第16話

文字数 4,809文字

「他には?」
一様に首を横に振る。
「では次だ」
 そう言って、明はゆっくりと全員を見渡した。
「これから話すことは、他言無用を厳命する。何があっても絶対に外に漏らすな」
 力のこもった目と強い口調からは、その情報の重大さが窺える。張り詰めた空気の中で全員が頷いたことを確認し、明は口を開いた。
「影綱の独鈷杵の在り処についてだが、残念ながら日記にははっきりと記されていなかった。だが、ヒントはあった」
 明についと視線を向けられ、大河はごくりと喉を鳴らした。
「大河くん。先日の廃ホテルの事件で、一つの可能性が浮上した。鈴が対峙した式神に関してだが、分かるかい?」
「え? えっと……」
 独鈷杵と何か関係があるのだろうか。大河は緊張の面持ちで宙に視線を泳がせ、影正のノートに書かれてあったことを改めて思い返す。式神は術者の鏡であり、霊力に比例して変化が可能となる。式神が変化できてこそ一人前の証であり、陰陽師の中でもごくわずかだった。そして、明の式神は二体。
 そこまでの実力のある明の式神である鈴が敵わなかったほどの式神、となると。
「え……」
 丸くした目で見やると、明は返事の代わりに一度瞬きをした。
「術者は私と同等、もしくは、それ以上の霊力量、実力であると思われる」
「明さん以上……?」
 唖然と反復した大河に、明はああとすんなり頷いた。冗談でもそんなこと信じられない。確かめるように宗一郎に目を向けると、彼もまた小さく頷いた。二人がそう判断したのなら、間違いはないのだろう。と思うが。
「さらに言うなら、宗一郎さん以上、という可能性もある」
「え!?」
 目を剥いて再び視線を投げた大河に、宗一郎がにっこり笑って口を開いた。
「そんなに驚くことではない。霊力量だけでいうなら、私よりもお前の方が多いんだよ、大河」
「は!?」
 もうまともな言葉が出てこない。「え」と「は」でしか反応しない大河に、宗一郎と明が低く喉を鳴らして笑った。早々に当主に見切りをつけたのは、宗史だ。
「大河、今の話を踏まえて聞け。父さんと明さんの独鈷杵は、俺たちと同じ真鍮製だ。お前以上の霊力量なら確実に許容しない。それに、前例があれば、お前が独鈷杵を割った時に対処している。分かるな?」
「ああ、うん。分かる……ん?」
 大河にとって当主である宗一郎と明は「絶対的な強さで一生かかっても追い越せない人たち」だ。それが、霊力量だけとはいえ上を行くなど考えもしなかったし、そもそも実感がない。
 大河は何かが引っ掛かって首を傾げた。
 実感はないが、事実、宗一郎と明は真鍮製の独鈷杵を使っている。真鍮製の独鈷杵がどの程度の霊力量を許容するのかは分からないが、もしあの式神の主が二人以上の霊力量を持ち、それが大河と同等、あるいはそれ以上だった場合、どうなる。
 大河は宗史を見たまま、目をしばたいた。
「影綱の独鈷杵を狙ってる? ってこと?」
「そうだ」
 それで明は他言無用だと強く念を押したのか。独鈷杵を奪われれば、大河は未完全な霊刀を振るうことになる。一方敵側は完全な霊刀が使える。どう考えても不利だ。さらに、争奪戦になれば島の皆が危険に晒される。想像して、全身に鳥肌が立った。
 宗史が合格を出すと、そこここから溜め息と苦笑が漏れた。樹が呆れ顔でペットボトルを煽る。
「大河くん、今日は察しが悪い日なの?」
「あれだな、大河は察しがいい時と悪い時の差が激しいな」
 樹の嫌味に便乗した怜司に、今度はうんうんと同意の声と苦笑が一緒だった。そんなことを言われても、意識的にやっているわけではないのだから、どうしようもない。
「皆の察しが良すぎるんですよっ」
 宗史らだけでなく、式神や陽まで苦笑いだ。仕事中は調子良かったんだけどな、と余計なことを言った晴を睨む大河の横で、宗史が笑い上戸発動中の当主二人を睨むように見据えた。
「父さん、明さん、話を進めてください」
 少々語気を強めた宗史に、二人は長く息を吐いて気を立て直した。こんなに笑われるほどおかしいことをしただろうか。
「大河くんはやっぱり大河くんですねぇ」
「まったくだ」
 どういう意味か分からないが馬鹿にされている気がする。力と頭では敵わないからいつか必ず腹筋がよじれるほど笑わせてやろう。
 密かに復讐を企てる大河の鋭い眼光に気付いているのかいないのか、明は居住まいを正して話を再開させた。
「私はともかく、宗一郎さん以上というのはあくまでも一つの可能性だ。だが、警戒するに越したことはない。もしこの憶測が正しければ、敵側は必ず影綱の独鈷杵を狙ってくる。早々に独鈷杵を発見、回収したい。そこで、大河くん。君に質問がある」
「はい」
「自宅や御魂塚の周辺に、それらしい場所は見つからなかったんだね?」
「はい。省吾(しょうご)も一緒に屋根裏まで探したみたいですけど、何もなかったらしいです」
「では、島内で、人があまり足を踏み入れない場所。あるいは、入るなと言い聞かせられている場所はあるか? もしくは、島全体を見渡せる高い場所は?」
 大河は逡巡した。自宅周辺だけでなく島全体。未踏ではなく、人は入れるがあまり入らない場所。あるいは高い場所、と言えば。
「……神社、かな?」
 疑問符付きの答えに、宗史らがぎょっと目を丸くした。
「神社があるのか?」
 宗史に迫られて、今度は大河がぎょっとして仰け反った。
「う、うん。小さいけど。恵比寿様が祀られてるって……」
 恵比寿神は、古くからは漁業の神とされ、七福神の一柱として信仰を集め、「えびっさん」「えべっさん」などと呼ばれて親しまれている。また他にも海上安全、五穀豊穣、無病息災、商売繁盛など多くの顔を持つ神でもある。漁業と農業が盛んな島にはぴったりの神様だ。
「え、でもあそこには無いと思うよ?」
「何でだ」
「何でって、お社の中にあるのは鏡だって聞いてるし」
「誰から聞いた?」
「トシばあ」
「トシばあ?」
 全員から声を揃えて聞き返されて、大河は小さく笑った。宗一郎と明まで聞き返してくるとは思わなかった。
(ふう)のひいばあちゃん。都志子(としこ)っていうからトシばあ。島で一番の年長者で、百歳超えてるんだ。確か、今年百五歳だったかな」
「百五!?」
 またしても全員から驚かれて、大河は声を上げて笑った。
「はー、すげぇな」
「人生百年時代とはいうが……」
「百五年前って、大正の初めですね。芥川龍之介や野口英世、あと宮沢賢治の時代ですよ」
「うわ、もうはるか昔って感じの人と同じ時代を生きた人なんだ」
「まさに時代の生き証人だな」
 晴、宗史、陽、樹、怜司が驚いた顔で感心の言葉を漏らす。まさかこんなに驚かれるとは思わなかった。島には年配者が多く、大河にとっては珍しいことでもないのだが、一般的にそうでないらしい。
「私たちが知らない、厳しい時代を生き抜いてこられた方だな」
「ええ。敬意を払うべき方です」
 会ったこともないのに、当然のようにそんな言葉を口にする。二人が時折見せるこんな姿は、普段のふざけた態度を容易に相殺してしまう。穏やかな笑みを浮かべた宗一郎と明に、大河は相好を崩した。
「話を戻そう。大河くん」
「あ、はい」
 一転して真剣な表情をした明に、大河も頭を切り替える。
「先程、都志子さんから聞いたと言っていたが、彼女はその鏡を見たのか?」
「らしいです。トシばあが子供の頃に、台風で折れた木の枝がお社に落ちて屋根が壊れたらしくて。その修理の時に興味本位で見学しに行ってちらっと見たそうです」
「壊れたのは屋根だけか?」
「そう聞いてますけど」
 ふむ、と明と宗一郎は一様に考え込む姿勢に入った。
「その時に独鈷杵が見つかれば伝わってるな」
 宗史が難しい顔で言った。
「他に心当たりはないの?」
 樹に尋ねられ、大河は腕を組んで唸った。
「そう言われても……あ……」
 ふと、あの洞窟のことを思い出した。子供の頃、省吾と秘密基地にしていた山の裏側にある小さな洞窟。
「どうした?」
 宗史に顔を覗き込まれ我に返る。あの洞窟は、潮が満ちれば海に沈んでしまう。さすがにあんな場所に隠すとは思えないし、条件に合わない。二人だけの秘密な、と交わした約束が脳裏をよぎる。でも、もしもという場合がある。省吾なら分かってくれる。
 大河はもごもごと言い淀み、ごめん省吾、と心で謝ってから口にした。
「うちの山の裏に、小さい洞窟があるんだ。子供の時に省吾と一緒に見つけて、秘密基地にして遊んでた」
「洞窟?」
 宗一郎が反応した。
「はい。でも、潮が満ちたら海に沈むし、さすがに……」
「海に沈むのか」
「さすがに隠してはおけませんね」
 ああ、と同意して逡巡すると、宗一郎はふいと視線を上げた。
「その洞窟に入ったことはあるか?」
「はい。大人一人分くらいの大きさで、結構深かったです。だんだん狭くなって、途中で地下に潜るみたいに下に続いてました。怖くなって引き返したんで、そこから先は分からないです」
 宗一郎は腕を組み、唇に指をあてがった。
「海に沈んでしまうのなら、龍穴とは考えにくいが……」
「ええ。前例がありません」
「だが、一度確認は必要かもしれないな」
「龍穴って、龍脈に繋がってるっていう穴のことですか?」
 ああ、と明は頷き、小首を傾げた。
「……ゲームかな?」
 すっかりバレバレだ。図星を指されて大河はへらっと笑った。
「洞窟はそのうち確認に行こう。大河、他に心当たりはないんだな?」
 宗一郎に念を押され、大河は自信がなさそうに肩を竦めた。
「うちの島、ほとんど手付かずのままなんで、はっきりとは。でも、条件に合うのは神社くらいだと思うんですけど……」
「分かった。では、こちらから影唯(かげただ)さんへ連絡して確認してもらう。その後の対処は決まり次第伝える。それと、刀倉家に攻撃系の術が伝わっていない理由だが、訳を読めば分かる。内通者が判明したあと寮へ回すから、大河、お前は読みなさい。他の者は個々に任せる」
「あ、はい」
 さらりと片付けられてしまった。大河は風呂敷に目を落とす。独鈷杵のヒントを探りながら読まなくてもいいのは助かったが、そもそも読むスピードが遅いため時間がかかることに変わりはない。やることも多いし、事件が終わるまでに読み終わるだろうか。
「あと日記はしばらくこちらで預かる。柴は読み終わったか?」
「僕たちが出る時、柴だけ部屋にいたからそろそろじゃない? 早朝も読んでたみたいだし」
「ならば、読み終わり次第速やかに連絡するように」
 早く読めとは言わないのか。敵側が独鈷杵を狙っているとすれば、古語の上にはっきり書かれていないにせよ、内通者が読める、あるいは盗まれて解読されると在り処が知られてしまうかもしれない。日記が届くと知った時点で、二人なら気付いていそうなことだ。それでも先に柴に読ませたのは、宗一郎と明の気遣いか。
 大河と樹と怜司が返事をすると、明が続けた。
「あといくつか報告がある。まず、林良親(はやしよしちか)の携帯の件についてだが、自宅からも何も出なかったそうだ。この件に関しては、これで我々の手を離れた。次に文献に関してだが、昼間に紺野さんが朝辻神社へ行って調べたらしいが特に収穫はない。それと、樹、怜司。今後の昼の哨戒は中止する。全てを訓練の時間に充てるようにと、全員に伝えてくれ。お前たちは続行だ。寮を出る口実にもなる」
「了解」
「その代わり」
 明は宗史と晴を交互に見やった。
「志季と椿を回す。構わないな?」
「了解です」
「分かった」
「志季と椿も構わないな?」
「はい。承知致しました」
「了解」
 椿と志季が真剣な面持ちで頷いた。
「最後に、樹。さっき大河くんから新しい結界の進捗を聞いた。同時進行で地天、水天、火天の略式の訓練に入ってくれ。そのあとで水天と火天の術の会得だ」
「あれ、もういいの? 分かった、了解」
 にやりと笑みを浮かべた樹に、大河は遠い目をした。明日からの訓練を想像するだけでも気が遠くなりそうだ。
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