第1話

文字数 2,905文字

 また面倒な相手に当たったものだ。
 余裕の表情を浮かべる満流や杏とは反対に、晴は苦々しく顔を歪めた。隣では、同じような顔をした志季と、緊張を顔に滲ませた陽が二人をじっと見据えている。
 このメンツなら、対峙する相手は決まったようなものだ。晴が満流、志季が杏、陽が悪鬼。晴はちらりと頭上に浮かぶ悪鬼を一瞥した。頂上の半分をすっぽり覆い尽くすほどの大きさ。独鈷杵が使えて、使いも三体。だが、この規模の悪鬼を一掃するまで陽の霊力がもつかどうか。
 不意に、満流が軽く手を上げて沈黙を破った。
「あの、始める前にちょっといいですか?」
「……何だ」
 警戒心丸出しの晴に満流が苦笑いをし、三人の肩に乗っている使いをじっと見つめた。そして小首を傾げ、遠慮がちに口を開く。
「それは……、すず」
「朱雀だ」
 志季が速攻で言葉を遮った。再び沈黙が落ちて、満流が何度か瞬きをした。
「……すず」
「す・ざ・く・だ」
 念を押すように一文字ずつ区切った志季に、満流は困惑の表情をし、目を細めて三体の使いを凝視する。
「僕の目が悪いのかなみたいな目で見んな、どう見ても朱雀だろうが!」
 どう見ても雀だし、そもそも何なんだこのやり取りは。肩を怒らせて声を荒げる志季に、晴が顔を覆って溜め息をつき、陽が空笑いを漏らし、満流と杏が大真面目に顔を寄せ合った。
「僕の認識が間違っているんでしょうか。杏、どう思います?」
「満流。式神(ほんにん)が朱雀だと言い張るのだ。ならば認めてやるのが優しさだ」
「杏てめぇ、聞こえてるぞ!」
 人間の耳には聞こえないが、何を言われたのかは大体想像がつく。そういうものですか? と満流がますます悩ましげな顔で首を傾げた。何かもう困惑させてごめんなさいと謝りたい。
 志季が乱暴に頭を掻いた。
「つーか何なんだよ、このやり取り」
「お前の想像力が貧困なせいだろうが」
「貧困言うな! そりゃ苦手だけどそこまでじゃ……っ、ねぇと、思う……」
 やっと不安になったか。え、そんな酷いのか? と戸惑う志季を「これはこれで可愛いから」と陽が慰めにならない慰め方をして、晴は嘆息する。そんな三人を眺めながら、満流がくすくすと笑った。
「本当に仲がいいですねぇ」
「どう見たらそう見えるんだよッ!!」
 晴と志季の怒声が重なり、今度は声を上げて笑う。この屈託のない笑顔は、余裕の表れか。
向小島でも会っているけれど、やはりちょっと見てくれのいい高校生にしか見えない。しかし、間違いなく満流は陰陽師で、この事件を起こした男の息子で、影正と矢崎を殺害したのだ。しかも、自分より遥かに格上。秘術も、確実に行使できる状況でないと仕掛けられない。逃げられて対策を講じられると不利になる。
 動機が気にならないわけでもないし、紺野たちが調査中の潜伏場所から何か出るとは限らない。ここは話を振って時間を稼いだ方が得策か。
「おい」
 晴が声を張ると、満流が人好きのする笑みを向けた。
「何でしょう?」
「お前の動機は何だ」
 率直で端的な問いに、満流は笑顔を崩すことなく答える。
「それを解明するのも、また一興」
 陽が不快げに眉をひそめ、志季が忌々しそうに舌打ちをかました。
「ふざけたことぬかすな。こっちはゲーム感覚じゃねぇんだ。土御門家(うち)への復讐か? だったら俺だけにしろ。他の奴らは関係ねぇ」
 ふふ、と満流が小さく肩を震わせた。先程の屈託のない笑顔とは反対に、癪に障る笑い方だ。
「土御門尚さんは、参戦していらっしゃいますよね。ならば紺野さんと、下平さんとおっしゃいましたか。今頃、自宅を調査中でしょう? 色々出てくると思うので、楽しみになさってください」
 やはり全て想定内か。熊田や佐々木の名が出てこないということは、二人の素性はまだ知られていないと考えてもいいだろう。
「まあ――」
 ゆったりとした動作で満流が独鈷杵を取り出すと、悪鬼が動いた。集まるというより、凝縮するように縮んでいく。反射的に晴たちも構えた。
「どちらも生きていれば、の話ですが」
 冷たい光をその目に宿した満流に、晴が舌打ちをかました。やはり潜伏場所に何か仕掛けたか。狼狽した陽が晴を見上げた。
「兄さん……!」
「落ち着け。叔父さんも使いもいる。簡単にはやられねぇよ。それより集中しろ」
 小声で、だが強く言い聞かせると、陽は唇を噛んで小さく頷いた。
 他に仲間がいたとしても、この状況で人員を割くことはないだろうから、待機させているのは悪鬼。栄明は術も霊刀も使える。使いも二体付いているし、紺野たちは護符を持っている。各二枚、全部で八枚の護符だ。そこらの悪鬼では近寄れもしまい。とは思うものの、気にならないわけがない。
 巨大結界の発動まであとどのくらいなのか。時間を稼ぐ方が得策だと思ったが、悠長にしていられなくなった。安否確認の電話かメッセージを入れたいところだが、わざわざ待ってくれるとは思えない。
 悪鬼は三分の一ほどの大きさまで縮み、満流が霊刀を具現化した。
「では、始めましょうか」
 言い終わるや否や、動いたのは杏だ。ドンッ! と強烈に地面を蹴る音がしたと思った次の瞬間には、志季の目の前にいた。え、と思ったとたんふっと消え、背後に回り込まれて背中を勢いよく蹴り飛ばされた。
「ぐ……ッ」
 志季が苦悶の声を漏らし、朱雀が弾かれたように離れる。満流の側を勢いよくすり抜けて、山の向こう側へと吹っ飛んでいく。それを追いかけて、杏も大きく飛び跳ねた。
 杏が蹴った地面の砂埃が落ちるより早い、ほんの一瞬の出来事だった。
 変化できる式神とできない式神。差が歴然であることは分かっていた。だが、改めてその差をまざまざと見せつけられた。
「呆気に取られている暇はありませんよ?」
 不意に満流の声が間近で聞こえ、晴ははっと我に返った。霊刀が目の前。ギンッ! と刀がぶつかり合う甲高く澄んだ音が、山頂に木霊した。
 交わる霊刀越しの満流の笑顔は、腹が立つくらい余裕だ。
 小さく舌打ちをかまし、霊刀を弾いて後退する。追ってくる満流と攻防を続けながら、東登山道がある方へとさらに下がる。晴は満流越しに、丘に残った陽へ視線を投げた。
 三体の朱雀が三方から悪鬼を取り囲み、触手を避けながら次々と火玉を放っている。陽も触手を難なく避けながら切り裂き、じわじわと距離を縮めている。小柄な分、身軽だ。中からの調伏を狙っているのか。朱雀が三体いるとはいえ、あの大きさの悪鬼を全て消し去るには少々時間がかかるし、霊力にも限界がある。正面からやり合うより中からの方が霊力の消費を抑えられるが、細かく分裂されると厄介だ。
 陽は、まだ仕事を請け負っていない。だが報告書は読んでいるし、学校の校内や林間学校、修学旅行先で出くわした悪鬼を調伏した経験は何度かある。友達に取り憑こうとしていたなどと言われれば、無視しろとは言えない。
 陽は頭が回る。幼い頃から栄晴に基礎を習い、明や寮の者たちからも戦い方を叩き込まれ、陽自身それに応えてきた。信じろ。信じて、今は自分の戦いに集中しろ。
 晴は足元の石灰岩を蹴り上げ、空中で満流に向かって蹴り飛ばした。すぐに駆け出し、目いっぱい霊刀を薙いだ。
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