第12話

文字数 3,485文字

 参道の手前で待っていた宗史と晴に合流し、並んで歩きだす。
「大河、怪我は」
「大丈夫、大したことない」
 腕を上げ、前腕の内側を見るともう血は止まっていた。滲んだ血も雨で洗い流されたようだ。
「晴から聞いたぞ」
 宗史の含んだ言い回しに、何を? と言いかけて思い出した。
「ご、ごめんなさい……」
 柴と紫苑のことだ。追いかける前に晴に報告するべきだったと、今なら分かる。どうしてあの時そうしなかったのか自分でも不思議だ。
 宗史は呆れた溜め息をついた。
「それについては寮に戻ってからだな。父さんと明さんも来てるはずだから」
「はーい……」
 説教は決定した。気落ちした返事に、晴がまあまあと宥めた。
「ところで大河、お前自分が何で助かったか聞いたか?」
「あ、それ聞きそびれてた。あれ何の光だったんだろう。俺、地天の霊符しか持ってないのに」
 しかも雨で濡れて使えなくなっているはずだ。
「藍と蓮だよ」
「は?」
 大河は前を行く昴と香苗に抱っこされた双子に視線を投げた。
「お守り持ってきてんだろ。どうなってる?」
「どうなってるって、ポケットに……って、え? まさか……っ」
 慌てて尻ポケットからお守りを引っ張り出すと、しっとりと濡れている上に見事に煤けていた。唖然として目の前に掲げる。
「もしかして、藍と蓮が?」
「そ。島の時と同じパターンだ。お前が悪鬼に食われてパニクったんだろうな。二人が大泣きしたとたん、悪鬼が動きを止めたんだよ。そしたらお前とあいつが吐き出された」
「吐き出されたって……嫌な言い方しないでよ」
 気味悪そうに顔をしかめて見上げると、晴は意地の悪い笑みを浮かべた。
「ほんとにそんな感じだったんだって。こう、唾吐き出すみたいにさ」
「うわぁ、なんか嫌だ!」
 ぞわぞわと立った鳥肌に肩を竦ませた大河に、宗史と晴が笑った。島で省吾が助かった時もそんな感じだったのだろうか。今度話してやろう、と省吾がどんな反応をするか想像して、いたずらをする子供のような気分になった。
「絶対中まで濡れてると思ってた。無事だったんだ」
 そのおかげで助かった。また、助けられた。そっか、と有り難い気分に浸っていると、宗史と晴が首を傾げた。
「お前、もしかして霊符は濡れたら使えないと思ってるのか?」
 宗史に当然のことを尋ねられ、今度は大河が首を傾げた。
「だって、濡れたら墨って滲むよね?」
「滲まねぇぞ」
「えっ!? そうなの!?」
 おいおい、と晴が苦笑した。
「まあ、学校でそこまでは教えないし、わざわざ濡らしたりはしないか。製品によっては水に弱い物もあるみたいだけど、基本的には滲まないようにできてるんだよ。影綱の日記もそうだろう。湿気が多い日本で、千年以上の書物が残ってるのは不思議だと思わないか?」
「ああ、言われてみれば確かに……」
「霊符も、描いた後きちんと乾かせば濡れても滲まないし、破れない限り発動する」
「あ、だから弘貴も破れたから発動しなかったって言ったんだ」
「破ったのかよ。あいつ扱い方雑だからなぁ」
「めっちゃ謝られた」
「当然だな。あ、つかお前、悪鬼の中で破邪の法使ったろ」
「うん。中からでも効果あるのかなって思ったんだけど、そういえばあれどうなったんだろう」
 格子を放ったとたん護符が発動したせいで、どうなったのか見届けられなかった。悪鬼の中に留まって一緒に調伏されたのだろうか。
 尻ポケットにお守りをしまい二人を見上げると、喉を鳴らして笑っていた。
「あれ、一応効果はあったんだ。中からだし、一部だけ切り裂いた状態だった」
 晴が調伏していた時に縮んでいるように見えたが、そのせいか。でも、と宗史が苦笑交じりに続けた。
「出てきたタイミングが悪かったな」
「どういうこと?」
「勢いよく飛び出してきた格子を、弘貴と春は避けたんだけど、その後ろに樹さんがいたんだよ。ちょうど参道から駆け込んできた時で」
「げっ! マジで!?」
「咄嗟に霊刀で叩き切ってたけどな。あいつの瞬発力半端ねぇわ」
「野生動物の本能みたいなレベルだったな」
「だ、だからあの時めっちゃ睨まれたんだ……」
 あとで平身低頭謝り倒した方がいいかもしれない。五体投地も付けるか。
「あー、すっげぇ目で睨んでたなあいつ」
「明日からの訓練、少し覚悟がいるかもしれないな」
「ちょっと怖いこと言わないでよっ」
 悪鬼の中で聞いた少年の声も相当不気味だったが、今となっては樹のしごきの方が怖く思える。少年を脅した時の顔を見ているからなおさらだ。
「そうだ。大河、体調は平気か?」
 怯える大河に構わず、宗史が話題を変えた。
「あ、うん。今のところ大丈夫」
「寮に戻ったら作り直そう。お守り袋はどうしようか、通販で買えるけど」
「え……通販で買えるの? 袋だけ?」
 それは少々味気ない気がするのは自分だけだろうか。
「ああ。どうせならまとめていくつか買っておくのがいいかもな」
「こいつ何かしらやらかすからなー」
「人聞き悪いっ」
 苦言を呈しながらじろりと見上げると、鳥居の向こうから手招きをする弘貴の姿が視界の端に映った。式神ら四人の姿も見える。
「続きは戻ってからだな」
「うん」
 早く、と樹に急かされて、三人は小走りに参道を抜けた。
 バイクで来ていた宗史は、報告をするため式神らと共に先に戻った。車で哨戒中だった昴と美琴の後部座席には、当たり前のように茂と香苗と双子が選ばれた。香苗は遠慮して誰かに譲ろうとしたが、僕たちずぶぬれの女の子を歩いて帰らせるほど女々しくないよ、と言った樹が半ば強引に押し込んだ。
 先行組を見送った後、大河は恐々と樹に声をかけた。
「あの、樹さん」
「うん?」
 樹が視線を向けたと同時に勢いよく頭を下げる。
「格子の件、聞きました! すみませんでした!」
 最敬礼の見本のような姿勢で謝罪した大河に、樹が呆れた息を吐いた。
「あれ、さすがの僕も死んだと思ったね。それに、一歩間違えれば僕だけじゃなくて弘貴くんと春くんも細切れだったんだよ?」
「すみません」
「まあ、使える術が少ない中で、助けを待たずに自分でどうにかしようとした結果だし、そこは評価する。帰るよ」
 樹の指摘がちくりと刺さった。
 視界に映っていたスニーカーが踵を返し歩きだすと、大河はゆっくりと頭を上げた。行こうぜ、と笑みを浮かべた弘貴と春平に促され、足を進める。
「二人にも、ごめん。危なかったんだよね」
「いや、あれ俺のせいでもあるから。気を付ける」
 弘貴が、バツが悪そうに頭を掻いた。
「僕も気を付けなきゃ。今まで濡れた霊符って使ったことないから知らなかったけど、良い半紙でもやっぱり破れるんだね」
「紙は紙だからなぁ」
 弘貴が長く溜め息をついた。
「なんかさ、色々胸くそ悪かったけど、自分的に改善点が見えたって感じだな。それが人の命に関わるってなると、なおさらどうにかしねぇとって思うわ」
「あ、それ俺も考えてた。さっきの樹さんの言葉もちょっと痛かったし」
「使える術が少ないって言われたこと? でもそれ、しょうがなくない?」
「大河、まだ訓練始めたばっかだしな。つーか、期間で考えるとかなり多いだろ。霊符がないってだけで」
「あー、そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、甘えちゃうからやめてー」
 擁護してくれる二人に頭を抱え、曇天を見上げた大河に弘貴と春平が笑い声を上げた。
「それにしてもさぁ、格子を叩き切った時の樹さんの反応速度、すごかったよな」
「もう達人だよね、あれ」
「そんなにすごかったんだ」
「そりゃもう」
 と声を揃えて頷いた二人に大河は笑った。
「本能で生きてるからなあの人」
「聞かれたら殺されるよ」
「宗史さんが野生動物並みって言ってた」
「……宗史さんって、意外と毒舌なんだね……」
 他愛のない話しで盛り上がりながら、まだグレーに染まったままの空を見上げる。
 藍も蓮もまだ子供だ。猫を追いかけて夢中になるなんて不思議なことではない。だが、どこに鬼が現れるか分からない今、確かに軽率な行動だった。華と夏也からきついお灸を据えられるだろう。
 しかし、もし今日、藍と蓮がこんなことをしなければ、あの少年は神社で死んでいたかもしれないのだ。理不尽にいじめられた結果、一人の少年の命がこの世から消えていた。
 藍と蓮のやんちゃな行動が少年の命を救った。そして、この先の人生をも変えたと、そう信じたい。
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