう。けれど今は違う。闇と静寂の中、あるのは異常なほどの緊張と警戒。それと、徐々に濃くなるこの世のものではない気配。どこかでがさっと草木を蹴る音がした。野生動物が悪鬼の気配を察知して逃げ出したのだろう。
 次第に遠ざかる草木を掻き分ける乾いた音と比例して、邪気はぐんぐん近付いてくる。そして――。
「来たぞ!」
 志季が叫び、朱雀が一斉に飛び立った。とたん、西側の斜面から勢いよく悪鬼が飛び出してきた。まるで真っ黒な壁が下からせり上がってきたかのような、巨大な悪鬼。
「またずいぶん集めやがったなぁ、おい」
「ご苦労なことで」
 思わず目で追いながら晴と志季が引き攣った顔で軽口を叩き、陽がごくりと喉を鳴らした。
 目の前で暗幕を上から勢いよく引っ張り上げられているような光景は数秒続き、上空では形を変えた悪鬼がとぐろを巻いて頭上を覆う。と、不意に途切れた。と思ったら、今度は四足の大きな動物が西側の斜面から飛び出してきた。大きく綺麗な弧を描いて、晴たちの頭上を飛び越える。
 合わせて晴たちも体ごと向きを変え、着地したのは、広場の北側。
 よいしょ、と掛け声とともに彼は大きな犬の背から飛び降りた。すぐさま犬の周りに渦巻いた白い煙が現れ、縦長へと形を変える。
 もう、相手が誰か確認するまでもない。
 あっという間に犬が人へと変化し、二人が同時にこちらを振り向いた。
「こんばんは。お待たせしました」
 そう言って、楠井満流はにっこりと笑った。
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