第9話

文字数 2,276文字

「戻ってこねぇな」
「戻ってこないな」
「戻ってこないねぇ」
 脱走三人組が大通りに出た頃、晴、宗史、樹が縁側に並んで腰を下ろし、のんびりと同じ台詞を呟いた。そんな暢気な三人の横で、怜司が深々と溜め息をつきながら縁側で腰を上げた。ローテーブルで柴と紫苑の着物を広げ、どう繕おうかと思案していた夏也が、顔を上げて怜司の背中を追いかける。
 怜司はリビングの扉を開け、一歩踏み出したところで足を止めた。わずかに眉を寄せて振り向く。
「おい、玄関開けたまま行ったみたいたぞ」
 そう言い置いて、怜司は扉を閉めにリビングを出た。
「やっぱり。やると思ったんだよねぇ」
「つーか、なんで開けっ放しなんだよ」
「予想を裏切らないな、あいつら」
 樹、晴、宗史は苦言を漏らしながらも動こうとしない。夏也が立ち上がり、縁側に出てきた。
「いいんですか?」
「構いません、想定内です。晴、GPSは?」
「動いてねぇな」
「ほんとに携帯置いて行ったんだね。現代っ子にあるまじき判断」
 後ろ手をついてけらけら笑う樹に、晴が胡乱な目を向けた。
「お前いくつなんだよ。最近言動がジジ臭ぇぞ」
「えっ、ほんと? 怜司くんのジジ臭さが移ったのかなぁ」
「誰がジジイだ。絞め殺すぞ」
 玄関から戻り、背後から見下ろし悪態をついた怜司を、樹が首を逸らして見上げた。
「どうだった?」
「大河の靴もない」
 やっぱりあいつもか、と晴が溜め息を漏らし、樹は実に愉快そうな笑い声を上げた。
「でも、三人一緒に出たとは限らないよね。大河くん迷子になってないかな」
「子供じゃないんだ。あいつなら人に聞くくらい簡単だろ。それで、どうする? 志季か椿を行かせるか?」
 怜司はその場で胡坐を組み、夏也が正座をした。
「いえ、このまま行かせます。大河たちは柴と紫苑が監視していますし、右近が香苗の自宅近くで待機しているので問題ありません」
 夏也が目をしばたいた。
「右近が……、三人で、お話をしている時に?」
「はい。一旦出たふりをして見張って欲しいと頼みました」
「そうでしたか」
 夏也は安心したようにほっと息をついた。
「さすが宗史くんだねぇ」
「あいつらが単純なんです。晴、明さんに報告を。樹さんと怜司さんは皆に」
「りょーかい」
「分かった」
 晴と樹が揃って間延びした返事をし、怜司は至って冷静に了承し携帯を操作する。
 宗史は宗一郎へメッセージを送りながら、小さく息をついた。
 春平はともかく、香苗のあんな過去を知って大人しく待つような大河と弘貴ではない。だから、やるだろうなと思ったら本当にやった。説教も処分も覚悟のうちか。
 罠かもしれないことは全員が気付いている。あのまま弘貴と春平を哨戒に行かせても、はじめから三人を行かせても茂たちから指摘と反発が出た。それに対して大河たちが反論することも目に見えている。議論する時間はない。だからあえて抜け出すだろう三人を残した。
 これが罠である確率が高ければ、志季と椿に大河たちを監視させ、哨戒メンバーに樹と怜司を加えていた。当然、低くても危険はあるし、ましてや内通者と二人きりになる状況を作るのはさらに危険だ。それでも戦力を分散させ、茂たちを行かせたのは、柴と紫苑、式神がフォローにいるのはもちろんだが、先に起こった事件と同じく、内通者自身は動かないと踏んだからだ。
 現在、寮の者は全員がまだ成長途中にある。特に大河は成長速度が速い上に伸び代が大きく、いつどの程度成長するか計りかねるほどだ。内通者の役目は、あくまでも敵情視察。できる限り実力を把握するためにも、時期が来る直前まで寮を離れるわけにはいかないだろう。そうなると、もし襲撃を受けたとしてもこちらの「味方」として応戦する。相手にもよるが、逃げるくらいはできる。
 加えてもう一つ狙いがある。彼らの、主に学生組の経験値向上だ。
 弘貴と春平は、小さな仕事を何度も経験しているが、それでもやはり樹たちに比べると圧倒的に足りない。美琴は、実力は学生組の中でも頭一つ分抜きん出ているが、寮に入って一年。経験値はかなり少ない。また昴も同じで、実力に問題はないが経験値は成人組の中では心許ない。夏也をどうするか迷ったが、後方支援ならば十分な経験があるし、もし事態が大きくなった時に双子を見る者がいないと困る。
 柴と紫苑に閃と右近。戦力は十分整った中で罠だった場合、司令塔となる樹と怜司がいない状況で、彼らがどう判断し動くか。
 試しているという意味では、さして宗一郎と変わらないことをしている。
 そんな自分に少なからず嫌悪しているのは、彼が対処を丸投げしてきた時点で、この一件が罠ではないと暗に証明されたことが分かっているからだ。もちろん、鵜呑みにするつもりはない。内通者がいる限り、この状況をどう利用されるか分からない。
 しかし、宗一郎の判断があったからこそ、樹たちをメンバーから外したのも確かだ。
 大河から連絡が入って、それほど時間は経っていなかったはずだ。そんな短時間で正確に状況を把握し、答えを導き出せる聡明さと判断力。
 何度目の当たりにしても――。
「……憎たらしい」
 ぼそりと低い声で呟いた宗史に、晴がわずかに身を引き、連絡が終わった樹と怜司、夏也が視線を投げた。
「え、何だよいきなり。怖ぇんだけど」
 慄きながら、宗史が目を据わらせて睨み付ける携帯を全員が覗き込む。そこには、いつか大河にも送られていた、可愛らしくデフォルメされたウサギが「頑張れ」と横断幕を掲げたスタンプが一つ。
 樹と怜司が噴き出し、夏也が憐みの視線を向け、晴は黙って宗史の肩に手をかけた。
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