第9話

文字数 1,814文字

 怜司はくわえていた霊符を手に持ち替え、頭上を見上げた。やはりだ。体積が減っている。放つごとに悪鬼を消費するなら当然のこと。力も弱まるだろうから、乱発はしないだろう。
と、土の蛇が突如、電池が切れたようにぴたりと動きを止めた。水龍が放った水塊を、犬神の三股に分かれた尻尾が鞭のようにうねって次々と破壊する。
「早いな」
 悔しげに顔を歪めてぼやきながらしゃがみ込む。
「オン・ビリチエイ・ソワカ。帰命(きみょう)(たてまつ)る。地霊掌中(ちれいしょうちゅう)遏悪完封(あつあくかんぷう)阻隔奪道(そがいだつどう)急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」
 霊符を地面に叩き付けると新たに五本の土の蛇が飛び出し、怜司はその内の一本に飛び乗った。
「オン・ノウギャバザラ・ソワカ」
 全身にぶつかってくる強風に煽られないよう、足を踏ん張って霊刀を左脇に構え、水を顕現させる。すっかり沈黙した五本の土の蛇が、一気に眼下へと流れた。犬神があちこち逃げてくれたおかげで複雑に絡み合い、何があった? と問い質したくなるほど曲がりくねった大木のような形をしているが、足場にするにはちょうどいい。
 問題は、地天との相性だ。特別悪いわけではないが、水天の次に相性の良い火天とでさえ、比べるとかなり心許ない。特にこの捕縛の術。どうにも対象を追尾する時間が短い上に、強度が低いのだ。上級はまともに発動したことがない。けれど、発動後、こうして動きを止めたあとでも足場として利用できるのは、地天だけだ。水天も同じ術があるにはあるが、何せ尖鋭の術と同じく氷になるので、障害物としてはともかく滑って足場どころではない。
 空中に逃げた犬神が鬱陶しそうに振り向き、足と尻尾を一斉に伸ばした。四本の足と、三本の尻尾。怜司が霊刀を薙いだのと、水龍が大量の水塊を放ったのが同時だった。機関銃のような激突音が響く。
「右近避けてろ。オン・ノウギャバザラ・ソワカ」
 早口の指示に目の前を飛んでいた水龍が上昇し、土の蛇は上がった白い煙を囲むように五方向に分かれた。怜司はちょうど右側。再度略式を発動し、両手で霊刀を強く握る。勢いを殺すことなく煙の中へ突っ込んだタイミングに合わせて、思い切り薙いだ。
 白い煙に霊刀が食い込み、定規で引いたような見事な一本の線を描いてゆく。ちょうど半分ほど到達した時。背後でゴッと風圧が鳴り、コンマ数秒、ドゴッ! と轟音が響いて足元が揺れた。
 まさかと確認する間もなく、ぐらりと体が傾いだ。
「っと、マジか」
 傾いだまま、立て直すことなく足元の足場目がけて飛び下りる。頭上から落ちてきた土の塊を霊刀で薙ぎ払う。
 落下しながら、怜司は周囲に視線を走らせた。土の蛇は動きを止め、内二本が中途半端な部分から大量の土煙を上げながら瓦解していく。距離を詰められないよう、切り裂かれる寸前に悪鬼の塊を形成して土の蛇を狙ったらしい。
 無事足場に着地して見上げたはるか上には、空に溶けて消える白い煙と、上下真っ二つに切り裂かれた犬神の姿がある。首の付け根辺りから尻まで、見事に一直線だ。これが普通の犬なら非常にむごたらしい光景なのだが。
「反則じゃないのか、あれ」
 切り口からいくつも伸びた触手が絡み合い、体が瞬く間に修復されていけばついぼやきたくもなる。崩れ落ちてくる土の塊を霊刀で払いながら眉を寄せ、向こう側にいる水龍に視線を投げた。
「撃て、右近!」
 相手は悪鬼だ。生身ではないし、こちらも志季の報告にあったから予測はしていた。握り潰した足が修復されたと。とはいえ、一部ではなく体ごと切り裂いたのに。もともと備わっている能力なのか、それとも悪鬼と融合した故のものなのか分からないが、ぼやいている場合ではない。多少小さくなっているところを見ると、全く効果がないわけではないようだ。霊符は触手で破られる。だとしたら、細切れにするかハチの巣にして力を削ぎ、修復の隙を狙うのが正解だ。
 怜司の指示に、水龍が水塊を顕現し放ったのと、修復しきっていないにも関わらず犬神が触手を伸ばしたのが同時だった。双方の間で激突し、白い煙が上がる。水塊がいくつか犬神の体を貫通し、しかし触手も水龍を貫いた。
「オン・ノウギャバザラ・ソワカ」
 視界の端で水龍が形を失っていく。略式を発動させ、再び傷口が修復を始めた犬神を見据え、めいっぱい霊刀を――振り抜こうとした、その時。
「な……っ」
 ドゴッ! と轟音が鳴り響いて再度体が後ろへ傾ぎ、
「怜司くん、ごめーん!」
 樹のこれっぽっちも反省していない声が届いた。
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