第21話

文字数 2,525文字

 病室前で待機している警察官に警察手帳を提示して、扉を開く。
「失礼します」
 部屋の中では、二、三歳くらいの幼い子供と女性が二人、ベッドの向こう側の椅子に腰かけて談笑していた。二人とも見覚えがある。事件当日、手術室の前で見た二人だ。黒髪の女性がどう見ても北原の姉。茶髪の方は兄の奥さん、確か奈保(なほ)と言ったか。
 そして北原は、リクライニングベッドの背を起こし、もたれかかっている。点滴の管はまだ繋がっているものの、先日見たあの痛々しい姿はどこにもない。
「紺野さん!」
 北原がぱっと顔を明るくした。つい数時間前まで眠り続けていた奴とは思えない元気さだ。若いっていいな、と下平と熊田がしみじみ呟きながら扉を閉めた。
 紺野のあとから入ってきた下平と熊田と佐々木を見て、北原が「えっ」と驚いた顔をした。
 姉と奈保が腰を上げ、会釈する。その顔にはすっかり安堵の色が浮かんでいて、紺野たちもほっと息をつく。
 ベッドの側で立ち止まり、まずは礼を。
「連絡していただいて、ありがとうございました」
「いいえ。こちらこそ、ご心配をおかけして」
 もう、とぼやきつつ北原を見やるその目はとても穏やかで優しい。北原が申し訳なさそうに肩を竦めた。幼い子供が奈保の足に絡み付き、この人たち誰? といった目で見上げる。
「匠叔父ちゃんと同じ、おまわりさんよ」
 抱き上げながら奈保が言ったとたん、子供が「おまわりさん!」と声を上げて紺野たちを順に目に止めた。親の敵のように毛嫌いされることも多いが、子供にとってはまだまだ憧れの対象らしい。喜ばしいことだ。
「そうだ。あの、あたしたちちょっと用事を済ませてきますので」
 気を使ってくれたのだろう。姉と奈保が目配せをしてバッグを抱えた。
「あ、はい。分かりました」
 じゃあ、とひと言言い置いて、三人は会釈をしながら紺野たちの横をすり抜けた。ひらひらと手を振る子供に手を振り返す。
 扉が閉められてから、さてと頭を切り替える。下平と熊田に椅子をすすめ、紺野と佐々木はベッド脇に立つ。
 紺野は、観察するように北原を見つめた。さすがに少し痩せたか。けれど、決して良いとは言えないが、先日よりは血色が戻っている。あれだけの大怪我を負ったのだ、もっと衰弱していると思っていた。
「思ったより、元気そうだな」
 北原がへらっと笑った。
「痛み止めが効いてるんで、今は」
「そうか」
 何だろう。この三年間、飽きるほど隣にいたのに、たった三日でやけに懐かしく思う。いや、今は感傷的になっている場合ではない。紺野はぐっと奥歯を噛み締めた。
「――北原」
 はい? と答えが返ってくる前に、紺野は深く頭を下げた。
「すまん」
 潔い一言だった。北原がぎょっと目を剥いた。
「昴を捕まえられなかった」
 続いた言葉に、北原は口を開けた間抜けな顔のまま固まった。一瞬重苦しい空気が流れ、北原が脱力したように息を吐いた。
「そうですか……」
 霊刀で貫かれながらも託してくれたメモ帳を無駄にした。失望されて、当然だ。残念そうな声色に、紺野は両手を強く握り締めた。
「すみませんでした」
 思いがけない言葉が耳に飛び込んできて、今度は紺野が目を丸くした。何故お前が謝る。ゆっくり頭を上げると、北原は逃げるように顔を逸らし、眉をハの字にして俯いた。
「俺が、もっと早く報告していれば……」
 叱られた子供のように、両手でぎゅっと布団を握る。
「お前が謝ることじゃねぇ。俺の覚悟が足りなかったせいだ。気を使わせて、悪かった」
 紺野は一旦言葉を切り、視線を逸らしてもごもごと口ごもったあとで、やっとぼそりと口にした。
「ありがとな」
 こんな時くらい素直に言えないのか。自分に突っ込みつつ、照れ臭さをごまかすように膨れ面をする紺野に、下平たちが笑い声を噛み殺す。一方、呆気にとられた顔で見上げていた北原は、はたと我に返って下平たちに怯えた視線を送った。
「ななな何があったんですか、紺野さんがこんなこと言うなんて怖い! 脳外科の先生を……!」
「喧嘩売ってんのかてめぇは。傷口どこだ、こじ開けてやる」
「やめてください、今度は確実に死にます!」
 目を据わらせて手を伸ばすと、北原は素早く右横腹を両手で押さえた。朗らかな笑い声が上がり、まあまあと下平たちから仲裁が入る。
「お互いの気持ちは伝え合ったんだから、それでいいじゃねぇか」
「気持ちの悪い言い方をしないでください」
 下平の明らかに茶化した言い回しに、間髪置かずに紺野の苦言が飛ぶ。再び笑いが起こり、紺野はまったくと溜め息をついた。
 北原がふと笑いを収め、ぼそぼそと言った。
「ほんとに、すみませんでした。紺野さんに動くなって言われてたのに勝手に動いて、こんなことになって……。俺もう情けなくて……、すみません……」
 微かに震えた声に、紺野は嘆息した。落ち込んだり驚いたり、忙しい奴だ。
「そのことだけどな。樹から伝言を預かってる」
 北原はゆっくりと顔を上げた。
「樹くんから?」
「ああ。謝っといてくれってさ」
 北原は逡巡したあと、こてんと小首を傾げた。
「どういう意味ですか?」
「あの時点で、樹と一番関係が薄かったのはお前だ。つまり、樹への挑発。平良は周りから追いつめるつもりなんだろう。あくまでも樹の見解だけどな」
 一瞬顔を歪めたと思ったら、北原は察したように目をしばたいた。
「もしかして、俺が襲われたの、自分のせいだと思ってるんですか?」
「ああ。だから謝っといてくれって言われた」
「そんな……っ、樹くんのせいじゃないです」
 きっぱりと強く言い切った北原に、紺野は口角を上げた。
「お前なら絶対にそう言うって言っておいた。あとはあいつが自分で消化することだ」
 などと言われても、難しいだろう。案の定、北原の顔は曇る。
 平良が樹を挑発するつもりで北原を狙ったのなら、樹は自分のせいだと思うし、北原も自分の軽率な行動を悔やむ。元凶は平良にあるのに、樹や北原が自責の念を抱えるのは理不尽だ。そのくせ平良本人は何とも思っていないのだろう。奴にとってこれはゲームであり、こちらがどんな気持ちになるのか、これっぽっちも考えてやしないのだ。そもそも、考えるような奴なら初めからこんな事件を起こさない。
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