第11話

文字数 2,361文字

 下からは土産物屋の脇を通ってこられるようで、通路が東と南の二股に分かれている。東へ延びる通路を挟んで左側が、今晴たちがいる場所で、右側は緩い上り斜面の小高い丘になっている。
「あれが弥勒堂です」
 陽が指をさしながら言った。通路の右脇、丘のてっぺんに、遠くから見るとギリシャ神話に出てくる宮殿のような建物がある。そしてさらに南側にも、もう一棟似たような建物が見える。
「あっちは?」
「南弥勒堂だそうです」
「……何で二つもあるんだ?」
「さあ? 昔はたくさん石仏が祀られていて、雨乞いなんかが行われていたそうですし、その名残ですかね?」
「ふーん」
 さして興味なさそうに相槌を打って、晴は南弥勒堂へ向かった。
 両側にロープが渡された通路の右側には石垣が積まれ、向こう側は土産物屋の青い屋根が覗いている。左手には、弥勒堂が建つ小高い丘。
 道なりに進むと通路は左へ曲がり、緩い勾配が付く。どうやら丘の裾をぐるりと大きく囲む形で通路が設けられているようだ。東へ行くごとに上り坂になり、右手の斜面の上にはベンチが設置され、その先に南弥勒堂が建立されている。要は、丘と斜面の間に通路が通っている形だ。
「やっぱ起伏があるな。さすがに平坦ってわけにはいかねぇか」
「山ですからね。それよりあの丘、向こう側が見えませんね。死角になりますよ」
「そうなんだよな」
 場所取りは戦において重要になってくる。相手より高い場所を取るのは定石だ。見た限り、二つの弥勒堂はほぼ同じ高さで、ここより高い場所はない。
「でもまあ、思ってたより何もない場所の方が広くて助かるわ」
「ええ。あちこちに何かあったら動きづらいですからね」
「てか、やっぱ陽が落ちてくるとちょっと肌寒いな」
「街と十度くらい差があるみたいですよ」
「じゃあ、夜は十五度くらいか」
 そりゃ寒いわ、とぼやきながら互いに辺りを観察しながら進む。弥勒菩薩には悪いが、弥勒堂がなければなお良かった。しかし、他には何もなく、雑草(薬草かもしれないが)が生い茂っているだけだ。邪魔にはならないだろう。
「山頂にもでっかい花畑があるのかと思ってたんだけど、違うんだな。これはこれで助かるけど」
「遊歩道とか登山道の方が多いみたいですね」
 雑草や石灰岩の隙間、丘にも咲いているが、どちらかといえば緑の方が目立つ。だからといって荒らしていいわけではないが、無駄に気を使いながら戦わなくていい。
 と、突如志季の神気が増し、一瞬だけ強い黄金色の光が一帯を覆った。すぐに何かに飲まれるように小さくなり、ほのかな光へと落ち着く。
 土産物屋スペースに張られた大きな結界を背景に、志季が日本武尊象の側からこちらへ向かって大きく高く飛び跳ねた。
「志季!」
 晴は声を張り、弥勒堂を指差す。志季が足元を見下ろし、ひらりと手を振った。そのまま丘に着地し、弥勒堂に駆け寄る。すぐに結界を張り終え、そのまま南弥勒堂へと跳んだ。晴たちも斜面を上り、南弥勒堂の正面に立つ。
 弥勒堂は南、つまりこちら側を向いているが、南弥勒堂は東を向いている。これも何かの名残だろうか。日本武尊象と同じで石造りの柵で囲まれているが、こちらは子供の背丈ほどの高さしかない。鉄製の賽銭箱が設置され、中央にこれまた石の祠があり、中には石仏。
 三人は膝をつき、手を合わせる。
「さてと」
 合掌を解き、腰を上げる。これが最後の水分補給だ。示し合わせたように三人はペットボトルをあおり、
「すみません。終わるまで置かせてください」
 陽が断りを入れて供えるように前に置く。志季が結界を張り、誰ともなしに改めて周囲を見渡した。
 東と北にそびえる山々は、燃えるような赤い空とゆったりと流れる雲を背景に黒い稜線を描いている。西の琵琶湖は赤く染まり、水面は太陽を反射して真っ直ぐな光の道を描き出している。夏の夕焼けは真っ赤に染まりやすいと聞いたことがあるけれど、まさにそれだ。切なさや寂寥、美しさよりも、今は不安や恐怖を煽る禍々しい色としてこの目に映る。
 ここまで陽が落ちれば、闇に包まれるまであと数分といったところだろう。
「志季、使いを頼む。三体いけるか」
 先程までの緩い口調とは一転、硬い声色で指示をした晴に、志季と陽が顔を引き締めた。
「了解」
 志季は両手を上へ向けて深呼吸をした。すぐに掌の上に赤い渦が巻き、火の玉へと変わる。それは徐々に大きさと形を変え、鳥の輪郭をかたどった。
「陽。ここから向こう側は?」
 志季は、使いを呼ぶことに関しては問題ないが、その器を作ることは不得手だ。ましてや三体となると少々時間がかかるだろう。晴が東へ目を向けると、つられるように陽も振り向いた。
「もっと先の方に小さな殉難之碑(じゅんなんのひ)が建っているだけで、他には何もないはずです」
「殉難って、誰か亡くなってるのか」
「ええ。昔は測候所(そっこうじょ)があったらしくて、勤務の交代の時に吹雪や雪崩に巻き込まれた方が二人ほど」
 測候所とは、その地方の気象を観測して警報を出し、地震や火山の観測する場所のことを言う。殉難は、国や社会の危機のために犠牲になることを指し、命を落とした者を殉難者と呼ぶ。気象の観測は、今でこそ地上に設置された様々な装置や気象衛星などで判別できるけれど、もっと昔は簡素な観測機器や人の目、あるいは経験が頼りだった。危険な場所に赴き、十数日交代で事前に台風や嵐、地震や噴火を予測する仕事は、間違いなく国や社会のためだ。
 そうか、と呟いて、晴は再び東へ視線を投げた。弔いの碑ならば壊すわけにはいかないし、地形も見ておきたい。結界の光のお陰で若干下り坂になっているのは分かるが、どこまで続いているのかまでは分からない。
「陽、ここにいろ。ちょっと行ってくる」
「あ、はい。気を付けて」
 陽の声に押され、晴は一旦通路へ下りて駆け出した。
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