第13話

文字数 2,639文字

 徐々に小さくなる声を聞きながら、尚は、ふ、と短く息をついた。せっかく行使した地天がもったいないと思ったけれど、煙幕になってくれたので良しとしよう。
 一体残らず消滅したことを確認し、
「さて」
 気を取り直して千代へ視線を投げる。
 赤い目は、冷静にこちらを見下ろしていた。巨大結界の発動の護衛を一人で任されていると分かった時点で、一筋縄ではいかないことは予想しただろう。とはいえ、戦力を失ったというのに。何か他に仕掛けでもあるのか。
「表情が変わらない子ね。女は愛嬌よ?」
 努めて平常心を装い軽口を叩く。不意に、千代がこちらへ体を向けてすいと宙を滑った。
「あら。やっと相手してくれる気になったのかしら」
 警戒しているのか、それとも考え事でもしているのか。こちらを見据えたままゆっくりと移動する千代を、目で追いかける。あれほどの攻撃を仕掛けたにも関わらず、圧倒される強烈な邪気は変わらない。奥歯を噛み締めて、尚は霊刀を握る手に力を込めた。
 尚を境界にして百八十度。土の針はことごとく崩れ落ち、あちこちにこんもりと山を作っている。だが後ろは術の影響を受けていないので、まだいくつもの土の針がそびえたままだ。
 静かに土煙が舞い、ゆっくりと地面に降り積もる。それに合わせるように千代が降り立ったのは、つい先ほど悪鬼の本体が消滅した場所だ。
 不意に、真言を唱える明の声が中途半端に途切れた。千代の視線がちらりとそちらへ向けられ、尚も警戒しながら一瞥する。目に映ったのは、背を丸めて膝の前に片手をつき、体全体で荒く呼吸を繰り返す明の姿。
 地面に描かれた五芒星は中心から、ドーム型の結界も下から半分ほどまで、黄金色が燃え盛る炎と同じ色にじわじわと染められつつある。おそらく、あの色が発動のバロメーターになっているのだろう。完全に真っ赤に染め上げられた時、巨大結界が発動する。
 あと半分。
「どうやら、限界のようだな」
 淡々とした口調が勝利宣言に聞こえ、尚はわずかに眉をしかめた。明の様子を見る限り、否定できない。いっそ肯定し、油断を誘う方が正解か。けれど。
「さあ、どうかしら」
 素直に認めてやるほど、プライドは低くない。自分も、明も。
 口元に笑みを浮かべて曖昧に答えた尚に、千代は一度瞬きをした。
「今代の土御門家当主は、霊力が心許ないそうだな」
 唐突な言葉に、尚が目を細めた。千代はついと再度視線を明へ投げる。
「聞いたところでは、弟の方に素質があるとか。だがその弟も、未だ覚醒の兆しを見せぬのだろう? 何とも不甲斐ない。土御門の名が泣くぞ」
 これは挑発か。それとも、朝辻昴からの情報をただ確認しているだけなのか。単調な口調と無表情からは、感情が読めない。けれど、どちらにせよ間違ってはいない。ただし、前半だけだ。
 尚は俯き、ゆっくりと深く息を吸い込んで長く吐き出した。顔を上げ、真っ直ぐに深紅の目を見据える。
「ほんっと、どいつもこいつも勝手なことばっかり。霊力霊力ってうるさいのよ」
 顎を少し逸らせて尊大な面構えで言い放った尚に、千代はあくまでも無表情だ。
「いい? 耳の穴かっぽじってよぉく聞きなさい。陰陽師家当主というのはね、専門職なの。霊力が強いってだけで務まるほど簡単なもんじゃないの」
 陰陽師家当主は、誰よりも強くあらねばならない。そんな凝り固まった古臭い考えの氏子のジジイども。自らも日本を代表する企業のトップや重役でありながら、表面上の強さだけで務まるものではないと理解しない。明がすでに二体の式神を使役していたその意味を考えようともしない。
 そんな悪習を排除しようと動いたのは、当時賀茂家の氏子代表を務めていた草薙一介、その人だった。
「ただ顔がいいってだけで俳優にはなれないし、頭がいいってだけで医者や弁護士になれないのと一緒。勤勉さや向上心、探究心や根気強さ、努力。職業によって求められる能力は違うけど――」
 彼が参加する最後の会合ということで、あの日、久々に顔を出した。そこで、彼はこっそり言った。
『次期当主は、明様以外おりません。次代のためにも、我々老兵は辞するべきです。尚様――晴様や陽様と共に、明様をお願いします』
「土御門家当主は、明以外いないわ」
 自信と確信のこもった強い声が、薄暗い周囲に響いた。
 一介は賀茂家の氏子でありながら、きちんと明と晴を見ていたのだ。二人がどんな性格で、どちらが当主の器であるか、正確に見極めていた。一介は年齢を理由に退任したけれど、あれは半分表向きだ。彼は明のために、明が当主を務めやすくするために、自ら身を引いた。栄晴が当主であるうちに、新しい氏子代表を育成しようとしたのだ。
 一介が他の氏子らを説得したのか、それとも自らの判断かは分からない。だが、氏子代表の中心的人物だった彼の退任をきっかけに次々と代替わりが行われ、現在の体制となるまでそう時間はかからなかった。一人とんでもない阿呆がいたものの、若い氏子代表たちは栄晴の死後、ただの一度も反対意見を出すことなく、満場一致で明を当主と認めた。
 真っ直ぐな眼差しで、言い返せるもんなら言い返してみろと言わんばかりに尚はふんと鼻から息を吐き出した。
 当主の座にさえ興味を示さなかったけれど、人からの期待には愚直なまでに応えようとする。宗一郎の指名を受け当主の座に就いたからには、中途半端な真似はしない。明は、そういう男だ。
 と、宗一郎に合わせて、真言の途中から再び明の声が重なった。尚と千代が同時に視線を向ける。
 ほら見なさい。尚がふふんと鼻を鳴らし、したり顔で千代を見やる。まあ、晴のことを突っ込まれると正直困るが。
 内心少しだけハラハラして、千代の反応を待つ。じっと明を見つめる彼女は、一体何を考えているのか。感情も思考もさっぱり読めない。
 やがて、千代がついとこちらへ視線を戻した。
「誇りだけは立派なようだな」
 今度こそカチンときた。悪鬼ってのは憎まれ口が上手いらしい。目が据わり、独鈷杵を握る手に力がこもる。
「どういう意味よ」
「そのままだ。どれだけ誇り高くとも、どのような理屈を捏ねようとも、霊力が心許ないことに変わりはない」
 尚の顔から、感情が消えた。すっと静かに腰を落とし、霊刀を構える。呼吸を整えるごとにどことなく浮付いた雰囲気が消え、目に冷たく鋭い光が宿り、威圧的な空気を纏う。
 確かに、千代の言うことは正論だ。だが――。
「舐めるなよ」
 低い声色で呟くと、尚は強く地面を蹴った。
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