第6話

文字数 4,138文字

 大岩山は、伏見区と山科区をまたがる山だ。産業廃棄物の不法投棄問題を抱えているが、2013年、山頂に展望台が設置され、全長83.3メートルに及ぶハイキングコース「京都一周トレイル」の一つに加えられた。その頂上付近にある大岩神社は、江戸時代の山火事で記録が消失し、いつ頃創建されたのかなどの詳細は不明。ただ、大岩・小岩をご神体とする男神・女神は、互いに献身的に看病をし治癒に至ったとされ、戦前は疫病封じ、特に結核の治癒に霊験あらたかと言い伝えられており、強く信仰されていたそうだ。しかし戦後に衰退し、現在は廃墟同然で再建されていない。
 引き続き渋谷健人と朝辻昴の捜索の担当となった熊田と佐々木は、その大岩神社へと向かっていた。
「廃神社のわりには、結構情報がありますね」
 下平へメッセージを送ったあと、助手席で佐々木が携帯をいじりながら言った。
「世の中には廃墟マニアってのがいるからなぁ」
 朽ち果てた建物を見て、何がそんなに楽しいのか分からない。少々呆れた顔をした熊田に、佐々木が苦笑した。
「あ、堂本印象(どうもといんしょう)がデザインして寄進した鳥居があるそうですよ」
「堂本印象って、確か画家だったか? 美術館があるって聞いたことあるぞ」
「ええ、北区に。行ったことあります?」
「いやぁ、絵に興味ねぇからなぁ」
「えーと、大阪カテドラル聖マリア大聖堂に、聖母マリアの壁画を描いた功績として、当時のローマ教皇ヨハネス二十三世から聖シルベストロ文化第一勲章を受章した。そうです」
 今にも舌を噛みそうなくらい片言で読み上げられた説明は、右から左へ抜けていく。
「……なんかよく分からんが、すごそうだな」
「あたしたち一般人には縁のない話ですね」
「まったくだ。それにしても、そんな大層な画家がデザインした鳥居があるのに、今じゃ廃墟か」
「みたいです。時の流れって残酷ですよねぇ」
「なぁ」
 堂本印象も残念がっていることだろう。よく知らないが。
「ところで熊さん。あの映像、どう思います?」
 佐々木が、携帯をショルダーバッグにしまいながら話題を変えた。
「そりゃ合成だろ。今どきどこまで精巧にできるか知らねぇけど」
「やっぱりそうですよね」
「作った可能性があるのは……、渋谷か?」
「パソコンのサポート修理会社に勤めてましたから……どうなんでしょう。パソコン自体に詳しいのは間違いないと思いますけど」
 熊田は深々と溜め息をついた。
「誰が作ったにせよ、才能と技術の無駄遣いだ」
「まったくです。でも、あれってもしかして……」
 不意に佐々木は不安げな顔をして言葉を切った。言いたいことは分かる。
「その辺のことは紺野や下平さんが気付いてるだろ。二人の方が正確に状況を把握できるだろうし、任せとけ」
 ええ、と頷いて、佐々木は自嘲気味に嘆息した。
「正直、情報の多さもそうなんですが、色んな人の思惑が絡んでいて、いまいち正確に理解しきれてない気がするんですよね」
「同感だ。特に俺たちは、犯人にも陰陽師連中にも直接会ってねぇから、人物像が曖昧なんだよな」
「ああ、分かります。芸能人みたいな感覚です」
「そうそう、そんな感じだ。正直に言うと、あの映像を見た時ちょっと疑ったぞ」
「あたしもです。でも、紺野くんたちが信じてますしね」
「それに、話を聞く限り弟二人は確実にシロだ。犯人たちの目的を考えると、さすがにあいつらを裏切る真似はしねぇだろ」
「ええ、そうですよね」
 ほっと息をついて頬を緩めた佐々木を一瞥して、熊田もこっそり息をついた。
「まあ、会うにしてもまだ内通者がいるし、いなくなったあとになるな。犯人に知られて、紺野たちみたいに牽制されたら動けなくなる。下手に動かない方がいい」
 知られていないと断言はできないが、慎重に動くに越したことはない。
「そうですね。今はこっちに集中します」
 佐々木は声に力を入れ、ごそりと動いて姿勢を正した。
 普段は冷静沈着な彼女も、この事件に関してはそうもいかないらしい。謎や犠牲者も多く、しかも子供を含めた一般人が関わっている。その上後輩は巻き込まれ、自分たちにできることは限られているときた。心霊現象や人外は警察の範疇ではないから仕方ないと割り切れればいいけれど、関わってしまった以上、自分の無力さを痛感せざるを得ないのだろう。
 紺野たちのように、その都度情報を更新していれば少しは違ったのだろうが、一気に処理するには多すぎる情報量だった。機械的に理解しろと言われれば流れくらいは理解できるが、事件は感情を持った人間が起こすものだ。推理や推測をする上で無視できない。佐々木の気持ちも分かるけれど、完璧に理解するには、もう少し時間が必要だ。
 大岩神社へのルートはいくつかあるが、車で入れる道は限られている。現在向かっているルートは、佐々木によると本殿への道らしく、拝殿や摂末社はさらに下った場所にあるそうだ。
ナビが示した通りの道を進むと、府道35号線の脇道に「大岩神社自動車道入口」と彫られた石柱と、「深草こどもの家」と書かれた看板が向かい合わせに立っていた。
「ここか……」
 熊田はごくりと喉を鳴らし、ゆっくりと右折した。嵐山の「竹林の小径(こみち)」には程遠いが、道は舗装され、両脇の竹林も陽射しが差し込んでなかなか綺麗だ。ただ、頭上を長い電線が走るのは、仕方がない。竹林をメインとした観光名所ではないのだ。入口で見た看板の施設を右手に通り過ぎ、少し先にある施設の駐車場を左手に過ぎる。
 確かに夜中に訪れるとなると少々不気味かもしれないが、整備され、施設もあり、光も十分に差し込む。廃神社と聞いていたから、もっと薄気味悪い場所を想像していたのだが、正直拍子抜けだ。
 徐行で周囲を見渡しながら進むと、途中にいくつか廃屋が見られた。
「あの小屋に入り込んでる可能性もあるな」
「ええ。管理者はいるんでしょうか」
「柵がしてあるからいると思うけど、どうだろうな。でも、そうなると面倒になるぞ」
 警察が不法侵入はいただけない。管理者に連絡を取り、許可を取らなければいけなくなる。
「ところで熊さん。偶然を装った方がいいですよね」
「ああ、だな」
 本当に岡部がいた場合、応援を呼ばなければならない。初めから岡部を探しに来たと知られると厄介だ。あくまでも鬼代事件の捜査に来て、偶然発見したことにしなければ。
「てことは、まずは渋谷と昴の聞き込みからだ」
「了解です」
 そんな話をしながらひたすら道なりに進むと、次第に景色が変わってきた。綺麗に舗装されていた道は罅割れ、穴が開き、両脇はトタンを何枚も重ねたバリケードがされ、竹林は折れた竹が放置されて荒れている。不法投棄禁止、パトロール強化中の看板は錆びて傾いており、変わらず陽射しは眩しいけれど、それっぽくなってきた。
 熊田はハンドルを握る手に力を入れた。
 両側に広がっていた竹林は、途中から雑木林に変わる。枝葉に覆われたポイ捨て禁止を促す看板が怖い。ここへ来るまで、観光客はおろか車の一台もすれ違わなかった。夏休みなのだから観光客や廃墟マニアの一人二人いてもおかしくないのにと思うのは、怖がっている証拠だろうか。
 いたらいたで困るけど、と熊田は内心で嘆息した。と、右手先に石造りの鳥居が姿を現した。道路に向いて建っているため、こちらからはほぼ横から見る形になる。
「観光客、ですかね?」
「……だと思うけどな」
 鳥居の側に、日傘を差した女が一人、立っている。足あるよな、と一応古典的な確認をする。幽霊に足がないという説はいつ誰が言い出したのだろう。そもそもこんな真っ昼間から陽射しの中で佇む幽霊がどこにいる。しかも日傘付きだ、有り得ない。そう自分に言い聞かす。
 だが、こんな場所で何をしているのだろう。神社を見学している同行者を待っているのだろうか。
 鳥居からこちら側は駐車スペースになっており、熊田は車を頭から乗り入れた。エンジンを止め、シートベルトをはずし、
「よし、行くか」
 真剣な面持ちで気合を入れた熊田を、佐々木が声を殺して笑った。
 車から降りると、窺うようにこちらをじっと見つめる女と目が合った。ふっくらとした体形で、五十代くらいだろうか。茶色のショルダーバッグを肩にかけ、足首が見える丈のワイドパンツに、白のプルオーバーシャツ、足元はフラットシューズを合わせている。ナチュラルなメイクに前髪を斜めに流し、丸いフォルムの髪型は小洒落ており、ずいぶんと清楚な印象だ。
 注がれる視線に、自然と警戒心が頭をもたげた。何故、こんなに見られているのだ。
 不意に、女がおもむろに日傘を下ろした。ぱちんと閉じ、ゆっくりこちらへ向かって来る女を見て、熊田は早足に助手席側へ回った。佐々木も警戒心をあらわにして女をじっと見据えている。
 女が、二人の前で足を止めた。
「あの、人違いでしたらすみません」
 緊張の面持ちで告げられたその言葉に、少しだけ警戒心が薄れる。人待ちをしていたのか。
「右京署の、熊田さんと、佐々木さんでしょうか」
 予想だにしていなかった質問に、薄れた警戒心が再び湧いた。
「どちらさまですか」
 硬い声で問い返すと、女は何故かほっとした顔でショルダーバッグを探った。この状況では、一挙手一投足にいちいち警戒してしまう。熊田は女を注視し、佐々木は周囲に視線を巡らせる。
 女はバッグから財布を取り出し、中から一枚のカードを引き抜いた。
「初めまして」
 そう言って女が差し出したのは、公的に発行されている写真付きの個人識別用ICカードだ。記載されている名前を見て目を丸くし、熊田と佐々木は視線を上げた。
「土御門家で家政婦をしております。宮沢妙子(みやざわたえこ)と申します」
 幾分か表情を柔らかくした妙子を、二人はしばし見つめた。何故、土御門家の家政婦がこんな場所に。いや、何故岡部がいるこの場所にと言った方が正しい。
 妙子はカードを引っ込め、財布にしまってバッグへ戻した。
「どうして、貴方がここに?」
 さわりと心地よい風が吹き抜け、妙子が揺れる髪を押えながら、伏せ目がちに言った。
「ずっと、探していました」
 風が止み、ゆっくりと上げられたその眼差しには、驚くほど強い光が宿っていた。
「旦那様を――栄晴様を殺害した、犯人を」
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