第10話

文字数 5,290文字

 結局、階段の下まで引き摺られやっと解放された。扉まで閉められてはもう諦めるしかない。階段を上る間ずっと不満を漏らす大河の頭を、晴が軽くはたいた。
 部屋に入り扉を閉めると、宗史が言った。
「大河、お前さっき何を長考してた?」
「え?」
 観念して机の上に半紙と筆ペンを出しながら、ベッドの端に腰かける宗史と晴を見やる。
「樹に熱い視線投げてた時な」
「変な言い方するなよっ!」
 ニヤついた笑みを浮かべた晴に噛み付き、大河は椅子に腰を下ろして二人に正対した。一拍置いて口を開く。
「樹さん、蘇生術のこと突っ込んだってことは、分かってるってことだよね? いいの?」
 宗史は曖昧な言い回しをしていたが、結果的に皆に疑心を生んだことは確かだ。
「問題ない。想定内だ」
「そうなの?」
「事件当初から、陰陽師が関わってるかもってのは全員が知ってたからな。樹と怜司さんあたりは確実に気付くだろ。多分、他の奴らも気付いてたんじゃねぇの?」
「違うのは、可能性として考えるか、断定として考えるかだ」
「でも、調伏されたら蘇生できないって矛盾は? 調伏し切れない場合があるって、皆知ってたの?」
「いいや。それを知ってるのはおそらく樹さんだけだ。ここに来た頃、両家の文献を読み漁ってたからな。もしかしたら怜司さんには話しているかもしれないが」
 と言うことは、少なくとも公園の事件が起こった時には、すでに気が付いていたことになる。大河は眉を寄せた。
「じゃあ、何であの時誰も突っ込まなかったの?」
「樹さんが言うことだからな」
 さらりと告げた宗史に、大河は目をしばたいた。それはつまり、矛盾していたとしても、樹が言うのなら有り得るかもしれない、と皆が思ったことになる。
「樹さんへの信頼度が高いってこと?」
 そうだ、と二人同時に頷いた。確かに、宗一郎と明も樹と怜司の判断を信じて事件と関係があると判断した。普段はふざけているが、当主二人からも皆からも信頼が厚く、宗史と同等の実力を持つ人。
「……樹さんって、どういう人なの?」
 思わず口からついて出た。はっとして口をつぐむ。
「俺たちも詳しいことを知っているわけじゃないが……知りたいか?」
 試すような視線を向けられ、大河は俯いた。知りたいか知りたくないかと問われれば、もちろん知りたいと思う。けれど、やっぱり違う。聞くのなら本人から聞くべきだと思った気持ちは、変わらない。
「いい。聞く時は本人から聞きたい」
 そう言って首を横に振った大河に、宗史と晴は口角を上げた。
「でも、すごいよね」
「何が」
 晴が尋ねた。
「だって、陰陽師が関わってるって気付いたら、もしかしてって思うじゃん」
「内通者のことか」
「うん。疑われてるかもって方も。もし気付いてたとして、それでも態度が不自然じゃないって、すごいよね。樹さんだけじゃなくてさ」
 同じ時間を過ごし、強い信頼関係が築かれているという証拠なのだろう。樹への信頼も、そこから来ているのかもしれない。宗史と晴がふっと笑った。
「それを言うならお前もだろう」
「そうそう。事情知ってるのに、すっげぇ普通だからな。あの話し忘れてんのかと思うわ」
「だって確定してるわけじゃないし。宗史さんと晴さんだって同じじゃん」
「まあ、それはなぁ……」
 何やら含んだ視線を向けた晴に、宗史が苦笑いを浮かべた。
 やっぱり、二人も同じなのかもしれない。宗史と晴は立場上どうしても疑わざるを得ないけれど、本心は皆を信じているのだろう。
 大河は満面の笑みを浮かべた。
「あ、そうだ。樹さんってさ、昔の字が読めるの?」
 歴史の教科書に載っている平安時代の資料などは、所どころ平仮名らしきものがあるのは分かるが、ミミズがのたくっているようにしか見えない。あんな文字で書かれた文献を読み漁っていたなんて、もしかしてかなり頭が良いのだろうか。
「現代語訳が残ってるんだよ。術に関しての物はほぼ訳されてるみたいだけど、日常的な記録なんかは、今でも少しずつ父さんと明さんが訳してる。何せ数が膨大だし、保存状態が悪い物もあるから」
「へぇ、そんなこともしてるんだ。じゃあ影綱の日記もそうなのかな」
「多分。でも、原文で読むと面白いぞ」
「えっ、読めるの!?」
「よほど難しくなければ、それなりにな」
 まさか読めるとは思っていなかった。ふと、弘貴と春平との会話を思い出した。
「宗史さんってさ、大学で何勉強してるの?」
 意外な質問だったのだろう。二人同時に「え?」と声を上げた。
「人文学だけど……」
 聞いたことはあるがきちんとした意味は知らない言葉に、大河は首を傾げた。
「一言では言えないけど、俺は……そうだな、文献を読み解くと言ったら分かるか?」
「あ、だから読めるんだ」
「専修は三回生からだけど、多少父さんから教わってるんだ。今はその基礎を学んでる。でも、突然どうした?」
 大河は視線を落とし、呟くように答えた。
「うん……今日さ、買い物に行った時、弘貴と春に進路のこと聞いたんだ」
 ああ、と二人が察したような声を上げた。
「二人とも、もう決めてて、俺だけ何も決めてないなって思って。晴さんは、大学に行こうと思わなかったの?」
「大学行ってまで勉強したいと思わなかったんだよ。そもそも好きじゃねぇし」
 ははっ、と大河は短く笑った。
「それ、弘貴も言ってた。じゃあ、宗史さんは何で大学行こうと思ったの? 宗一郎さんと明さんは読めるんだよね? 二人から教わろうって思わなかったの?」
「二人とも仕事があるからな。それに、人文学は哲学や宗教学、芸術学、社会学も含んだ学問なんだよ。文献を訳すのには必要だと思ったんだ」
 そういやお前専修希望出したのか、かなり迷ったけどな、と話す二人を、大河は少し羨ましそうな眼差しで見つめた。
 宗史も晴も、弘貴も春平も、省吾も。皆、自分の目的や意思がはっきりしている。
「いいなぁ……」
 ぽつりと呟いた大河に、二人が苦笑した。
「今すぐ決める必要ねぇんだろ。だったらゆっくり考えろよ」
「同感だ。それに、今のお前にはやるべきことがある」
 う、と大河は声を詰まらせた。そうだ、進路相談に乗ってもらうために部屋に連行されたわけではないのだ。
 宗史は立ち上がり、百枚入りの半紙の半分ほどを取り出した。まさか今日中にこれを全て書けと言われるのか。慄きながら眺めていると、一枚の半紙を横に四等分に折って開いた。
「この四分の一を一枚。練習だから切る必要はないけど、描き辛かったら切っても構わない。左側から描いた方がいいぞ」
「分かった。けど、宗史さんたちのよりちょっと大きくない?」
「ああ、本番用の霊符はもう少し小さい。サイズが明確に決まってるわけじゃないし、複雑な図だから、初めは描き辛いだろう。最初はこれから慣れた方がいい」
 ふーん、と納得しながら筆ペンの袋を開ける。
「確か、ノートに書き順も載ってたな」
 そう言いながら宗史がノートを繰った。
「うん。でもその通りに描かなきゃ駄目なの?」
「一応な。それに描きやすい」
「へぇ」
 ここまで複雑だとどこから描いても同じように思っていたが、きちんと考えられているようだ。
「本当はもっと細かい作法があるんだ。吉日とか時間とか。父さんたちは、依頼された護符は作法に則って作成してるけど、俺たちはちょっと難しいからな。一度に大量には描けないし。だから、描ける時に描き溜めておくんだよ。まあ、心構えと言うか、精神統一くらいはするけど」
 一振入魂ならぬ、一筆入魂みたいなものだろうか。
「それはともかく、とりあえず描いてみて。よく見ろよ」
「はーい」
 目の前に広げられたノートをマジマジと見つめる。
 霊符は、宗派によって異なる。その数は三百以上と言われ、目的によって細かく分類されるらしい。
 そして、門外不出の陰陽師専用の霊符は、真言の数だけある――と思っていたのだが、意外とそうでもないようで、浄化用、調伏用、結界用の三種類。ただし、式神召喚は個別に、術のレベルによっても専用の霊符が必要なものがある。つまり、今大河が覚えて描けるようになるべき霊符は、三種類のみだ。
 比較的簡単そうなものをと思うが、どれも難しそうに見える。結局、ぱっと見てシンプルに見えた浄化を選んだ。ベッドでは、残りの半紙を二人が手分けをして一枚一枚折ってくれている。至れり尽くせりだ。
 よし、と気合を入れて筆ペンの蓋を開け、横に置いたノートをじっくりと眺めながら慎重に走らせる。
 何がどうなってこんな図なのか。この複雑な図にも意味があるらしく、一応説明に目は通したがもう覚えていない。けれど、とりあえず描かなければ。
 親の敵かと思うほど半紙とノートを険しい目付きで凝視する大河を見やり、晴が小さく吹いた。
「あいつ、ほんと集中力すげぇよな」
 小声で言った晴に、宗史がそうだなと同意した。あの様子では、少しの会話くらいには気付かないだろう。
「進路か……俺は迷わなかったからな……」
 幼い頃から次期当主として自覚を求められ、後を継ぐことに疑問を持ったことはなかった。目標も目的もはっきりしていたから、迷わなかった。だからこそ、大河の悩みを理解するのは、自分には難しい。
 ただ、勉強が得意でなさそうな大河なら、迷わず就職を選ぶと思っていた。晴も同じように思っていたのだろう、意外だよなと返ってきた。
 大河は気付いているのだろうか。もう一つの選択肢が増えたことを。
 教えてやるべきか、それとも事件が解決した後、これまでの生活に戻してやるべきか。迷っている。教えたからと言って陰陽師としての道を選ぶとは限らない。けれど、今でさえ迷っているのに、さらに選択肢を増やして悩ませる必要はないのでは、とも思う。
「そういや春の奴、何か言いたげだったな。気付いたか?」
 さらに小声で問うた晴に、宗史は小さく頷いた。
「公園の件だろうな」
「だろうな。双子もいたから気ぃ使ったんだろ」
 優しいからなあいつ、と言って晴は口を閉じた。
 省吾が言ったように、冷静に考えれば不可解な部分が多いことに気付く。皆がどこまで気付いているのか、どう推理しているのか知っておきたいところではあるが、今の時点ではそれもできない。もどかしい。
 と、背中を丸めて机に齧り付いていた大河が背筋を伸ばした。
「できた!」
 満足気に声を上げると、大河はこれまた満足気な笑みを宗史と晴に向けた。
「お、早いな」
 どれ、と言いながら手を止め、背後から覗き込む。
「どう?」
 両側から覗き込む二人を交互に見上げ、反応を待つ。一拍して、
「ぶはっ!」
 晴が盛大に噴き出し、宗史が非常に困惑した表情で凍りついた。えっ、と目を丸くして再度二人を見上げる大河に、宗史が視線だけを向けた。
「お前これ、ちゃんと見て書いたのか……?」
 今まで聞いたことのない深刻な声色だ。
「見たけど……」
 晴がまた噴き出した。大河の肩に手を置いたまま、丸めた背を小刻みに震わせている。そんなに酷いだろうか。
「しげさんから、絵心がないらしいとは聞いていたけど……」
「こ……っこれ、絵心ってレベルじゃ……っ」
 腹痛ぇ、と声にならない声で訴える晴に、大河はむっと唇を尖らせた。
「晴さん笑いすぎだろッ!」
 笑い声さえ出ない状態で肩を叩かれ、何の意味なのか分からずますます腹が立つ。その上、ちょっと酷いな、と宗史にまで呟かれて、大河は拗ねたように背もたれにもたれた。そんなこと言われても、筆に慣れていないし、どうしようもない。
 ひとしきり笑い満足したのか、晴が長く息を吐きながら体を起こした。
「お前、ほんっと面白ぇわ」
「嫌味にしか聞こえないんだけど!」
「褒めてんだって」
「絶対嘘だ。馬鹿にしてるだろ」
「してねぇよ。な、宗」
「馬鹿にしていいレベルじゃないな」
 困ったように溜め息をつく宗史に、大河はバツが悪そうに俯いた。
「でも、こればっかりはどうしようもなくね? とにかく描きまくるしかねぇだろ」
「そうだな。まあ、俺たちも初めから上手く描けたわけじゃないし」
「確かに」
 ここまで酷くなかったけど、と余計なひと言を付け加えた晴の手を、大河がひっぱたいた。いてっ、と手を引っ込める。
 顎に手を添えて思案顔で霊符を見つめていた宗史が、再度溜め息をついた。
「仕方ない。大河、このまま籠って練習しろ。呼びに来るまで出てくるなよ」
「え――――っ」
「もし……そうだな、五時までに上手く描けたら、体術の指導してやるから」
「えっ、マジで!? 宗史さんの体術指導初めて! やった!」
 よし頑張る、と一人ごちさっそく筆ペンを握り直した。
「んじゃ、頑張れよ」
「うん」
 折っていない半紙を手にした晴の励ましの声を背に聞きながら、大河はじっとノートを凝視した。

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