第12話

文字数 4,726文字

 紺野はさっそく携帯と手帳を取り出し、明へ電話を入れようとした時、覚えのない番号が液晶に表示された。少し警戒して通話する。
「はい」
「あ、もしもし。橘と申しますが、紺野さんの携帯でお間違いないでしょうか」
「ああ、はい。橘さんですか。先日はありがとうございました」
 名前を聞いて思い出した。そう言えば、お札詐欺なるものをでっち上げて固定電話の通話記録を頼んでいたのだった。
「いえ、こちらこそ。札を剥がすお手伝いをしていただいて、ありがとうございました。助かりました」
「いえ。通話記録の件ですよね。どうでしたか?」
「特にこれといっておかしな番号はないですねぇ。車の保険会社に妻の実家くらいです。今はほとんど携帯ですから。名刺のメールアドレスに写真送りましょうか? それとも警察に送った方が……」
 ぎくりとした。そんなことをされたらバレるかもしれない。
「いえ、こちらにお願いします」
「分かりました。じゃあすぐに送りますね」
「ありがとうございます」
「いえ。それで、妻が利用したサイト大丈夫でした?」
「ああはい、大丈夫でしたよ。詐欺サイトリストにはありませんでした。ただ参考までに記録の方はお願いします」
「はい。ああでも良かった、詐欺じゃなくて……」
 電話の向こうから安堵の息が聞こえた。
 詐欺ではない、と言い切れるかどうか。陰陽師を生業としている彼らが「ほとんどがでたらめだった」と言っている以上、妻が購入した札は偽物だったのだ。何の効力もない、ただの落書きのような紙切れが一枚数千円から数万円もする。だがこれまで訴えられていないということは、購入者にとってはそれなりに効力があったのだろう。結局は本人の判断次第だ。
「あの、刑事さん」
「はい?」
「今回は、本当にありがとうございました。若い刑事さんにも、そうお伝えください」
「分かりました。奥さん、良くなるといいですね」
「ありがとうございます。じゃあ、失礼します」
「はい」
 通話が切られるまで待ってから、紺野は携帯を耳から離した。
「橘さん、どうでした?」
「特に不審な番号はないらしい。写真を送ってくれるらしいから、連絡するならその後の方がいいか……ああそれと、本当にありがとうございました、だと」
「そうですか……奥さん、良くなりますかね」
「こればっかりはな……時間が必要だろ」
 ですよね、と小さく呟いた北原の横顔がどこか思い詰めているように見えて、紺野は眉を寄せた。おい、と声をかけようとした時、携帯が鳴った。メールの着信だ。
 橘からのメールで「通話記録」と件名が入っている。添付ファイルを開き確認すると、記録として残っている番号はほとんどが同じ番号で、一度だけ別の番号が挟まっているくらいだ。何度もかけられているのはおそらく沖縄の妻の両親だろう。京都の市外局番ではないし、日付が事件と重なっている。別の番号は京都の市外局番で、こちらは車の保険会社だろう。企業の番号ならネットで調べればすぐに判明する。
「何も出ねぇか……」
 証拠が残るような接触の仕方をするほど、相手も軽率ではないか。となると防犯カメラの方も期待はできない。マスクと帽子さえすれば顔は隠せる。服装も量産品で揃えれば特定は難しい。
 紺野は舌打ちをかまし、明の番号を呼び出した。コール三回で繋がる。
「俺だ。今いいか」
「ええ、大丈夫ですよ。何か分かりましたか?」
 紺野はついさっき仕入れたばかりの二つの情報を、手帳を確認しながら伝えた。
「――だ、そうだ。ご感想は?」
「そうですね……橘さんの方の防犯カメラの映像ですが、そちらは?」
「まだだ。あのな、俺たちだって暇じゃねぇんだよ」
「すみません。お忙しいのは重々承知していますが、何せ警察の方にしか手が出せない領分なので、つい頼ってしまいます」
 電話の向こうでわざとらしい笑みを浮かべている様が手に取るように分かる。
「……あんたのその言い回しが俺に通用すると思うなよ」
「何のことです? 私は本心をお伝えしているだけですが」
「嘘つけ。それで?」
 向こうのペースに巻き込まれる前に、戯れはさっさと切り上げるのが得策だ。紺野が促すと、明が低く唸った。
「同行していた女性が見た光は、おそらく結界を破った時のものでしょう。その方は少し霊感があったのかもしれません。紫苑の御魂塚の結界は、注連縄と二重に張っていたんです。井口宙くん、でしたか。彼が見た赤い光が目だとすると、一人は間違いなく紫苑。もう一人はおそらく鬼代事件の鬼でしょうね。大岩が倒れてきたということですし、柴の御魂塚の結界も、紫苑が力づくで破っていますから不可能ではありません」
「けど、鬼が二匹もいたのにあいつらが生きてるって点は矛盾するだろ。その辺はどう考える?」
「単純に、もう一人の鬼が紫苑を止めた、としか。正気を失っている鬼を止められる人間はいませんから。もしくは、陰陽師がいたか。新たな術を編み出すほどの霊力を持つ陰陽師なら、鬼と協力すれば可能かもしれません」
「ああ、鬼二匹だけとは限らないか」
「ええ。とりあえず、宗一郎さんには私から報告を。何か分かれば連絡しますので、紺野さんも引き続きお願いします」
「分かった――と、そうだ。一つ断っておくことがある」
「何でしょう?」
「実は管理官が代わって、事件を再捜査することになった。それでその管理官があんたのことを疑ってる。あんたのアリバイを徹底的に調べろって言われてな、ここ数日、近所で聞き込みしてるぞ」
「ああ、妙子さんから聞いています。刑事さんが私のことを聞き回っているという話を聞いたと。なるほど、そういう理由ですか」
「知ってたのか。主婦の情報網ってのはやっぱすげぇな」
 明が小さく笑った。
「そんなわけだ、悪いな」
「いえ、構いません。いっそ思う存分調べていただいた方が、こちらとしても助かります。いつまでも被疑者扱いされるのは、さすがにいい気分じゃありませんし」
「そりゃそうだ。じゃあ、また連絡する」
「はい、では」
 すんなりと通話は切れ、紺野は携帯をポケットにしまった。
 ものすごく簡単にまとめると、鬼が一匹、陰陽師が一人、一連の事件の被疑者として浮上している。さらに行方不明の鬼が二匹いて、被疑者には警察関係者が含まれている。
「警察関係者っつってもなぁ……」
 警察官や鑑識はもちろん、科捜研も含むと相当な人数になる。その中から一人、ないし数人を絞り込むのはかなり難題だ。
「単純に考えれば、少女誘拐殺人事件を担当した刑事ってことになりますよね」
「まあな」
 警察官は捜査情報を漏らさないのが鉄則だ。被疑者の情報はもちろん、逮捕日を漏らそうものなら即刻懲戒処分だ。明たちの推理が正しければ、増田の情報共々、逮捕日が漏れていたことになる。つまり、少女誘拐殺人事件の捜査員だ。
 ただ、捜査員ではなくても分からないことはない。現実問題、警察官全員口が堅いとは言い切れない。所詮人間だ。つい漏らしてしまうこともあるだろうし、上手く言い包められてしまうこともあるだろう。犯人が捜査員より格上ならなおさらだ。要するに、情報を漏らしたのは少女誘拐殺人事件の捜査員だが、そいつが一連の事件の関係者だとは限らない、ということだ。
 だから明は「警察内部」と言ったのだろう。
 しかしさらに突き詰めるのなら、被疑者はさらに広範囲になる。捜査員が外であの事件を担当していると話していれば、家族や友人知人、近所の住民から立ち寄った店の店員、客までも捜査対象になる。さすがにそれは勘弁願いたい。
 紺野は長い溜め息をついた。警察官として誇りを持っている人たちばかりだから、と北原が宙に語った言葉の真実味がますます薄くなってしまった。
「それにしても、俺たちもそうですけど、彼らはどう思ってるんでしょうね」
 神妙な表情で言った北原に、今度は紺野が首を傾げた。
「どうって?」
「ほら、彼ら以外に陰陽師がいて、そいつが関わってるって話です。いくら仲間じゃないにしろ、同じ陰陽師なのに疑うのは嫌じゃないのかなって」
「……ん?」
 ふと紺野は疑問の声を上げた。
「どうしたんですか?」
「あ、いや……」
 紺野は逡巡し、北原に尋ねた。
「お前、今回の事件に陰陽師が関わってるって聞いた時のこと覚えてるか?」
「ええ、だから今その話を……」
「あの時あいつは、この事件に陰陽師が関わってるって言ったよな?」
「はあ、言ってましたけど」
 要領を得ない。北原が眉をひそめた。
「つまり、自分たちもってことだよな?」
「えっ?」
 あの時、明は「陰陽師が関わっていると断定しました」と言った。自分たちを除いた、と言うような文言は口にしなかった。
「てことは、寮にいる人たちも含めて、全員が被疑者ってことですか? でも仲間ですよ? そんなまさか」
「仲間っつっても全員が陰陽師であることに変わりはねぇだろ。それに、あの日おかしいと思わなかったか?」
「おかしいって、何がですか?」
「俺たちは、情報を全て渡すと言ったんだぞ。それなのに指定されたのは土御門家だ。この状況なら、寮の奴らも含めて話するのが普通だろ。何でわざわざ土御門家だったんだ」
 あの場にいたのは、両家当主と実子の宗史、実弟の晴、陽だった。陰陽師家の正当な血を受け継ぐ者たちだけ。つまり、当主二人が一番監視しやすく、かつ信頼が置ける人物のみ。
「それは、俺たちの話を精査してから話すつもりだったんじゃ……」
「する意味がねぇし、二度手間だ。よく思い出せ、あいつらも言ってただろ。事件当初から陰陽師が関わっていることは可能性としてあったって。もし寮の奴らを初めから疑ってたとしたら、俺たちの情報を寮の奴らに聞かせるのは、こっちの手の内を見せることになる。つまり寮の奴らに情報が流れていない可能性がある」
 そう考えると、明が何故あんな言い方をしたのか納得できる。
「だから土御門家だったってことですか? で、でも、大河くんは山口出身ですよね? 最近事情を知ったらしいですし、おじいさんだって……」
「あいつの全てを知ってるわけじゃねぇ。演技だとも考えられる。それに、他に仲間がいるならそいつらが勝手に殺したのかもしれねぇだろ」
「……こんな事件を起こすような子には、見えませんでしたけど……」
 眉間に皺をよせて不満気にぼやく北原に、紺野はぴしゃりと告げた。
「そんな人には見えなかった、そう言われるような奴が犯人だった事件を、俺たちはどれだけ見てきた?」
 ぐ、と北原は喉を詰まらせた。
「疑い出したらキリがねぇのは分かってる。だがそれが俺たち刑事の仕事だ。それに、そもそも寮の奴らはどういう経緯であそこにいるのか知らねぇだろ」
「それはそうですけど……あ、でも、調べて何もなければ被疑者から外せますよね」
 そうか、と北原は勝手に納得して一人で頷いた。思わず「そうじゃねぇ」と言いかけてやめた。疑ってかかる自分と、疑いを晴らそうとする北原。目的が違う方が、視点が違って思わぬことに気付くかもしれない。
「少女誘拐殺人事件に関わった刑事の経歴と、寮の奴ら全員の身元を調べる」
「分かり……でも、どうやって? 俺たち皆の名前知りませんよ?」
 そう言えば。会合でこちらは自己紹介したが、向こうはしていない。
「……刀倉大河、昨日こっちに戻って来てるんだよな」
「ええ」
「なら、直接挨拶に行くか」
 北原は一瞬戸惑い、はいと硬い声で同意した。
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