第11話

文字数 2,151文字

 内扉の向こうは、写真で見たとおり、落ち着いた雰囲気だった。正面には、左側の壁に大型のテレビが掛けられ、その下に観音開きの扉が二つ付いた収納棚。空気清浄機やウォーターサーバーまである。その前にはテーブルとソファ、隣にダブルサイズのベッドがテレビと向き合う形で設置されている。さらに隣に、浴室だろう扉。エアコンも効いていて温かく、写真で見るよりかなり広々とした部屋だ。
 壁紙は上半分が白、下はキャメル。床はダークブラウン。シーツは真っ白だが、ベッドスローやクッションはブラウン。濃さはまちまちだが茶系でまとめられており、照明も明るく壁紙の上半分から天井が白いため、暗さがない。ラブホテルの部屋とは思えない。
「お洒落……」
 こんな部屋を大人っぽいというのだろう。ずっと和室のため、洋室には憧れがあった。思わずついて出た感想に、背後でくすりと笑い声が聞こえた。しまった、入口を塞いでいた。
「すみません」
 慌てて横へ避けると、明がコートを脱ぎながら言った。
「とりあえず、先にシャワーを浴びて温まっておいで。ゆっくりでいいからね」
 テレビの横に設置されたフックからハンガーを取り、コートをかける。そんな明の姿を眺めながら、美琴ははいと小さく頷いた。
 マフラーを返し、鞄をソファに置いて、コートをハンガーにかけ、バスローブを胸に抱えて浴室へ向かう。
 水回りもこれまた綺麗で広々だ。正面に洗面台、右手にトイレ、左手が浴室。浴室扉の横には三段のランドリーワゴンが置かれ、タオルやバスマットが籐カゴに収まっている。大きな洗面台の下にはスツールがあり、二人分のアメニティが綺麗に並び、ドライヤーはもちろん、ヘアアイロンからクレンジングや洗顔料、化粧水に乳液まで揃っている。これが標準なのだろうか。
 さらに浴室に驚いた。小学校の修学旅行で泊まったホテルのユニットバスとも、家の狭苦しい風呂場とも違う。白とアイボリーの壁で清潔感があり、奥に大きな浴槽がどんと置かれ、洗い場も広い。
「すご……」
 部屋も浴室も広くて綺麗で、アメニティも充実。確かに至れり尽くせりだ。などと感心している場合ではない。シャワーを浴びなければ。
 ランドリーワゴンの二段目にバスローブを置き、バスマットを敷く。瑠香にもらったオーバーサイズのカーディガン、長袖の厚手のTシャツ、チェックのミニスカートを順に脱ぎ、きちんと畳んでバスローブの上に重ねる。ふと、鏡に映った自分の姿に目が止まった。着古した下着。
 成長が見え始めたのが四年生の頃。それから何度か買い換えて、最後は確か六年生の時。祖母が亡くなる前だ。そろそろ買い換えなければとは思うけれど、母に頼むのが怖くて言えないままだ。タンクトップを着ているので体育はともかく、水泳の授業はタオルを巻いてこそこそと着替えている。できるだけ傷まないように下着だけは手洗いしているけれど、さすがに限界がある。
 美琴はのろのろと下着を脱いで、浴室へ入った。蛇口一つとっても、回すタイプではなくステンレスのレバーハンドルがお洒落に見える。シャワーをフックから外し、ハンドルを上げて水を出しながら、そういえばと疑問に気付いた。
 髪は洗った方がいいのだろうか。いやでも洗うと乾かすのに時間がかかるし、その間待たせることになる。だったら体だけ。というか、バスローブに着替えるのはいいとして、下着はつけたがいいのかつけない方がいいのか。素っ裸にバスローブは抵抗があるけれど、あの下着を見られるのは恥ずかしい。
 頭の中で疑問が渦巻き、緊張もあって吐きそうだ。
 とりあえず一旦落ち着け。そう自分に言い聞かせ、美琴は大きく深呼吸した。水から湯に変わり、湯気が浴室に広がってゆく。
 湯を浴びながら想像する。裸にバスローブと着るのと、あの下着を見られる恥ずかしさ。より嫌なのは――後者。それに、どうせ脱ぐんだし。
「大丈夫」
 小さく呟く。大丈夫。優しい人だ。いつから初心者だと察したのかは分からない。もしかして、声をかけた時にすでに分かっていたのかもしれない。何か理由があってこんなことをしていると初めから察して、それでも誘いに乗ってくれたのだとしたら、興味本位、善意、それとも同情や憐みだろうか。何でもいい。優しくしてくれるのなら。
 あの優しい声や話し方。柔らかい物腰や笑顔。服越しに感じた、背中に遠慮がちに触れた大きな手。彼はきっと、優しくしてくれる。
「よし」
 もう大丈夫。覚悟は決まった。
 一人ごちてシャワーを止め、フックに戻してボディソープを手に取る。せっけんの香りも好きだけれど、これは花の香りだろうか。華やかな中にほのかな甘酸っぱさが感じられ、だが癖のない、いい香りだった。
 香りの効果もあるのだろう。落ち着いた気持ちで浴室を出て、体を拭いてバスローブを着る。明もこのあとシャワーを浴びるだろう。その間に、もっとちゃんと気を落ち着かせよう。
 髪を梳き終え、プラスチックの櫛を静かに洗面台に置くと、大きく深呼吸をした。顔を上げて鏡の中の自分を見つめ、きゅっと唇を結んで身を翻す。
「あの、お先でした」
 扉を開けてひょっこり顔をのぞかせると、ソファに座っていた明が携帯片手に顔を上げた。そして。
「――え?」
 不可解な光景が目に映った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み