第7話

文字数 2,251文字

 倉庫の表へ向かう栄明を見送ると、紺野たちは位置についた。懐中電灯を地面に置き、三本のロープのうち、左右は紺野と下平、真ん中は熊田と佐々木の二人だ。
 倉庫出入り口の扉は、開けっ放しにしてある。悪鬼解放後、閉め切ったままだと悪鬼が倉庫ごと破壊してしまう恐れがあるからだ。そうなると地下扉が埋まってしまい、それこそ発掘する羽目になる。要は、栄明と使いは囮だ。
 朱雀、水龍、と使いを呼ぶ栄明の声がますます緊張感を高め、紺野たちは手に巻き付けたロープを今一度握り直した。倉庫から距離があるため、できるだけぴんと張った状態を保つ。
 ロープは耐えられるだろうか、タイミングは合うだろうか、どの程度の悪鬼なのか。不安はあるが、やるしかない。
「ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン――」
 不意に真言が響いた。一斉に腰を落として足を踏ん張って歯を食いしばり、聞き逃さないように集中する。声を張り、ゆっくり唱えてくれている。失敗できない。
帰命(きみょう)(たてまつ)る、縛鬼滅鬼(ばっきめっき)永劫封緘(えいごうふうかん)千古幽隠(せんこゆうおん)――」
「引けッ!」
「おりゃあッ!!」
急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 オオオオォォォ!
 下平の鋭い号令と紺野と熊田の雄叫び、栄明の最後の真言、そして悪鬼の唸り声の差はほとんどなかった。
 無事結界が張られ、地下扉も開いたらしい。突如ロープがブチッと切れたのと、悪鬼の押し潰されそうなほど大きく低い唸り声が鼓膜を襲った。ロープが宙を舞い、反動で四人揃って尻もちをつく。
「うわっ!」
 びりびりと空気が震えているのが分かる。紺野たちは尻もちをついたまま思わず耳を塞いだ。栄明が調伏の真言を唱えているはずだが、全く聞こえてこない。その代わりに届くのは、悪鬼が結界に体当たりしているのだろうか。連続して響く激しい火花の音と、ドンドンと殴りつけるような衝撃音。まさかこれほどとは。
「これヤバくねぇか!」
 下平が苦悶の表情を浮かべて叫び、腰を上げた。続いて紺野たちも懐中電灯を引っ掴んで前のめりに立ち上がり、顔を歪めたまま栄明の元へと駆け出す。
「栄明さんッ!」
 目安の線に沿ってぐるりと回り込むと、そこでは想像以上に壮絶な光景が繰り広げられていた。
 出入り口から飛び出してくる悪鬼の塊は、まるで黒いスライムのようだ。倉庫と結界の間をあっという間に埋め尽くしていく。勢いよく伸ばされる無数の触手と、結界が上げる盛大な火花。霊符を構え、険しい顔で徐々に後ろへ下がりながら真言を唱える栄明。大量の火玉と水塊を顕現させる、朱雀と水龍。
 ほのかな光を纏った霊符がひとりでに空を滑り、倉庫の屋根へと飛び去った。
「――急急如……っ」
 あと少しのところで、パァン! と痛烈な音が森に響き渡り、栄明の声を遮った。
 思わず足が止まり、反射的に息を詰め、顔を庇って身を引く。まさかと、弾かれたように顔を上げて見えた光景に、戦慄した。
 閉じ込められていた悪鬼が一斉に飛び出してきて、朱雀と水龍が同時に火玉と水塊を放った。だが、それだけでは対応しきれなかった。上がった煙や霊刀を構えた栄明、火玉と水塊を顕現させる朱雀と水龍。それらを飲み込もうと、悪鬼がぐわっと広がった。まるで巨大な風呂敷だ。
 ――結界が破られた!
 護符があるからとか、栄明は陰陽師だからとか、そんなことを考える余裕はなかった。目の前で人が悪鬼に食われる。助けなければと、ただそれだけだった。
「――栄明さんッ!!」
 四人の悲痛な叫び声が、森に響き渡る。
 駆け寄ろうとした紺野たちに、悪鬼の一部が反応した。四本の触手が空を切り、とっさに下平が紺野の首根っこを引っ掴み、熊田が佐々木を腕で制止する。懐中電灯の明かりがあちこちを泳ぐ。
 下平に引き戻され、頭を押さえつけられながら見たのは、先端を向けて襲いかかってくる触手と、その向こう側で悪鬼に飲み込まれる栄明と朱雀と水龍の姿。そして――。
 え、というひと言すら出ない程、何が起こったのか理解できなかった。
 突如現れたのは、大量の火の玉。何もない空中に次々と顕現し、栄明たちを飲み込んだ悪鬼はもちろん。護符に反応したのだろう、動きを止めた触手の周りをあっという間に取り囲んだ。威嚇か恐怖か。悪鬼本体が、爆発したように咆哮した。
 大気どころか地面や木々まで揺れ、音の圧で押し潰されそうな錯覚を覚えた。紺野たちはしゃがみ込んだまま歯を食いしばり、両手で耳を塞ぐ。不意に、視界の端を白い何かが通り過ぎた。
何だ、と思いかろうじて視線を上げると、その白い何かはどんどん質量を増し、紺野たちの前に立ち塞がった。全長二メートルほどはあろうか。眩しいほど真っ白な毛に全身を覆われ、太くふさふさな尻尾を持つ四本足の生き物。
 その白い生き物は、全体に触手を生成しハリネズミのようになった悪鬼に向かって、
「ガアッ!!」
 と鋭い歯を剥き出しにして一声吠えた。すると弾けたように火の玉が一気に燃え盛り、瞬く間に悪鬼を飲み込んだ。まさに火ダルマだ。おいちょっと待て何してんだ! と思う暇などなかった。間髪置かずに炎の中からまばゆい光が四方八方に漏れ出して、周囲を照らす。例えるなら、コンサートなどで使われるレーザー演出だ。
 時間にしてほんの十数秒、いや、数秒だったかもしれない。めまぐるしく変わる状況と白い生き物に理解が追いつかない。
 炎と光が混じり合い、比例するように悪鬼の質量と咆哮が小さくなってゆく。四人揃ってしゃがみ込んだまま、ただ呆然とその光景を眺めていた。
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