第1話

文字数 4,668文字

 時間が止まったかのように、一瞬静寂に包まれた。
 同時に動いたのは宗史(そうし)(いつき)怜司(れいじ)だった。
「貸せ!」
「三人ともぼんやりしないで!」
夏也(かや)、双子を頼む!」
 宗史は動かない(せい)から携帯を奪い取り、弾かれるように立ち上がった樹と怜司は、呆然とする大河(たいが)弘貴(ひろき)春平(しゅんぺい)に声をかけ、キッチンにいる夏也を呼んで双子を任せた。正気に戻った大河たちと、騒ぎを聞いた(はな)(すばる)が庭へ回り込み、駆け寄った美琴(みこと)も加え、全員が宗史の元へ集まる。
 宗史はスピーカーに切り替えながら、(あきら)であろう相手に短く告げた。
「俺です。説明を」
(せん)を向かわせた、あとで聞いてくれ。全員揃ってるか?」
 声が少し遠い。スピーカーで話しながら運転しているようだ。飛ばすつもりなのだろう、閃は連絡係か。
「しげさんと香苗(かなえ)がまだです」
「呼び戻せ。宗一郎(そういちろう)さんには連絡済みだ。車は正面に入れる、すぐに他の出入り口を封鎖しろ。全員、私たちが到着するまで動くな」
 明は早口で言い置いて、すぐに通話を切った。出入り口を封鎖しろなど、初めての指示だ。事件と関係があるということか。
 宗史は、樹の指示で香苗に連絡を入れる美琴を確認し、未だ呆然とする晴を一瞥して全員を見渡した。
「全員で手分けをして戸締まりの確認を。樹さんと怜司さんは、離れの門と裏庭の勝手口を結界で封鎖してください。以後、正面以外の出入り口の使用は禁止します」
「了解」
 一斉に返答し華の指示で戸締まりの確認へと散る大河たちを見送ると、宗史は霊符を放って椿(つばき)を召喚した。再び晴へ視線を向ける。
「晴」
 一応声をかけるが、俯いてじっと地面を凝視したまま反応がない。おもむろに右腕を上げる。端的な連絡を終わらせた美琴と、召喚された椿がぎょっと目を剥いた。
 振り上げた拳は躊躇なく振り下ろされ、見事に晴の頬に命中した。骨がぶつかる鈍い音が庭に響く。
 晴は勢いよく倒れ込みながら地面を滑り、小さな土煙を上げながら止まった。何が起こったか分からないと言いたげな表情で、呆然と地面を見つめている。やがてゆっくりと自分の頬に手を当て、痛みに顔を歪ませた。そこでやっと何をされたか理解したようで、弾かれたように顔を上げた。
「てめ……ッ」
「目が覚めたか?」
 苦言を遮った宗史の冷ややかな視線と声色に、晴が声を詰まらせた。しばし睨み合い、晴が俯いて小さく舌打ちをかました。
「……悪い」
「謝罪はいい。志季(しき)を召喚しろ」
 携帯を差し出しながら出された冷静な指示に、晴は溜め息をついた。いたた、と顔を歪ませながら腰を上げて、携帯を受け取る。
「せめて平手にしろよ」
「うるさい、自業自得だ。叩き切られなかっただけマシだと思え」
 肩を竦ませ、おお怖、と嫌味をぼやきながら霊符を放った晴をじろりと睨み付ける。
「あの……」
 さすがに拳で殴るとは思わなかったのだろう。美琴が少々怯えた様子で声をかけた。
「しげさんたち、すぐそこまで戻ってきているそうです」
「分かった。ここで待機」
 はい、と美琴が返答した時、煙の中からニヤけた顔の志季が姿を現し、塀の向こう側の屋根に人影が映った。閃だ。
 閃は一瞬にして庭へ飛び込んでくると軽い所作で着地し、落ち着いた様子で歩み寄ってきた。相変わらずの無表情だ。志季が「自業自得だな」と晴に嫌味を投げた。
「聞いているか」
「ああ。今出入り口を封鎖中だ、もう少し待て」
「分かった」
 周囲で(さい)紫苑(しおん)を見たか、と尋ねようとして、やめた。聞くまでもない。必ずどこかでこちらの様子を見ている。となると、おそらく。
「宗史さん、確認終わりました!」
「こっちも終わったよ」
 大河を先頭に、室内から怜司と戸締まりの確認組が、玄関の方から樹が走って戻ってきた。握られた携帯に、宗史はわずかに目を細めた。
「もうすぐしげさんと香苗が戻ってくる。それまで待機」
 はい、と返事をしつつ庭へ下りてくる。華は縁側で夏也と共に双子の側に残った。
「あれ?」
 先陣を切って下りてきた大河に赤く腫れた頬を気付かれ、晴がふいと視線を逸らした。決まりが悪い顔だ。大河に言外に問われた美琴が顔を逸らし、椿が苦笑いを浮かべた。うわぁ、と大河たちから憐みの視線を投げられた晴は、ますますふてくされた。
 お前も省吾(しょうご)を問答無用で殴り飛ばしただろうが、と宗史は心の中で突っ込む。と、玄関の方から車が一台滑りこんでくる音が届いた。
「呼んできます」
 昴が言いながら向かった。話し声と共にドアが閉められる音が響く。
「ごめん、待たせたね」
 (しげる)たち三人が慌てた様子で戻ってくると、宗史は改めて閃に視線を向けた。
「説明してくれ」
 縁側にいる華たちを含め、円形になって閃の説明に傾聴する。
「つい先ほどのことだ。友人らと出掛けていた(はる)が、帰り道で一人の男に声をかけられた。男は携帯を持って陽に近付き、それを体に押し当てた。陽が動けなくなったところに一台の車が現れ、中から男が一人、声をかけた男と共に陽を押し込み、そのまま走り去った。車は黒のワンボックスカー。ナンバーは隠されていて分からなかったそうだ」
(すず)は」
 晴が端的に問うた。
「邪魔をされたらしい」
「邪魔?」
 ああ、と閃は頷いた。
「式神――大地の眷属神(けんぞくしん)に」
 鬼代事件と繋がった。
 全員が声を詰まらせ、無言のまま目を見開く。
「怪我は?」
 茂が心配そうに口を開いた。
「あの様子ではしばらく使い物にならん」
「鈴がか?」
 思わず問い返した宗史の問いに、ああと平然と頷いた。そんな、と悲痛な声で口々に漏らす。
 現在、当主二人の式神は全員変化が可能だ。それだけ主の霊力が強い証拠であり、式神らの実力が本来のものに近いという証拠でもある。そんな鈴に重傷を負わせるほどの式神となれば、変化が可能であることはもちろん、主の実力が当主と同等、あるいはそれ以上、ということになる。
「陽くんのGPSは?」
 樹が尋ねた。
「電源が切られている」
「そう……」
 顎に手を添え、俯き加減で呟いた。
「ね、携帯を体に当てられて動けなくなったって、どういうことなのかな?」
「携帯に何か仕込んでたってことか?」
「それは俺も気になった、少し調べてみよう」
 大河と弘貴の会話に、怜司が携帯を操作した。
「車のナンバーを隠して走っていたら、警察に捕まりますよね」
「どこかで戻してますね。襲われた近辺の防犯カメラに映っていると思いますけど、刑事さんたちに連絡して調べてもらえないんでしょうか」
「ナンバーが分かれば追えるけど、時間がかかるんじゃないかな。そんなに待つ余裕はないと思う」
 昴、春平、茂も疑問を口にする。
 誘拐事件ならば、警察に通報するか、犯人からの要求に従うかの二択だ。けれどこの場合、おそらく要求はない。そして警察に通報して容疑車両を追っている時間もない。目的は、陽自身である可能性が高い。
 だが不自然だ。こちらの戦力を削ぐことが目的だろうが、その場で殺害せず拉致した。人目に付かない場所で殺害する計画だとしても、手をかけ過ぎている。向こうには鬼がいて、悪鬼を従える千代もいる。何故わざわざ「人」を使った。鈴を足止めし、鬼か悪鬼を使えば防犯カメラにも映らず証拠も残らない。こちらが警察に通報すれば必ず調べられる。そうすれば、ナンバーから身元が割れるのに。
 何か、他に目的があるのか。
「ああ、これか」
 怜司が納得の声を上げた。
「携帯型のスタンガンだ」
「えっ、そんなのあるんですか?」
 差し出された携帯を驚きながら覗き込む弘貴に、全員が続く。「護身用スマホ型スタンガン」と商品名が踊るそれは、本物と見分けがつかないほど精巧だ。しかも価格も安い。
「威力は弱いらしいが、一瞬動きを止めるだけなら十分だろうな。すぐには動けないだろうし。いくら陽くんでも、力が入らない状態で男二人を相手にするのは無理だ。それに小柄だからな、簡単に抱えられる」
 全員が渋面を浮かべた。
「卑劣なことをする……」
 茂が忌々しそうに呟き、晴と志季と弘貴が同時に舌打ちをかました。携帯を持った観光客に道を聞かれることなど、京都なら珍しくもない。疑いだしたらキリがない、足をすくわれた。
「スタンガンはまずいな。気ぃ付けねぇと」
「ああ」
 その一瞬が命取りだ。注意するに越したことはない。
「宗一郎さんと明さん、式神変化させて来れば早いのに。飛べるでしょ」
 不意に、樹が玄関の方を見やってぼやいた。そんな樹を、大河がついと視線を向けてじっと見つめた。
「明るいうちは目立ちます」
 宗史が冷静に指摘すると、樹は眉根を寄せて振り向いた。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
「無駄な騒ぎは状況を悪化させるだけですよ」
 そうだけど、と樹は溜め息をついた。こんなこと、言われなくても樹なら分かるはずだが。宗史は眉を寄せ、握られた携帯に視線を落とした。
「ところで樹さん、携帯で何を?」
 この状況で遠慮はできない。あえて問うと、全員から視線が注がれた。
「ああ、ちょっとね。あとで説明する」
 言いながら携帯を尻ポケットに突っ込んだ。その時、塀の向こう側から二台分の車の走行音が聞こえ、そのまま寮の敷地へと入ってきた。二つ分のドアが閉められ、宗一郎と明が足早に庭へと回り込んで来る。
 二人の姿を確認するや否や、口を開いたのは樹だった。
「宗一郎さん、明さん、説明はあとでする。こんなことをしそうな人物に、一人心当たりがある」
 突然の告白に、怜司以外の全員から驚きの声が漏れた。歩きながら宗一郎が霊符を放って左近(さこん)を召喚し、明が眼鏡の奥で目を細めた。
 二人揃って足を止め、じっと樹を注視する。やがて、宗一郎が沈黙を破った。
「その人物だと思う根拠は」
「タイミングが良すぎる。ただ事件との関係性が分からない」
「確率は」
「五分五分」
 宗一郎は口をつぐんだ。しかしすぐにまた開いた。
「もしその人物だとして、行き先は」
「一つは山科区のアミューズメント跡地。もう一つは、宇治市の宇治川沿いにある廃ホテル」
 大河以外の全員がぴくりと反応を示した。
「確率が高いのは?」
「後者」
 即答する樹を再度見据え、宗一郎と明は顔を見合わせて頷いた。
「いいだろう。宗史、晴、樹、怜司、それと大河。お前たちは廃ホテルへ行け」
 指名されると思っていなかったのだろう。大河は一瞬動揺を見せ、しかしすぐに顔を引き締めてはいと大きく頷いた。
「志季、椿、先に行け。発見次第救出だ」
「了解」
 同時に返答する。
「山科区の方は茂さんと華に任せる。左近、閃、先に向かえ。距離的にお前たちの方が先に到着する、確認後宗史たちに連絡しろ。発見次第救出、異常がなければすぐに戻って来い。夏也、閃に携帯を」
「了解」
 四人が了承し、夏也がポケットから取り出した携帯を閃に渡す。
「発見した場合、全員手加減する必要はない。ただし殺すな、首謀者を生け捕りにして連れて来い。行け」
「了解!」
 指示を出された者たちが声を揃え、一斉に駆け出した。
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