第6話

文字数 2,837文字

「できれば、このどっちかの森に誘い込めればいいんですけど……」
 広範囲にした地図を眺めていた美琴が、思案顔で言った。
 伊弉諾神宮は、地図で見ると敷地がVの形になっているのが特徴だ。Xの形に道路が走り、真ん中に大鳥居がある。道路には一軒家が立ち並び、喫茶店や郵便局、酒屋、理髪店。そして東側には、道路を挟んで小学校が、南東側には中学校。観光地やパワースポットになっているわりには、飲食店や土産屋がほぼない。だが、いっそ軒を連ねていた方が好都合だった。店なら必ず閉店時間が来るが、住宅はそうはいかない。
 美琴が言うのは、西側と南側に広がっている、住宅と畑を挟んだ先の大きな森のことだ。他にも森や山はあるが、神宮から離れている。あまり現場から離れると、もしもの時に対処できない。
「さすがに本州から来る……ああいや、すでに淡路島に入ってる可能性もあるのか。だとしたら、余計にどこから来るか分からないな」
 茂が苦い顔で唸った。陽が沈んでから動くにせよ、悪鬼を封印すればいつでも淡路島に入って待機は可能だ。隗や皓の気配も、かなり離れていれば察知するのは難しいだろう。
「私なら」
 不意に、柴が口を開いた。
「悪鬼を囮に、地上から攻め入る」
 短い意見に、虚をつかれた。
「そうか……」
 茂と美琴の神妙な声が重なり、香苗が焦った様子で視線を泳がせる。右近が言った。
「これまでのことを思い出せ。廃ホテルはともかく、先日の会合や向小島では、奴らは悪鬼を使って真正面から姿を現した。特に向小島では、いくらでも身を隠せる森があるにもかかわらずだ。今回の戦いを計画していたのなら、移動手段は悪鬼、という認識をこちらに刷り込むためだったとも解釈できる。それでなくとも、強大な邪気は気を取られやすい」
「あ……」
 なるほど、と香苗は少し気まずそうに呟いて肩身を狭くした。自分だけ気付けなかったことを、情けなく思ったのだろう。美琴が横目で一瞥した。
「こういうのは向き不向きがあるし、経験がものを言うの。いちいち気にしてんじゃないわよ」
 少々厳しい口調で、けれど即座にフォローを入れた美琴を振り向き、香苗は頬を緩めた。うん、と今度は違う意味で肩を竦める。
「でも、そうなるとどこからでも入り込めますよね」
 美琴が何ごともなかったかのように意見すると、香苗は表情を引き締めて地図に目を落とした。いい感じだなぁとほのぼのしている場合ではない。茂も頭を切り替える。
「悪鬼や隗たちは近付いた時点で気配が分かるけど、人はさすがに術を行使しないと察知できないからなぁ。まあ、右近の結界がそう簡単に破られるとは思わないけど」
「無論だ。私は鈴のように油断などせん」
 得意げな顔で断言したと思ったら、眉間にしわを寄せて嘆息した。
「火神はどうも自信過剰なところがある。初めから強固に張っていればよかったものを」
珍しく渋面でぶつぶつぼやく右近に苦笑いが漏れる。向小島での戦いに、よほど言いたいことがあったらしい。式神の間でも、色々思うところがあるようだ。
「上と地上と、二手に分かれた方がいいみたいだね。上は、さすがに二人に任せるしかないけど……」
 茂たちから視線を投げられ、ふむ、と右近が一つ唸った。
「柴、携帯はお前が持っているのか?」
「ああ」
「では、上の見張りは任せる。敵の姿が確認でき次第、私たちに伝えろ。どのような体勢で仕掛けてくるか知らんが、ひとまず神宮から引き離せ。戦いはそれからだ」
「承知した」
「念のために、グループ作っておこうか」
 美琴と香苗が携帯を小ぶりのバッグから取り出す。手早く四人のグループを作り、茂は美琴と香苗を見やった。
「実際見てみないと分からないけど、僕たちは見通しのよさそうな正門の前で待機かな。まだ時間あるし、一度ぐるっと見て回ろうか」
 はい、と二人が声を揃える。
「他に、何か意見はあるかな?」
「あの……っ」
 香苗が心持ち身を乗り出した。
「はい、香苗ちゃん」
 元教師らしく指名すると、香苗は全員の視線を受けて慌ただしくバッグを探った。
「あの、これなんですけど……」
 そう言ってテーブルの上に出したのは、リボンでくくられた擬人式神の束だ。ただ、いつもと様子が違う。
「これ……」
 茂と美琴が目を丸くし、
「なるほど、こういった使い方もできるか」
 感心した様子で右近は唇に指を添え、柴は「ほう」と感嘆を吐く。美琴が目を見開いたまま香苗を見やった。
「これ、あんたが考えたの?」
「えっ、ううん。まさか」
 香苗が驚いた顔で胸の辺りで両手を左右に振った。
「昨日、夏也さんが部屋に来て教えてくれたの。試してみたら使えたからって」
「さすが夏也さんね。しげさん、これ、使い方によってはずいぶん有利になりますよね」
「うん、僕もそう思うよ。――香苗ちゃん」
「はい」
「ぱっと見ただけじゃ分からないんだけど、これって、耐水性の和紙?」
「あ、いえ。これは普通のです。でも、耐水性のものも準備してきました」
 再びバッグを探り、今度は同じくリボンでくくられた三つの擬人式神の束を取り出した。テーブルに並べ、左から順に指をさす。
「こっちの二つが普通ので、残りが耐水性です」
 と言われても、同じように見える。よく分かるわね、と難しい顔で美琴が身を乗り出して覗き込む。
「まだ行使してないよね」
「はい。できるだけ時間を延ばした方がいいかと思って」
 擬人式神は、霊力を注いでから待機させている間も、徐々に霊力が失われていく。そして飛ばしてからは、一気に消費量が増える。同じ霊力を消費するなら、待機させずに行使した方が当然稼働時間は長くなる。
「霊力量にもよるけど、すぐに使役したら平均でどのくらい?」
「二十体で、大体一時間です」
「二十体で一時間か、すごいな……」
 同じ霊力を人型に注いだとしても、自分なら良くできて六割が限界だろう。以前宗史も言っていたが、霊力を注ぐ、という点においては独鈷杵と同じでも、具現化することと、人型に定着させることは勝手が違う。それを何体もとなると、さらに成功率は下がる。丁寧で繊細な作業が得意な、香苗と夏也だからこそだ。
「ただ……」
 香苗が視線を泳がせた。
「耐水性の方は、待機時間を含めてまだ三十分くらいしか……」
 そういえば、嵐の日だっただろうか。時間が短いと言っていた。美琴が口を挟んだ。
「じゃあ、すぐに使役すれば三十分は飛ばせるってことよね」
「う、うん。そうだけど……」
 ふと香苗が視線を上げ、美琴は茂を見やる。
「無駄になるかもしれませんけど、どうしますか?」
 どうやら考えることは同じらしい。
 学校に通いながら、たった一年で独鈷杵を会得した努力と資質。初陣で一人悪鬼に立ち向かった度胸。先程の柴の発言の意味や、この擬人式神を見てすぐに使い道を思い付く頭の回転の速さ。美琴は、こちらが思っている以上に戦いに向いているのかもしれない。
 女子高生に戦闘センスなんて本当は必要ないものだけれど、今は、頼もしいと思うのが正解だ。
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