第9話

文字数 2,929文字

 怜司は、真正面から振り下ろされた霊刀を素直に受けた。一般的な女性より腕力はあるように思えるが、普段樹たちを相手にしている分、軽く感じる。それに、腕力だけで強さは測れない。
 霊刀越しに見える少し吊り上がり気味の目は険しく、腕は細い。肌は、訓練をしているはずなのにあまり焼けていない。華たち女性陣もそうだが、日焼け止めでしっかりケアをしているのだろうか。日本刀という物騒な凶器を扱ってはいるけれど、やはり女性は女性だ。
 せめて殴る蹴るは勘弁願いたいと思うのは、彼女への同情か、まだ余裕があるからか。それとも男の性か。何にせよ、相手の本当の実力も分からずに、初めから手の内を見せるつもりはない。
 樹が聞いたら「甘い!」と一喝されそうなことを頭の隅で考えていると、不意に霊刀を弾かれ、横から素早い蹴りが飛んできた。同時に、弥生が真言を唱えた。
「オン・バザラナラ・ソワカ」
 怜司がとっさに飛び退いたのと同時に、炎が顕現する。弥生は勢いで一回転し、さらにその勢いを利用して霊刀を一閃。炎が霧散した。回転の勢いもあって速い。しかも至近距離。
 怜司は飛び跳ねるように後退しながら、襲いかかる火の玉を次々と叩き切る。煙を上げて消滅する炎の向こう側に、うっすらと人影が見えた。次の瞬間、刃が煙を一刀両断した。仰け反った鼻先を、切っ先が素通りする。再び霊刀が襲いかかり、あちこちに移動しながら息つく暇もなく刃を交える。
 好戦的な性格だと聞いているが、先程の言動といい、やはり弥生は火属性の可能性が高い。先程の回転を利用した攻撃や、剣速や反応も悪くない。だが、これで全力ではないだろう。
 怜司はふむと一つ唸った。もう少し焦らすか。
 上から、斜めから、横から下から。連続して襲いかかる鈍色の刃を、ただひたすら、一度も反撃することなく受け続ける。穏やかに流れる川のせせらぎと混じり、甲高い澄んだ音と靴底が砂を擦る音が闇夜に響く。
 弥生が険しい顔で舌打ちをかました。
「あんたやる気あるの!?」
 怒声と共に上から降り下りされた霊刀を弾き返し、怜司は後ろへ飛び跳ねる。水塊の攻撃が効いているようだ。弥生が肩で大きく息をしながら足を止めた。
 ちょっと短気だな。怜司は息一つ切らさずに、忌々しげに顔を怒らせた弥生を見据える。悪鬼が取り憑いているわけでもないのにこの様子なら、火属性と断定していいかもしれない。
 やる気云々は、まあ、あるにはあるが面倒といえば面倒だ。そもそも、そっちが勝手に仕掛けて勝手にやる気になっているだけで、こちらが望んだ戦いではないのだ。それを、さもこちらもやる気があって当然のように言われても困る。
 怜司はしばし沈黙し、こてんと首を傾げた。
「あんた……っ」
「一つ聞いていいか」
 言葉を遮った怜司に、弥生が眉をひそめた。
「独鈷杵の回収日をどうやって知った?」
「は? 今それ聞くの?」
「いい機会だろ」
「素直に答えると思う?」
「いや? 一応聞いてみただけだ」
 さっさと諦めると、不満そうにむっとされた。何でだ。もっと粘って欲しかったのだろうか。よく分からないなと怜司が小首を傾げると、弥生がぼそりと呟いた。
「結局、そうやって諦めたのね」
「……何をだ?」
 趣旨をすぐには理解できなかった。怜司が問い返すと、弥生は鋭い眼光で睨みつけた。
「婚約者のことよ。あいつらを殺したいと思わなかったの?」
 寮襲撃の日のことか。翌日の会合で宗史も指摘していたが、やはり携帯でこちらの様子が筒抜けだったらしい。ただ、賀茂家で左近たちと対峙している間の話はのちに聞いただろうが、昴が立ち去ったあとのことは知らないだろう。
「思った」
「でも止めたのよね? あの時、成田樹があいつらを殺そうとしてたのに、あんたはそれを止めた。所詮その程度よ。結局あんたは自分の手を汚したくないだけでしょ」
「あれが香穂の願いだった。香穂が、そう望んだ」
 弥生は、はっと息を吐き出すように嘲笑した。
「そんなの体のいい言い訳よ。彼女がそう望んだ? ちょっとは頭を使いなさいよ。本気で望んでるわけないでしょ」
「そうかもな」
 すんなり肯定した怜司に、弥生がまなじりを吊り上げた。
「だったら……っ!」
「もしそうだとしたら」
 語気を強めて言葉を遮ると、弥生は口をつぐんだ。
 樹は初めから容赦していないようだ。激しい剣戟や水隗が弾ける音が立て続けに響いてくる。
「本当の気持ちを押し殺してまで、香穂は俺や両親のことを案じた。俺はそんな彼女の気持ちを理解した。俺たちを優先した彼女の願いと覚悟を、無駄にしたくないと思った。だから止めた」
 草薙親子を殺すつもりでいた。だから、警戒されないために、樹にはあえて香穂との約束を教えた。それが逆効果だったのか、それとも殺意を見透かされていたのかは分からない。栄晴や冬馬たちのこともあったし、自分のためになんて自惚れるつもりはない。けれどきっと、香穂のためにという気持ちはあった。それでも、本当の気持ちを押し殺して受け入れてくれた。栄晴や冬馬に思いを巡らせ、香穂の願いと覚悟を優先してくれた。
 香穂と樹の、想いや強さ。二人がいたから、踏みとどまることができた。
 弥生が苛立ったようにぎりっと奥歯を噛み締めた。
「どいつもこいつも、綺麗ごとばっかり……っ。自分の気持ちを押し殺してあんたたちを案じた? 優先した? だったら自殺なんてしないで自分で殺せばよかったのよ。大体、何で被害者(あたしたち)が死んで泣き寝入りしなきゃいけないの。死んで詫びるのは加害者(あいつら)の方でしょ!」
 香穂と同じ傷を抱え、けれど自ら命を絶ったことを否定する。自分とは反対の選択を、拒絶する。弥生の主張は理解できる。彼女は間違いなく被害者だ。至極当然の価値観だと思う。けれど。
「あんたがそれを言うのか。なら、大河に殺されても文句は言えないよな」
 弥生の主張や選択を否定できない。でも、一つだけ言える。――関係のない人間を巻き込むな。
 殺したい奴だけを殺して、それで終わりにすればよかったのだ。法律上は加害者になるけれど、同情の余地はある。だが彼女は、自分の事情とは全く無関係の矢崎や影正を殺した。直接手を下したのは自分ではないなどという言い訳は、通用しない。そんな彼女に、同情の余地がどれだけ残っているだろう。
 眼鏡の奥の冷ややかな眼差しを見据え、弥生はおもむろに霊刀を構えた。ついさっきまでの興奮が静かに引いていき、代わりに浮かんだのは、強い意思。
 少々、情緒不安定気味に見える。省吾が見たという、弥生の反応。香穂の話をした時の苛立ち。彼女は、ただ悔しくて、悲しいだけなのではないか。同じ思いをした香穂が自ら命を絶ったこと、自分は助けてもらえなかったのに省吾と風子は助けられたこと。それらが、人一倍悔しくて悲しくて、羨ましいのかもしれない。
「言われなくても分かってるわよ、そんなこと。あいつらと同じ犯罪者になることも、恨まれるのも承知の上よ。あたしたちは、半端な覚悟でここにいるわけじゃない」
 全てを承知の上で、この事件を起こしたのか。ならば、手加減も同情も必要ない。
「――分かった」
 怜司は、静かに答えながら霊刀を構えた。と、地面が微かに揺れた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み