第9話

文字数 3,978文字

「話を戻そうか」
 はい、とすでに少し疲れ気味の答えが返ってきた。
「先程大河が言っていたが、柴の復活時、敵は島へ来ている。だがあの時は、昴が宗史と晴のGPSを追っていたと思われるため、文献に島の情報が書かれていたという根拠にはならない」
 容赦なく否定され、大河はぐっと息を詰まらせた。言われてみれば確かに。
「しかし、隗は紫苑との交渉時、『柴を連れて来ると約束するなら、封印場所を教える』と条件を出している」
「え、そうなんですか?」
「ああ。つまり、紫苑を復活させる前に柴の封印場所、引いては影綱の故郷であり独鈷杵の在り処を知っていたことになる。だが両家の口伝では、長い間『周防国(すおうのくに)の国府近くに浮かぶ小島』と伝わっていたと聞いている。向小島に変わったのは、江戸時代初期だそうだ。地図は残っていない」
 今度は大河が「え」と口の中で呟いた。
「柴、紫苑。お前たちは、影綱から何か聞いていたか?」
 柴が答えた。
「周防にある小さな島、と聞いただけだ」
「そうか。影綱の日記にも書かれていなかった。刀倉家の者が読む前提で書いたからだろう。省吾くん、紺野さんのことは?」
「紺野さん? いえ」
「昴の叔父で、京都府警の刑事だ。我々と協力関係にある」
「ああ、大河から刑事さんと知り合いになったと聞いていますが……そうですか。昴さんの叔父さん……」
 省吾の痛々しい声に引きずられるように、皆が視線を落とす。大河は、紺野さんたちの写真も送った方がいいかな、とちらりと考えた。
「彼が調べたが、朝辻神社の文献がいつ、誰の手によって記されたものなのか判明しなかった。だが、少なくとも江戸時代に入った頃には、すでに存在していたそうだ」
「じゃあ、江戸時代より前。やっぱり……」
 省吾が独り言のように呟いた。
「やっぱり?」
「あ、俺なりに調べてみたんです。向島が開拓されたのは、江戸時代初期の1699年、毛利吉広の時代らしいんです。それまでは、風待ちとして使われていた程度だったそうで。で、防府市の古い地図を調べてみました。江戸時代のものなんですが、向島は名前と一緒に描かれていますが、うちの島はありませんでした。多分、これと言って特徴がなかったからだと思います。向小島と呼ばれていたかすら分かりません。念のために平安時代の地図を探したんですが、見つからなくて。現存していないそうですね」
「ああ。現在見つかっている地図で最古のものは、京都の仁和寺(にんなじ)が所蔵する『日本図』だ。1305年、鎌倉時代後期に描かれたと伝わる。だが、今のように詳細ではない上に西日本が欠けているんだよ。日本全土が描かれている地図としては、五年ほど前に広島で発見された、室町時代に描かれたとみられるものが最古だ。しかし向小島はおろか、向島すら描かれていない」
「じゃあ、うちの島が向小島と呼ばれ始めたのは、江戸時代の初め頃。文献がそれ以前に書かれたのだとしたら、名前なんか分からないですよね」
「ああ」
「晴明からの招聘(しょうへい)なら、周防から来るってことくらいは陰陽寮で噂になっていてもおかしくないと思うんです。てことは、名前が分からなくても、国府の近くって書かれてたら見当くらい付きますよね。影綱が聞かれて答えたのかもしれないし……。その辺のこと、日記には?」
「いや、書かれていなかったな」
「そうですか……」
 文献を書いた奴はどこまで知ってたんだ、と低く呟く省吾の声を聞きながら、大河は虚ろな目で空を見つめた。省吾が何に引っかかっていたのかは分かったが、何やらややこしい話になってきた。まさかここで歴史の話になろうとは。国府とか風待ちって何だ。
「あのさ」
 弘貴が眉間にしわを寄せて口を挟んだ。
「国府とか風待ちって、何?」
 同じことを言った弘貴に、大河は大きくうんうんと頷いた。
「それ僕も知らない。国府は分かるけど、風待ちって?」
 便乗した樹に、意外にもダイニングテーブル組が俺も私もとさらに便乗した。国府が分からないのは大河と弘貴だけのようだ。
 宗一郎からちらりと視線を投げられた宗史が、窺うような視線を大河と弘貴へ向けた。
「念のために聞くが、律令制は分かるな?」
 簡単にいえば、それまでばらばらだった権力を一つにまとめ、人々を支配するための制度だ。中央集権、といったか。確か奈良時代に制定されて、平安時代の半ばにはすでに崩壊しかけていた。はずだ。
 一応頷いた二人にほっとした様子を見せて、宗史は続けた。
「その律令制によって置かれた国、例えば周防国(すおうのくに)長門国(ながとのくに)といった、要は昔の都府県だ。その国の政務を司る施設、国衙(こくが)がある場所を、国府と呼ぶ。今でいう、県庁や府庁所在地だな。……歴史の授業で習っているはずだが」
 てことは、昔は防府に県庁があったんだ、と自分なりにまとめていると、冷ややかな指摘と視線が飛んできた。大河と弘貴が素早く視線を逸らす。二人へ苦笑いが向けられ、宗史は嘆息して「ただ」と続ける。
「風待ちは、申し訳ないが俺も初めて聞いた」
 潔く白状した宗史に、宗一郎がおやといった顔をした。当たり前だが、宗史でも知らないことあるんだと意外に思う。
「風待ちというのは、船を出す時に、風向きが変わるのを待つことだ。向島は、船の待機場所だったようだな」
 画面の中の晴と陽を含め、へぇ、と今度は全員から声が上がる。
 今度は省吾が口を開いた。
「大河、周防国衙跡(すおうこくがあと)って、でっかい公園があるだろ」
「うん。あれっ、あれがそうなの?」
 防府市のほぼ中央にある公園だ。しかし、公園と言っても石碑はあるらしいが遊具などはなく、ただただ芝生が広がるだだっ広い広場だ。前を走る道路には、全国チェーンの寿司屋やファミレスやうどん屋、某有名な衣料量販店がある。寿司屋やファミレスはともかく、量販店はそこ一店舗だけなので時々利用していて、よく知っている。公園は脇道に入った先にあるため道路からは見えないが、「国衙跡」と呼ばれる交差点の角に「周防国衙跡」と彫られた石柱が建っていたはずだ。
「そう。あの辺一帯が国府だったらしいぞ」
「そうなんだ。あ、じゃあ国府中学って、そこからきてるんだ」
「だろうな」
 大河と省吾が地元トークをしている間に、ダイニングテーブル組や宗史や陽が携帯で地図を検索する。
「確かに、国府の近くと記されていれば、どの島か分かるであろうな」
「ええ。他に島はないようですし」
 柴と紫苑が地図を覗き込みながら感想を漏らす。二人が言うように、防府市に国府があったのならば、一番近い島は向島と向小島しかない。佐波島という灯台の建つ無人島や、野島、平島、沖島などもあるが、本土からかなり離れている。
 腕を組んで難しい顔をする弘貴を茂がこっそり一瞥し、苦笑いした。
「つまり」
 茂の声に、弘貴が顔を上げた。
「朝辻神社の文献は、江戸時代より前に書かれていた可能性が高い。で、大河くんたちの島が向小島と呼ばれ始めたのは江戸時代に入ってから。だからあの文献に向小島の名前が書かれていた可能性は低い。でも『周防の国府の近く』と書かれていたら場所は割り出せる。てことだね」
「おお、なるほど」
 大河と弘貴の声が重なった。携帯から省吾の呆れ気味の嘆息が聞こえたのはきっと幻聴だ。
 すぐに弘貴がテーブルの上の携帯に目を落とした。
「んー、でもさぁ、周防だって分かってた可能性は高いとして、島の名前も国府の近くとも書かれてなかったかもしれねぇんだろ? その場合は、この数の島を一つ一つ回るしかねぇよな。すげぇ執念だけど、確実性がなくね? 実際、独鈷杵は隠されてたわけだしさ。もし影正さんが満流に聞かれてたとしても、話さなかったんじゃねぇかなぁ」
 一部結果論ではあるが、弘貴の疑問はもっともだ。
 かつて周防国であった周南市や柳井市をはじめ、大島郡には周防大島諸島(すおうおおしましょとう)と呼ばれる、たくさんの島を有した諸島が浮かんでいるのだ。一日ではすべて回り切れない。さらに、影正が口をつぐんだ可能性はかなり高い。影綱の存在、独鈷杵、御魂塚のことは公的な文献には残っていないのだ。間違いなく警戒する。そうなると、数日間が無駄になるのだ。ならば、向小島に来た時、なおさら自分の足できちんと調べるべきだったのではないのか。
 省吾が言った。
「多分ですけど、その場合は二年前のあの時にはっきり分かったんだと思います」
「何で? あ、俺らタメだから敬語なしで」
 尋ねるついでに言われて、省吾は「じゃあ」とすんなり受け入れた。
「あの時、友達が大河の名前を呼んだんだ。刀倉って。元服して宇奈月影綱の名前を賜るまでは、刀倉影介と名乗っていたはずだし、柴と紫苑が封印されたことだけじゃなくて、少なくとも紫苑の封印場所は知っていた。文献を残した奴が陰陽寮にいた可能性はかなり高い。なら、間違いなく影綱の本名は書かれてたんじゃないかな」
 つまり、島の情報が「周防に浮かぶ小島」だけだったとしても、満流は影綱の本名を知っていた。あの時、大河たちが船を待っていることは分かっただろう。さらに友人が「刀倉」と呼んだことから、向小島だと断定したのではないか、と言っているのだ。
 淀みない省吾の答えを、樹たちダイニングテーブル組は、目を丸くして聞いていた。自慢の幼馴染みの実力を見たか。大河はこっそり得意げな顔をした。一方で、省吾と面識のある宗史たち、省吾の聡さを知っている当主二人と陽は、面白そうに笑って皆を眺めている。
 やがて、樹が長い息を吐き出した。
「は――、すごいね。当事者じゃないのに、ここまで調べて推理できるなんて。大河くんの幼馴染みとは思えない」
「ひと言多い!」
 堪らず突っ込んだ瞬間、省吾が噴き出した。この野郎と歯ぎしりして樹を睨む大河をよそに、ダイニングテーブル組は顔を見合わせて「確かに」「ちょっと意外」と悪ノリする。悪ノリのはずだ。多分。
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