第13話

文字数 4,960文字

 後日、休みの日の深夜に五人でその場所を訪れた。
「樹」
 道すがら渡されたのは、冬馬の自宅近くにある神社の「厄除」と刺繍されたお守りだった。
「霊感がある奴は憑かれやすいらしいから、念のためだ。持っとけ」
「……ありがと」
 樹は黒色のお守りをじっと見つめ、小さく頷いてポケットに押し込んだ。
「過保護だねぇ」
「うるさい、本当に憑かれたら面倒だろうが。そもそも誰のせいだと思ってんだ」
 良親の皮肉を一蹴し、冬馬はふいと車窓に顔を逸らした。
 目的地は上を走る道路から見渡すことができて、近くに民家もあった。もっと薄気味悪い場所を想像していただけに意外だった。
 車一台分ほどの入り口は鉄パイプで封鎖されているが、誰かが侵入した際に壊したようで傾いていた。舗装されたコンクリートの割れ目からは雑草がにょっきり生え、隣接する建物との間を隔てる石垣には蔦が這っている。見るからに何年も人の手が入っていないことが分かった。
 頭から突っ込んで歩道へ乗り入れ、停車する。ヘッドライトを照らしたままの車を降りた良親が、躊躇なく柵を跨いで奥へ進んだ。続けて樹たちも車から降りる。
「あー、ちょっと見え辛いな。携帯のライト使うか」
 言いながら携帯のライトを点灯させる。倣うようにそれぞれが点灯したあと、ライト消しますよ、と運転席で智也が告げ、ヘッドライトとエンジンを切った。近くには街灯が一本しか立っていないため、とたんに薄暗さが増す。半月の弱い光、虫の合掌と葉が擦れる微かな音。夜も深い時間、車の走行音すらしない。
「いいねぇ、それっぽくなってきた。行くぞ」
 良親を先頭に、樹と冬馬、最後尾に智也と圭介が続く。
 一つ目の柵を越えてしばらく進むと、もう一つ柵があった。その先は緩やかな下り坂になっており、道全体を雑草が埋め尽くしている。膝丈ほどまで成長し、歩き辛い。
「気を付けろよ」
 冬馬が誰に言うともなく注意を促す。良親がライトで正面を照らした。電光が弱く、さすがに奥の方までは届かない。
 ネットの情報では、アミューズメント施設と言われているがプールメインの施設だったらしく、真ん中に巨大なウォータースライダーがあり、ひょうたん型のプールへと繋がっている。周囲に張られたフェンスの外側には、正面奥から子供向けの乗り物やメリーゴーラウンドがあり、飲食施設や娯楽施設、更衣室、シャワー室の建物がある。どうやら外の施設からプールが覗ける仕様になっているようだ。
 二つ目の柵を跨いで少し進むと、右手に入場受付をする小さな小屋。透明の仕切り板からライトを照らし、覗き込む。備品はほぼ残っていないが、入場券の余りと思われる紙が散らばり、蛍光灯が割れ、雑草が茂り、壁一面に蔦が這っている。これ一つだけでも十分な不気味さが漂う。
 そこを通り抜けて、良親は足を止めた。
「樹、何か見えるか?」
 月光と携帯の明かりを頼りに周囲を見渡し、樹は首を横に振った。
「なんだ、もしかしてガセかぁ? まあ心霊スポットなんてそんなもんか」
 溜め息交じりにぼやき、良親は右手に進んだ。
 入口は施設の一番左端に位置する。右手に進めば娯楽施設の方へ、左手の眼下には鬱蒼とした森が広がっている。樹はちらりと森を一瞥し、腕をさすった。
 見えないのは本当だ。けれど、足を進めるごとにぞわぞわとした寒気が強くなる。それに、さっきから感じる視線。一人二人ではない、大勢の人間に監視されているような視線だ。
 間違いなく、何かいる。
 プールの外の施設はそこら中が落書きだらけで、空き缶やペットボトル、菓子の袋や煙草の吸殻、花火の燃えかすが散乱している。ベンチは色褪せ、サンシェードの傘は破れ、テーブルや椅子は無残に割れて転がっている。雨漏りがするのだろう、どの施設も床に水たまりができていた。
 一番奥の遊園地の乗り物は放置されたまま、雑草や蔦が絡み付き、錆ついている。カバだか豚だか分からないほど色が剥げた子供用の乗り物は、その剥げ方のせいでどこか微笑んでいるように見えた。
 プールの方へ回ろうと引き返す。施設を覗く間、ずっと腕をさすり続ける樹に冬馬が尋ねた。
「樹、さっきから寒そうにしてるけど、大丈夫か」
「……何か、いる」
 先行する良親たちが足を止め、一斉に振り向いた。
「何かいるって、見えたのか?」
 良親の質問に、樹は横に首を振った。
「けど、ずっと、見られてる感じがする」
 智也と圭介が肩を竦めて周囲を見渡した。冬馬と良親も携帯のライトで照らす。人影は見当たらない。
「戻るぞ、洒落にならないかもしれない」
「まだプールの方回ってねぇ」
「樹が嘘をつかないのは知ってるだろ。こいつがいるって言ってるんだ、間違いなくいる」
 樹に霊感があることは先日のことで証明済みだ。しかも嘘をつかないとなると、その信頼度は高い。良親が短く息をついた。
「分かった。その前に写真くらい撮らせろ。せっかく来たんだし、こいつもいるっつってんのなら何か撮れるかも」
「……早くしろ」
 言いながらカメラを起動する良親に、冬馬が眉間に皺を寄せた。
 まずは、と一人ごちて施設の方へカメラを向け、フラッシュを焚きながら何度もシャッターを切った。シャッター音が静寂の中、派手に響く。
 樹は木霊する音を聞きながら、じっと森の方を見つめた。ゆっくりと雲が月の光を遮っていく。
「なぁ、樹」
 不意に智也と圭介が不安顔で言った。
「いるって、マジだよな」
 改めて確認する二人に、樹はすんなり頷いた。
「何だ?」
 訝しげに尋ねた冬馬に、二人は顔を見合わせた。
「処刑場跡の話、知ってます?」
 首を傾げる樹とは反対に、冬馬はああと頷いた。
「大昔の処刑場が心霊スポットになってるってやつだろ」
「それです。その処刑場、森も入れたここら一帯だったらしいんですよ」
「今はちゃんと供養されてて、幽霊の目撃情報もガセって話なんで、特に気にしなかったんですけど……」
「でも、こいつさっきからずっと森の方見てるから、なんか不気味で」
「供養塔ってのがあるの、そこの森の中らしいんです」
「それほんとか」
 はい、と二人は声を揃えた。樹と冬馬は顔を見合わせた。
「本気でヤバそうだな」
 樹がこくりと頷いた直後。
「うわっ!」
 驚きの声が上がった。一斉に振り向くと、フェンス越しにプールを撮影していた良親が、目一杯腕を伸ばして携帯を遠ざけた格好のまま凍りついている。
「ど、どどどうしたんですか」
 どもりながら圭介が尋ねた。
「……いや、今なんか……女の顔が……」
 ごくりと喉を鳴らして、良親が画像を確認しようと恐る恐る腕を縮める。
「マジすか……」
「ちょっとマジでヤバいんじゃ……」
 智也と圭介がすっかり逃げ腰で呟く。
 樹は良親が携帯を剥けていた方へ視線を投げた。いつの間にか、プールの上に何か浮かんでいる。あの日に見たものと同じ、黒い煙だ。肌を刺すような酷いおぞましさに、鳥肌が立つ。思わずポケットからお守りを握って引っ張り出した。
 じっと煙を見据える。ふわふわと浮くそれは、こちらの動向を窺っているようにも、警戒しているようにも見える。もしかして、お守りの効果だろうか。
「早く出よう。良親、行くぞ」
 振り向いて促すと、さすがにまずいと思ったのか、良親は特に反論することなく携帯から顔を上げて駆け出した。と、
「樹っ」
 一旦戻りかけた樹が唐突に踵を返し、驚いた冬馬が足を止めて振り向いた。智也と圭介も一歩先で立ち止まる。樹は、え? と呟く良親の腕を引っ張り、煙を注視しながら背中を押した。
「行って、早く」
 良親が動いたとたん、煙も動いた。真後ろに移動している。理由は分からないが、もし良親が狙われているとしたら、お守りを持っている自分が後ろにつけば近付いて来ないかもしれない。実際に今は動いていない。
 樹が漂わせるただならぬ雰囲気に、良親は無言のまま駆け出した。
 次の瞬間。
「ッ!!」
 一瞬、何が起こったのか分からなかった。
 黒い煙の一部分だけが物凄い勢いで伸びてきた。咄嗟に良親の背中を力任せに横に押しやり、反動で自分も横に飛び退いた。二人の隙を触手のようなそれが通り抜け、すぐに縮んだ。
 何だ、今の。
 再びふわふわと浮く煙を見上げる。不意に別の気配を感じた。周囲から近付いてくる視線と気配。視線を投げると、森の方から同じ黒い煙が向かってくる。さらに施設の中から黒い影が姿を見せた。煙の方は一つだが、影の方は多く人の形をしている。
「お、おい樹。何……」
「出てきた、行って早く」
 唐突に背中を押されて困惑気味の良親の声を遮って急かす。冬馬たちにも視線で促し、再び良親の背中を押しながら自分も足を踏み出した。煙と影が、警戒するように徐々に追いかけ、距離を縮めてくる。
 樹はお守りを握り締め、口の中で呟いた。こんな単語の羅列で除霊ができるとは思っていない。けれど。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」
 言い終わると、手の中に握ったお守りが弱々しい光を放った。すると煙と影が怯えたように動きを止めた。今のうちだ。
 お守りが光を放ったことにも驚いたが、何故自分にこんなことができるのか。そちらの方が不思議だった。とは言え効果があることは証明された。お守りの光が消えかけ、煙と影が動く。この光が消えると襲ってくるようだ。樹は何度も口の中で呪文を繰り返しつつ、ちらちらと後ろを確認しながら走る。
 入場受付の小屋まで辿り着いた時、不意に良親が速度を落として樹の隣に並んだ。
「おい樹、マジで何なんだよっ」
 意識が逸れて呪文が途切れた。
 と、隙を狙っていたかのように煙から再び触手が伸びた。樹は左へ良親を押しやり、自身は腰を引くようにして右へ避けた。だが、もう一体煙がいた。森の方から飛んできた煙だろうか。縮む触手と入れ替わるように、もう一本の触手が良親へ伸びる。樹は足を踏ん張って地面を蹴り、つんのめるように前かがみでバランスを取る良親をさらに押した。
「何してる早く来い!」
 遅れた二人に気付いた冬馬が足を止めて振り向いた。
 ぎりぎりで素通りすると思っていたが、薄暗さで目測を誤った。左脇腹から下腹までの一直線を、触手が深く切り裂いた。
「っと、おいお前さっきから……っ」
 何すんだ! と良親の苦言は最後まで声に出されることはなかった。足を止めた冬馬と、それに気付いて戻ってきた智也と圭介が、言葉を失った。
 見えない者からすれば、突然樹の腹から大量の血が噴き出したように見えるだろう。とめどなく流れ出る血液は左足を伝って地面に池を作る。同時に樹の体が傾いで、勢いよく倒れ込んだ。
 初めは、痛いとは思わなかった。何が起こったのか分からず、けれど腹が妙に熱い。すぐに熱が足を伝った。体が動かず、そのまま倒れ込んでから自覚した。
「あ……ッ」
 烈火のような痛みに、歯が欠けそうなほど食いしばる。堰き止められていた水が放水されるような、そんな感じだろうか。体中の血が失われていくのが分かる。自然と瞼が落ちた。
 虚ろになっていく意識の中で聞いたのは、確かに冬馬の声。
「樹ッ!!」
「待て冬馬! マジでヤバい!」
「放せ! 樹、聞こえるか!!」
 聞こえてる。人間の聴覚は最後まで残ると聞いたことがあるが、本当だった。声だけが鮮明に届く。
「あれじゃ助からねぇよ!」
「だから置いて行くのか!? ふざけんなッ!!」
「智也、圭介、お前らも手伝え!」
「樹!」
 呼んでる。呼ばれている。答えなければ。
「――樹!!」
 居場所をくれた、あの人の声に――。
 その後の記憶は、綺麗に抜け落ちていた。
 気が付いたら寮にいて、知らない女が側にいた。知らない場所、知らない人。記憶が混濁した。何でこんな所にいるんだろう、戻らないと。そう思って体を起こした。とたん、襲われた激痛で思い出した。
 置いて行かれた。使えなくなったから、答えなかったから見捨てられたんだ。
 冬馬たちがいないという現実が、それを証明していた。
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