第5話

文字数 5,294文字

「さて、閑話休題だ。ここからは、奴らの目的について話そう」
 笑みを浮かべた宗一郎が仕切り直し、皆一同に気を引き締めた。大河もテーブルから顔を上げる。
「と言っても、正直なところ最終目的までは分からない」
 先ほどと同じく、続きは明が引き継いだ。宗史と晴の役割分担に似ている。
「結論から言おう。おそらく、千代を蘇らせ悪鬼を従わせるためだ」
 実に明確な説明に、大河は呆気にとられた。
 千代を蘇らせ悪鬼を従わせるために鬼代神社から骨を盗んだというのは分かる。日記にも、大戦の引き金は千代が悪鬼を率いて三鬼神(さんきしん)(こう)の傘下の者を八つ裂きにしたことから始まったと記されていた。分かるが、それだけ? という疑問も浮かぶ。
「え……と……?」
 その先は? と問う前に明が続けた。
「悪鬼を従わせることができれば、この世を混沌に陥れることが可能だ。そうすれば大戦を再現することになるのは明らか。混沌に陥れること自体が目的なのか、それとも別に目的があるのかは分からない」
 この二人に分からないことが自分に分かるはずがない。それでも大河は目一杯頭を捻った。
「この世を混沌に陥れることができるってことは、世の中を憎んでる? ってこと? 日本を滅ぼしたいとか?」
 それが当たりなら、まるで二次元の敵キャラのような目的だ。
「端的に考えればそうなるな」
「でも……ちょっと矛盾するような気がするんですけど」
 宗史が同意し、納得しがたい様子で口を開いたのは陽だ。
「少女誘拐殺人事件で関わった陰陽師は、犬神も目的に入っていたとしても、遺族の方の復讐に手を貸したことに間違いはないんですよね。被害者遺族の方の心情を鑑みれば、それは願ってもないことだと思うんです。でも世の中を混沌に陥れたら、せっかく手を貸した遺族の方も巻き込まれてしまうし、無駄になりませんか?」
 陽の言うことはもっともだ。母親の復讐心を満たす手助けをしておいて、混沌に巻き込むかもしれない企てを立てているなど、矛盾しているように思える。
「敵は複数人という可能性は当然考慮するとして、もしかして向こうは一枚岩じゃないのかもしれないな」
「どういうことだ?」
「最終目的は同じでも、そこまでの過程が違うのかもしれない。だからこちらからは、行動が矛盾しているように見える。人を殺害しているという点で一貫していても、少女誘拐殺人事件の犯人は犯罪者だ。ただ一緒に行動していないとしても、連絡くらいは取り合ってるだろうな」
「つまり犬神を行使した奴は必要悪だってのか? 必要悪を実行する奴とただの殺人犯の最終目的が同じかぁ?」
「一つの仮説だ」
「なんかさ」
 大河が眉根を寄せて言った。
「結局のところ、世の中を混沌に陥れるって目的は間違いないんだよな。どう考えても、世の中を滅ぼしたいんだろうなー、しか出てこないんだけど。でもそうなると、なんで柴と紫苑を復活させたのか分かんないんだよ」
「そりゃお前、三鬼神の一人と腹心だろ? 仲間にしようとしたんじゃ……あ?」
 言いかけて気付いた晴に、大河は前のめりに言った。
「おかしいよな。向こうは文献持ってるんだし、だったら柴と紫苑がどんな奴らなのか分かってると思うんだ。仲間にしようって考えるかなぁ」
「待て。向こうが持っているとされる文献に、奴らの性格までが書かれているとは限らないだろ。交流があった影綱が残した日記と(きば)がいたからこそ、こちらは柴と紫苑の性格が分かったんだ。新たな鬼が(かい)だと仮定するなら可能性はあるが、まだはっきりしていない以上容易に答えは出せない」
「あ、そっか。じゃあやっぱ仲間にしようとした?」
 首を傾げた大河に、宗史が胡乱な視線を向けた。
「……お前、さっきから柴と紫苑が敵じゃない前提で喋ってないか」
「あ……」
 島でも同じようなことで少し揉めたことを思い出し、大河はおどけるように肩を竦めた。宗史が呆れたように肩を落とした。
「ほんと、この世を混沌に陥れて何がしたいんでしょう……」
 ぽつりと呟いた陽の言葉に、四人が疲れた溜め息を漏らした。だが、それを見つめている当主二人は何故かにこにこと笑顔を浮かべている。
「いいね。考えるのはいいことだよ。思う存分悩みなさい」
 今度は晴が胡乱な視線を向けた。
「つーか、当主陣の意見はないんすか」
「ないよ」
「ないなぁ」
 二人揃って即答だ。晴がまた溜め息をついた。
「初めに言っただろう。分からないって」
 そりゃそうだけど、と晴が肩を落とす。
「そもそも、向こうの情報が少なすぎるんだ」
 溜め息交じりの宗史の言い分はもっともだ。
 一つの事件に関わっているのが鬼なのか陰陽師なのかは物的証拠や現状証拠で判断できるが、それがどんな人物なのかまではさすがに分からない。紺野たちの協力が得られる今、防犯カメラなどの映像証拠があれば、顔が映っていれば顔認証システムも使えるし、前歴があればそこから身元を洗いだせる。だが紫苑の件は、山中での出来事で映像や画像は期待できない。復讐に手を貸した陰陽師に関しては紺野たちの報告待ちだ。
 できればすぐに詳しい情報が欲しい。そうすれば後手に回らずに済む。その情報を持っている人物と言えば、思い当たるのは彼らだ。
 大河はわずかに眉を寄せた。
 あの時、影正を運んでくれた時に浴びせかけた酷い言葉が、ずっと心の中で燻っている。あの二人がこちら側についてくれれば、などと言う資格は自分にはない。だが、それは自分だけの問題であり、事件解決の糸口となる可能性を捨てるわけにはいかない。
「柴と紫苑、俺らに協力してくれないかな……」
 彼らがこちら側についてくれればかなり有利になるのは確かだ。柴はともかく、紫苑は確実に敵側の者たちと接触しているはずだ。そうでないと柴の封印場所が分かるはずがない。敵の潜伏先も知っているかもしれない。
 ぼそりと言った一言に、全員が一斉に大河に視線を投げた。
「えっ、何? 俺ヤバいこと言った?」
 後ろめたさと、以前、柴のことで宗史と軽く言い合いになったため控え目に言ってみたのだが、やっぱり駄目だっただろうか。注がれる視線の中、ごくりと喉を鳴らすと、晴が神妙な声で言った。
「大河、お前……囮になれ」
「……は?」
「もういっそ素っ裸で外に立ってろ。お前って鬼にとってご馳走なんだろ。そのうち匂いに釣られて来るんじゃね?」
「何だよそれっ! 何で裸!? ほんとに来たらどうすんだよ!」
「いいじゃねぇか精気の一滴や二滴。吸わせてやれよ」
「ひでぇ! 他の鬼が来たら死ぬだろ確実に! って精気の単位って滴なの!?」
「リットルじゃなかったか?」
「いや、グラムでしょう」
 いや合だろ、いやいや、と明と宗一郎まで参戦し、宗史は頭を抱えて深く溜め息をついた。大河の向こう側では、陽が突然始まった大人たちのおふざけを呆然と見つめている。
 ここは阿呆の集まりか? と左近が辛辣にぼやいた声が聞こえ、もう一度溜め息をついた。式神に呆れられては陰陽師としての面目は丸潰れだ。宗史はテーブルを一度叩き、
「父さん、明さん、いい加減にしてください。戯れが過ぎます。晴も大河をからかうな。大河、晴にいちいち付き合うな。収拾がつかない」
 それぞれを見やりながら、特に晴と大河に鋭い視線を刺しつつ苦言を呈した。
 宗史にじろりと睨まれ、大河はすみませんと肩を竦める。晴と明、宗一郎も苦笑いを浮かべた。
「まあ、大河を囮にする案は置いておいて、柴と紫苑か。有りか無しで言えば、有りだな」
「父さん!? 何を言ってるんですか!」
 宗一郎の判断に宗史が目を剥いて声を荒げた。
「そんなに驚くことではないだろう。柴が正気であることはお前自身認めている。影綱の日記や牙の証言が事実なら、柴は平和主義者である可能性が高い。とすれば、この国を滅ぼさんとしている首謀者につく確率は極めて低い」
「平和主義者なら傍観を決め込むかもしれないでしょう。実戦を免れないことくらい分かるでしょうから」
「その可能性もあるが、果たしてどうかな?」
 含んだ言い回しに宗史が眉をひそめた。
「どういう意味ですか」
「公園で助けに入ったこと、影正さんを寮まで運んだことが、すでに彼らがこの件に関わっている証拠だ。今さら傍観を決め込むとは思えないが?」
「……そんなの、分からないじゃないですか」
 頑なに柴と紫苑を拒む宗史に、大河は首を傾げた。
 確かに柴と紫苑は鬼だ。島であれだけの戦闘を繰り広げ、皆が負傷した。その時点で信用できないのは分かる。しかし、寮に現れた柴を宗史自身が正気だと認めている。ならば島での柴とは違うと理解しているはずだ。何をそこまで拒む理由があるのだろう。鬼だから信用できないとか、そんな理由だろうか。
 宗史さん、そんな先入観で判断する人かな。二人ときちんと話ができれば、信用するのかな。
 珍しく拗ねたような表情を浮かべる宗史をじっと見つめながら、ふとあの時のことを皆に話していないことに気付いた。
 あの、と口を開こうとした時、障子の向こう側に影が映った。
「お話し中失礼します」
 すっと障子が開き、夏美が顔を出す。
「お茶菓子とお茶のお代わりをお持ちしました」
「ああ、すまない。ありがとう」
 椿が立ち上がり、式神を含めた人数分の茶菓子が乗ったお盆を預かる。夏美は麦茶が入ったポットを抱え、順に麦茶を足して回る。
「楽しげな声が聞こえてきましたけど、何かありました?」
「うん。色々とね」
「あら、秘密ですか?」
「そういうわけではないよ。ただ、宗史の許可がいるかな」
「どうして貴方はそういうことを……っ! 言いません、秘密です」
「冷たいわねぇ。どう思う? 大河くん」
「え……」
「母さんっ。大河を巻き込まないでくださいっ」
 くすくすと小さく笑いながら回り終え、夏美はじゃあと言って下がった。
 まったく夫婦揃って、と宗史がぼやく声を聞きながら、大河は配られた菓子をじっと眺める。透き通った羊羹の中にスイカやマンゴーなどの季節の果物が入った、夏らしい涼しげな菓子だ。
「大河、どうした? もしかして羊羹は嫌いだったかな」
 手をつけようとしない大河に、宗一郎が落ち着いた声で尋ねた。
「あ、いえ……俺、あの時のこと話してないなって思って」
「あの時?」
「柴と紫苑が、じいちゃんを運んでくれた時のことです」
「何か、あったのか?」
 楊枝を皿に戻し問うた宗一郎に、皆が動きを止めた。大河は小さく頷いて、ゆっくりと口を開いた。
「あの時、あいつ、謝ったんです」
「謝った?」
 うん、と宗史の反復に頷く。
「すまないって」
 皆、食べかけの羊羹を忘れて驚いた。その中でも一番驚いた顔をしたのは、宗史だった。
「俺、それですっごい腹立って柴に掴みかかったんです。でもあいつ、立ち尽くしたまますごい悲しそうな目でこっちを見てて。俺、何も言えなくなっちゃって。何でこいつこんな目ぇしてんだって、じいちゃんを殺した鬼と同じなのに、何なんだこいつって訳分かんなくなったんです。でも今思えば、俺を襲うつもりならその時に襲えてたはずだし、それこそ……じいちゃんを囮にしておびき寄せるとか、色々手はあったと思うんだ。それなのに何もしないでどっか行くとか、わざわざああやって運んでくれたのって、どういうことなのかな、とか。すみません、何かまとまんなくて」
 小さく、しかしはっきりと告げられた「すまない」という謝罪の言葉。手の平を滑る着物の感触。悲しげに揺れた、深紅の瞳。まだ、鮮明に思い出せる。
 ごまかすように苦笑いを浮かべた大河に、そうかと宗一郎が答えた。
「謝ったか……」
 ふむ、と考えながら羊羹を口に運ぶ。
 何やら長考に入った宗一郎に倣うように、皆一様に羊羹に手をつけた。と、明がそうだと大河を見やる。大河はもぐもぐと口を動かしながら返事の代わりに首を傾げた。
「大河くん、紺野さんたちから伝言を預かってる」
「ん」
 ごくりと飲み込み、楊枝を皿に戻す。
「自分たちがもっと早く信じて鬼代神社の報告をしていれば、防げていたかもしれない。申し訳なかった。だそうだ」
 大河は目を見張った。まさか彼らまでそんな風に思ってくれているとは思わなかった。
 確かに、鬼代神社の状況を知っていれば、早々に鬼の存在が判明していた。そうすれば、皆もっと警戒していただろうし、影正も死ぬことはなかったかもしれない。けれど。
「紺野さんたちのせいじゃないです。紺野さんたちだって、刑事って立場があるんだし。俺だって初めは信じらんなかったから気持ち分かるし。だから、もうそんな風に思わないでくださいって伝えてください」
 へらっと笑って言った大河に答えるように、明も微笑んだ。
「ああ、分かった」
 大河は満足そうに残りの羊羹を口に運んだ。
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