第17話

文字数 6,445文字

 明は今一度全員を見渡した。
「私たちからは以上だ。お前たちから、何か報告することはあるか?」
「はい」
 胸のあたりに手を上げたのは樹だ。
「実は今日、下平さんと会った時にクソ龍と深町弥生のことを聞いたんだ。それでね――」
 さらっと悪態をついて、樹はまるで他人事のように淡々とした口調で伝えた。
「――僕は、敵側の狙いが犯罪者なら、冬馬さんたちは条件から外れると思った。僕は生きてるし、向こうも良親さんから真相は聞いてるだろうし。だから、龍之介の件があるにせよ、危険はあるけど狙いはリンとナナって人で、標的にはされないと思ったんだ。でも紺野さんが言うようにアレルギーだとしたら、龍之介の件に乗じて狙われる可能性がある。だから僕は、警戒するに越したことはないと思ってる。ただ、僕も下平さんも私情が入ってないとは言えないから、宗一郎さんたちに判断してもらおうと思って」
 宗一郎と明がふむと一つ唸って考え込む姿勢に入った。
 ああ、そうか。やっと分かった。下平に会いに行った時、どうして冬馬の名前を出したのか。
 冬馬たちは、こちらにとっては犯罪者ではないが、敵側にとっては犯罪者という認識だ。その違いに気付いたのは下平に会ってから。敵側の狙いが犯罪者である以上、冬馬が樹と繋がっていようといまいと関係ない。そう思っていたからこそ彼の名を出した。それに、荷物があるのだから散歩やコンビニという言い訳は通用しないし、下平の名も出せない。
 廃ホテルでのあのやり取りが、脳裏に蘇る。
 あの時点で、敵側の標的は判明していなかった。だからこそ、樹は、守るためにあんなことを言ったのだろう。敵側に二人の関係はバレているが、少しでもリスクを減らすために。けれど結局、冬馬たち自身が理由で狙われる可能性が出てしまった。
 ならばあの別れは――いや、あの時、先に言ったのは冬馬の方だ。良親との確執もあって、彼もまた、樹のためにと思ったのだろうか。
 大河はむむと眉間に皺を寄せた。二人の気持ちを慮るべきだとは思う。けれど状況が変わった今では、もどかしくも思う。もういっそ、あの時のことはなかったことにして寮で保護すればいいのに。
「分かった」
 宗一郎が顔を上げた。
「樹の言う通り、奴らの一人を捕獲できる可能性がある」
 盗み見した樹の顔は安心したようにわずかに緩んでいて、大河はこっそり息をついた。樹も冬馬も、大切すぎて遠回りをしているような気がする。
 宗一郎が志季と椿へと視線を投げた。
「この件は志季と椿に任せる。廃ホテルで顔を合わせているだろう。何かあった時、彼らも警戒しなくてすむ。ただし、件の式神、あるいは他の式神が介入してきた場合は冬馬さんたちの保護を最優先。無駄な戦闘は避けろ」
「承知致しました」
「任せろ」
 志季と椿は使命感たっぷりの顔で答えた。
「宗史、晴、お前たちは樹から必要な情報を受け取り、相談後、私たちに報告。樹、下平さんから受け取っているな? 私たちにも送ってくれ」
「うん」
 頷いて樹は携帯を操作した。すぐに宗史と晴、宗一郎と明の携帯が着信を知らせる。
 大河は横から宗史の携帯を覗き込んだ。リンの勤務表の写真と五人の名前と住所の一覧、リンとナナの職場、勤務時間、送り迎えをする時間、冬馬が同行する日などがずらりと並んでいる。ふと、晴が呟いた。
「あれ、この住所……」
「ああ、冬馬さんでしょ? 晴明神社のすぐ側なんだ」
 察した樹の答えに、大河はへぇと感嘆の声を漏らした。言い方からすると、樹と出会った頃から同じ住居なのだろう。はっきり何がとは言えないが、なんだか不思議だ。
「晴、明日連絡する」
「了解」
 宗史と晴が携帯をしまうと、宗一郎と明も顔を上げた。
「他には何かあるか?」
 一様に首を振る。
「ではこれで終了だ。お疲れ様」
 終了の宣言がされ、一気に場の空気が緩む。
 会合の雰囲気には慣れたが、こう情報量が多いとすぐに頭が整理できない。一旦ショートしそうな脳みそを落ち着かせねば。大河が長い息をつき、締まりのない顔をして湯のみに手を伸ばすと、宗史がそうだと呟いた。
「大河、忘れないうちに」
 そう言ってひょいと横から出された手を見つめる。何だろう。大河はこてんと首を傾げて湯のみに伸ばした手を握り、ぽんと乗せた。
「没収したナイフだッ!」
「あっ、そっか」
 間髪置かずに鋭く突っ込まれ、慌てて手を引っ込めるとどっと笑い声が上がった。
「犬かお前は」
 溜め息と共にぼやかれた悪態と響く笑い声に、大河はだってと膨れ面をしてボディバッグを漁る。
「言ってくれればいいのに」
「察しろ」
「今日は察しが悪い日だから」
「悪すぎだろ」
 いい言い訳だと思ったのに一刀両断されてしまった。大河はますます唇を尖らせる。ナイフを渡すと、宗史が周りを眺めながらそれを握り締め、ぼそりと呟いた。
「……お前、この状況をどうするつもりだ」
「え?」
 言われて見渡し、大河は「ああ……」と憂いた声を漏らして遠い目をした。宗一郎と晴と樹は机に突っ伏して肩を震わせ、明と怜司は口を覆って顔を逸らし、陽は俯いて両手で顔を覆って背中を震わせている。さらに志季が呼吸困難気味で、椿、閃、右近、左近も各々顔を逸らして笑いを噛み殺している。この様子では、宗一郎の笑い上戸が収まるのは時間がかかりそうだ。要するに、帰れない。
 宗史が盛大な溜め息をついて、大河は肩身を狭くした。ちょっとおかしなことをした自覚があるだけに文句は言えないが、図らずとも早々に復讐は果たされた。これはこれで良しとするべきか。
「ほ、ほんと大河くんって、犬みたい……っ」
 とりあえず復活した樹が、目尻に浮かんだ涙を拭きながら顔を上げた。
「なんで宗史くんがお手をさせようと思ったのか謎だな」
 長く息を吐いて落ち着きを取り戻したのは怜司だ。
「別に思ったわけじゃないですけど、何となく」
「思考停止状態だったわけだ?」
 まだ小さく笑いながら言った樹を恨めしい目で睨み、大河はこくりを頷いた。あんたのせいでもあるんだよ、と言いたい。
「だって、なんか色々情報が多くて……」
 ああ、とやっと納得の声が上がった。ここで納得されるのは悔しいが、理解してくれている証拠でもある。情けないやら有難いやら。
 大河が複雑な顔をして湯のみに口を付けると、やっと晴と陽が顔を上げた。
「それにしても、ナイフを没収って、あまり穏やかじゃないですけど」
 くすくすと笑いながらではあるが、話を逸らしてくれた陽に感謝だ。
「さっきの仕事でちょっとね。でも、友達になったよ。メッセージも交換した」
「は?」
 目をしばたいたのは陽と樹と怜司だ。
「ナイフ持ってた奴とどうすればそんなことになるの?」
「僕、想像できないんですけど……」
「お前は本当に予想外のことをするな」
 呆れ気味の三人に、宗史と晴が苦笑いを浮かべた。
「悪い人じゃなかったんです。色々と事情があって。年も近かったし、何よりもオスクのファンだった!」
 拳を握り締めて最後だけ力説した大河に反応したのは、陽だ。
「あ、知ってます。オスクリヒトですよね。僕も何曲かダウンロードしてますよ」
「マジで!?」
「ええ。依頼者の方がファンだったんですか?」
「いや別の人。それより陽くん、なに落としたの?」
 もうナイフの所持者がどうとか以上に気になるらしい。陽が苦笑いを浮かべた。
「セレナーデとかダウトとか」
「あ、そうそう! 依頼者の優さんって役者でさ、セレナーデのMVに出たんだって」
「そうなんですか!? すごい、僕何度か見てます。どの人だろう」
「チェックするから、分かったら教えるよ。あ、あと秋の連ドラにも出るらしいよ。京都が舞台で、拗らせオタクの日常推理ってタイトル」
「すごいタイトルですねぇ」
 きゃっきゃと盛り上がる若者二人を微笑ましく思いつつも、大人組の表情は少々複雑だ。
「……若者に人気らしいぞ、オスクリヒトってバンド」
「俺は知ってる」
 意味ありげにぼそりと呟いた晴に食い付いたのは怜司だ。
「怜司くん、若者ぶったらあとで大変だよ」
「誰がぶってるって?」
「アラサーでしょ」
「最近のアラサーを舐めるなよ」
 睨み合う二人を横目に、ひとしきり盛り上がった若者の話題は冬馬からのお礼の品へと移ったようで、陽がいそいそと紙袋を開ける。
「椿、お前のは?」
 いつの間にか復活した志季が便乗して尋ねると、椿は「では」と言って丁寧に紙袋を開けた。隣から閃たちが興味津々に覗き込む。
 大河は、陽が不織布の袋のリボンを解く間にちらりと当主二人を窺った。明は大分落ち着いたようだが、宗一郎はまだ発動中だ。ここは放っておくに限る。
 陽は、袋からシックな黒い箱に金色でブランドのロゴが入った化粧箱を取り出し、座卓に置くと丁寧に蓋を開けた。ブルー系とベージュ系のチェック柄のタオルハンカチが一枚ずつ入ったセットだ。
「あ、可愛い。ていうか爽やか」
「ハイブランドだが、中学生が持っていても違和感ないな」
「陽くんのイメージにぴったりだ」
「あの兄ちゃん、ほんとに律儀だなぁ」
 チェックは無難な柄だが、それが逆に中学生らしく、高校生になっても十分使える物だ。また色も、黒や紺など濃い色ではなくブルー系とベージュ系というのも、怜司が言うように陽のイメージに合っている。陽のことを考えながら選んだのがよく分かるチョイスだ。
「嬉しいです。大切にします」
 陽は、はにかんで嬉しそうに笑った。
 興味津々に覗き込む宗史たちの隙間から、大河は我関せずで頬杖をつく樹をこっそり盗み見し、くすりと笑った。本人は気付いているのだろうか。こちらを眺める眼差しが、とても優しいことに。
 と、式神組から「ほう」と感心の声が上がった。一斉に振り向くと、椿が小ぶりの箱を手に目を丸くしていた。
「椿、何だった?」
 宗史が尋ねると、椿はうろたえた様子で答えた。
「あ、あの、つげ櫛なんですが……。よろしいのでしょうか、こんな高価な物を」
 つげ櫛。どこかで聞いた気がする。どこだったかなと記憶を掘り起こすがなかなか出てこない。
 視線を泳がせる椿に、宗史が苦笑して腰を上げた。目の前に膝をついた宗史に椿がおずおずと箱を手渡す。
「ああ、見事だな」
 宗史は見るなりふと笑みを浮かべた。出てこない記憶を諦めた大河が体ごと向きを変え、両手を畳について上半身を伸ばした。
「どんなの?」
 陽、晴、樹、怜司も集まり、差し出された箱を覗き込むと、おお、と歓声が上がった。木製のそれは半月型をしていて落ち着いた艶があり、持ち手の部分には椿が一輪、彫り込まれている。
「いい物だとは思うが、気にしなくていいと思うぞ。こっちが気を使うほど高い物は選ばないだろう」
「そ、宗史様がそうおっしゃるのでしたら……」
 返された箱を受け取って、椿はほっと顔を緩めた。
「でも、なんで櫛にしたんだろう」
 確かに椿の髪は綺麗だけれど、和小物なら(かんざし)や着物の小物などもある。何か意味があるのだろうか。首を傾げた大河に、宗史は「そうだな」と逡巡した。
「櫛には色々な迷信があって、古から髪に挿すと魔除けやお守りになるなどと言い伝えられている。女性の象徴として扱われ、()くという用途から、揉め事を解きほぐすという意味もあるから。かな?」
 へぇ、と大河は感心の息を漏らした。なるほど、この状況にはうってつけの贈り物だ。もし冬馬が意味を知っていたとしたら、廃ホテルの件をはじめ、お守りの件や先程の樹の話もある。何となくこちらの状況を察しているだろう。その上で、選んだのだろうか。
「でも、あれだろ? 『く』は苦しい、『し』は死ぬに繋がるから贈り物には縁起悪ぃとも、いてっ!」
 口を挟んだ志季の後頭部に晴の平手が直撃し、スパン! と小気味のよい音が響いた。
「何すんだ!」
「空気読め馬鹿」
「てめぇに言われたくねぇ!」
「失礼だな、俺は空気読めるわ!」
 互いの胸倉を掴み合う晴と志季を無視し、大河は宗史に視線を戻した。
「ほんと?」
「まあ、そう言われてもいるが……」
 宗史が苦笑いをし、怜司がでもと口を開いた。
「そういうのは所詮こじつけだろ。いちいち気にしていたら何も贈れなくなるぞ」
「数字の4とか9もそうだしね。日本人って昔からこじつけるの好きだよねぇ。あ、知ってる? この前テレビで見たんだけどさぁ、洗濯物には悪い気が付いてるから溜め込まずに洗った方がいいって言うのに、お正月の三が日は、服を洗うと福が落ちるから洗うと縁起が悪いって言うんだよ。おかしくない?」
「悪い気はどこに行ったんだろうな。それに、服を福にかけてるならなんで正月限定なんだ。大体三日も洗濯物溜めたらあとが大変だろ」
「ねー」
 樹と怜司の見解は嫌味たっぷりだがもっともだ。大河はふぅんと相槌を打った。
「どうせなら、良い意味でこじつければいいのにね」
「大河さんなら、どういうこじつけをしますか?」
 陽に聞かれ、大河はうーんと唸って視線を宙に向ける。
「『し』はやっぱ幸せのしだし、『く』は……く、く、く……屈強!」
 閃いたとばかりに顔を輝かせた大河に、どっと笑い声が上がった。
「厳ついこじつけしたなぁ」
「いやいや、俺はいいと思うぜそれ。やっぱ男は強くないとな」
 志季は納得した顔で何度も頷いてくれているが、指摘した晴をはじめ式神たちまで苦笑いやら失笑やらで、大河は膨れ面をした。
「じゃあ、皆はどういうこじつけするんだよ」
 笑ったからにはそれ相応のこじつけをしていただきたい。そうだなぁ、と言いながら思案する皆の顔を順に眺める。しばし思案の時間が流れ、ふと宗史が呟いた。
「久遠、かな」
 全員の視線が集まる。
「くおん?」
「永遠という意味だ」
「永遠……」
 大河は口の中で反復し、くしゃりと笑った。
「いいね、それ」
 「く」や「9」が苦しいとか、「し」や「4」が死ぬなどというのは、怜司が言うように所詮はこじつけにすぎない。結局はそれを信じるか信じないかで、心持ち一つだ。だとしたら、良い意味の方がいいに決まっている。
 大河はふいと椿を見やった。
「くは久遠、しは幸せの方がいいよね」
 満面の笑みを浮かべた大河に、椿は眩しそうに目を細め、ふわりと笑った。
「はい。もちろんです」
 そう言って箱を胸に抱えた椿はとても嬉しそうで、大河はさらに相好を崩した。
「新しいこじつけは決まったか?」
 不意に聞こえた宗一郎の声に、皆が一斉に振り向いた。いつから聞いていたのだろう、宗一郎は腕を組んで、明と共に微笑ましそうに笑っている。だが、大河が視線を向けるとふいと逸らした。またか。
「ええ。父さんも収まりましたか?」
 言外に、貴方の笑いが収まるのを待ってたんですよと嫌味を含めた問いに返ってきたのは、笑顔と無言だった。一斉に溜め息が漏れる。
「宗一郎さん待ってたら朝になるよ。大河くん、この時間だし早朝訓練は出なくてもいいけど、しっかり体調整えてね。君、それでなくてもやること多いんだから」
「はーい」
 言いながら腰を上げた樹に倣って、各々立ち上がる。大河はボディバッグを斜め掛けし、宗史は座卓に置いていたナイフを尻ポケットに入れた。
「待て待て、宗。それ寄越せ。もしもってことがあるかもだろ」
「ああ……」
 職務質問のことだろう。宗史はナイフを取り出して晴の手の平の上に置くと、胡乱な目で見上げた。
「……何を疑われてんのか分かんねぇんだけど」
「何となく」
「何となくで人を疑うんじゃありません」
 何故か諭し口調の晴に、大河は縁側へ向かいながら小さく噴き出した。
「じゃあ、僕たち先に行くね。お疲れ様」
「お疲れ様。気を付けて行くんだよ」
「うん」
 明の気遣いにひらりと手を振って背を向けた樹と怜司を見送る。
 今の時間なら、アヴァロンは営業中だ。ちょっと様子を見に行くとかしないのかな。そんなことを考えて、大河は息をついた。
「大河、俺たちも帰るぞ」
「あ、うん」
 訳が入った風呂敷を手にした宗史に促され、大河は小走りにあとを追った。
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