第10話

文字数 2,114文字

      *・・・*・・・*

 元伊勢内宮皇大神社(もといせないぐうこうたいじんじゃ)は、京都府の北側に位置する福知山市にある。
 観光としては、明智光秀が初代当主であった福知山城が有名で、もみじ寺として有名な長安寺、あじさい寺と呼ばれる観音寺。また、皇大神社を含めた福知山市の元伊勢三社、外宮の豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)、奥宮の天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)がある。「元伊勢」は、天照大御神が伊勢に鎮まる前に一時的に祀られた神社や留まった場所を指し、奈良、和歌山、大阪、三重、滋賀など、多く点在する。また、天岩戸神社は岩盤の上に建立されており、参拝するには備え付けの鎖を自力で登る必要がある。高さはそうないが、ごつごつとした岩場で足元に渓流があり、ちょっとしたスリルを味わえる。
 かつて丹波国(たんばのくに)の一部だった福知山市は、現在でも丹波地方と呼ばれ、特産品は丹波栗、丹波黒豆、丹波漆、手すき丹後和紙など、食品や工芸品など様々だ。そんな中、大河の気を引いたのは。
「みたけ牛とか鴨鍋!」
 肉だ。
「鴨鍋か。いいな」
「のんきに鍋をつついている場合ではなかろう。観光ではないのだぞ」
 即座に左近に突っ込まれ、大河は携帯片手に唇を尖らせた。
「だって、俺京都に来て観光してないし」
「気持ちは分かるが」
「あっ、じゃあこれは? ゴム焼きそば」
「人の話を……何だ、そのけったいな名前の焼きそばは」
 食い付いた。ということで、夕飯は福知山市内でゴム焼きそばなるものとなった。
 言うまでもないが、ゴムで出来た焼きそばではない。七十年ほど前、市内のとあるお好み焼屋の主人が、中国の広東麺の味が忘れられないと帰国してから再現、アレンジし、その調理する前から茶色い見た目と、弾力がゴムに似ていることから命名された。テレビや新聞やネットで紹介され、福知山市のB級グルメとして認知されたが、今では提供する店が減り、地元民でも知らない人がいるレアなソウルフードになってしまっているらしい。
 そんな話をしてくれたのは、市内の鉄板焼き屋の女将さんだ。いかにも「何代も続いている地域のお店」といった佇まいで、カウンターだけの小ぢんまりした店舗。夕飯には早い時間だったため、常連の男性客が一人いたくらいだ。大河たちを見て「おう、またえらいイケメンが来たな」と笑いながら出迎えてくれた。俺は入ってないんだろうな、などと卑屈にならない程度には、もう慣れた。
 大河が山口から来たと知るや否や「うす焼き」を薦め、あちこち観光名所を教えてくれた。「うす焼き」とは、古くから福知山市で食されているお好み焼らしい。生地が薄く、キャベツの代わりにネギ、すじ肉、ちくわなどを入れて焼き上げる。この辺りでは、大阪風のお好み焼きを「あつ焼き」と呼ぶらしい。
 アットホームな雰囲気と気の良い常連のおじさんのおかげで、楽しい夕飯の時間を過ごせた。ちなみに、うす焼きはおじさんの奢りだった。
 おじさんと女将さんに何度も礼を告げて店をあとにし、コインパーキングへ向かう。
「美味しかったぁ。あのもちもちした触感、癖になりそう」
「確かに、食べ応えがあったな」
「うす焼きとやらも美味かったぞ。キャベツではなくネギというのが良いな。すじ肉と相性がいい」
 観光ではないとか何とか言ってたくせに。大河と宗史は、満足そうな顔の左近に苦笑いした。
「それにしても、気前のいいおじさんだったね。得した」
「この街が好きで堪らないって感じだったな」
「女将もそうだが、二人とも良い霊気だったぞ」
「霊気?」
「お前たちが言うところの、オーラだ」
「あー」
「温かく、穏やかだった」
 そう言って、左近は表情を緩めた。
 誰もが持っていて当たり前の負の感情。彼らにも、きっと嫌なことがあったり落ち込んだりする日があるだろう。けれど、温かく穏やかな気分でいられる時間や場所がある。そんなふうに人は負の感情をコントロールしながら生きているのだと、昔影正が語ってくれたことを思い出した。
 車に乗り込み、シートベルトを締めながら宗史が言った。
「さて。気持ちを入れ替えないとな」
「うん」
 観光気分は終わりだ。大河は、スイッチを切り替える気分でシートベルトを締めた。
 福知山市内から北の方角にある、大江町へ向かう。大江山の麓に広がる町で、酒吞童子伝説が残る地域だ。一方で、例の首塚がある大枝山という説もある。
 現実的な話をすれば、大江山は鉱山で、民はその技術により富を蓄えていた。それに目を付けた朝廷が武力で支配下に置き、自らを正当化するために大江山の民らを「鬼」に例えたのが酒吞童子伝説ではないのか、あるいは、山賊化し非道な行いをした帰化人(古代に渡来し日本に住み付いた人々、または子孫)の事を指しているという説もある。
 本当のところは分かっていないが、町中は鬼にまつわる場所が多々存在する。
 日本の鬼の交流博物館、大江山八合目にある鬼嶽稲荷神社(おにたけいなりじんじゃ)、鬼の足跡、鬼ヶ城、府の天然記念物に指定されている樹齢千二百年とも言われるヤマフジなどなど、見どころは満載だ。
「何か、やけに酒吞童子と縁があるなぁ……」
 町の風景を眺めながら、大河はぼそりと呟いた。成り行きとはいえ、童子切安綱を使っているせいだろうか。いや、宗一郎の差し金かもしれない。
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