第20話

文字数 3,702文字

 栄明はゆっくりと二人の側に歩み寄り、膝をついた。
「香穂さん。申し訳ありませんでした」
 頭を下げた栄明を見て、香穂は苦しげな面持ちで小さく首を振った。栄明が頭を上げ、優しくも悲しい眼差しを香穂に向けた。
「貴方の未練は、里見さんやご家族への心配。それと、罪悪感ではありませんか?」
 率直に尋ねた栄明に、香穂は一拍置いて観念したようにこくりと頷いた。
 理由を知らなければ、じゃあ何で自殺なんかしたんだと、また責めていた。それに、側にいて欲しいと思う気持ちが完全に消えたわけではない。けれど、香穂が死を選んだ理由を知り、あんな姿を見た今は、口が裂けてもそんなことは言えない。
 やっぱり、未練を断ち切ってやることが、香穂のためになる。
「里見さん、香穂さん。少し、私の話を聞いていただけますか」
 そう言って、栄明は視線で縁側へ促した。
 怜司はゆっくりと腰を上げて、香穂に手を差し伸べた。触れられないのは分かっている。けれど、それでも。そんな怜司の思いとは裏腹に、香穂は目の前の大きな手から目を逸らし、立ち上がった。眼鏡の奥の瞳が、悲しげにゆらりと揺れた。
「社長。お任せするとのことです」
 電話を終えた郡司が戻ってきた。
「分かった」
 ひと言返し、栄明は二人を縁側に座らせ、自らは怜司の隣に腰を下ろした。郡司と鈴は、見守るように側で控えている。
 栄明が、改まった様子で口を開いた。
「まず、現在我々の下にいる陰陽師たちのことをお話ししましょう」
 そう前置きをして、栄明は陰陽師たちが暮らす寮について説明した。
「里見さん。貴方の能力は霊感ではなく、私や彼らと同じ霊力です。霊的な力を操り、陰陽術を行使する力のことを言います。先程貴方は、普段は見ないようにしているとおっしゃいましたね。私はこれまで、誰のアドバイスも受けず、独学で霊力をコントロールしたという話を聞いたことがありません。しかし、貴方は間違いなく霊力をコントロールしている。里見さんには、陰陽師としての素質が大いにあります」
 思いもよらない見解に、怜司と香穂は言葉を失った。陰陽師の素質。自分が?
「しかし、それゆえに先程のように負の感情が高まれば、強力な悪鬼を生みやすいという難点があります。できれば寮に入り、きちんとコントロール方法を身につけて頂きたい。里見さんはかなり見えているようなので、それでも対処しきれない場合は、特殊な護符を作ることもできる。そうすれば今まで以上に確実に負担は減りますし、現在のお仕事は続けてくださって構いません。ただ、時々こちらの仕事を手伝って頂くことになるとは思いますが」
「ちょ……っ」
 思わず口を挟んでしまった怜司に、栄明は素直に口を閉じた。唖然とした顔ですみませんと小さく謝り、地面に目を落として口元を覆う。
 陰陽師が現代に存在するという話しだけでも信じ難かったのに、今度は自分にその素質があるという。その上、陰陽師専用の寮があり、そこに入れと。いくらなんでも――いや、待て。
 怜司は我に返り、逡巡した。
 やがて口を覆っていた手を離し、本心を口にする。
「正直、かなり負担でした。慣れたとはいえ、気を抜けば見えてしまうので疲れが溜まりやすかったんです。本当に俺に陰陽師の素質があって、きちんとした対処法が学べるのなら、助かります。ですが、仕事の方はまだ……」
 躊躇って言葉を濁した怜司に、栄明は同意するように頷いた。
「もちろん、それはゆっくり考えて頂いて構いません。入寮についても、突然のお話ですから不安もあるかと思います。正式なお返事は、また改めてお伺いします」
「はい、ありがとうございます」
 穏やかな顔の怜司を見つめていた香穂が、嬉しそうにほっと息をついた。
 空気が和んだのも束の間、栄明が再び改まった。
「もう一つ、聞いていただきたいお話があります」
 これ以上、まだ何かあるのか。
「今から、四年前のことです――」
 栄明は一呼吸置いて、滔々と語った。
 四年前の事故、不自然な点、草薙製薬との関係、彼らが関わっている可能性。逃げた犯人を未だ探しているが、一向に進展がないこと。さらに、土御門家と双璧を成す賀茂家についても。
 栄明は言った。
「おそらく、岡部を発見できたとしても、草薙一之介が関わっている物的証拠は見つからないでしょう。しかし、私たちはこのままにしておくつもりはありません。彼らをこのまま野放しにしておけば、今以上に被害者が増える。どこか、切り崩す隙があればと考えていました。お二人にとって、大変辛いことをお願いしているのは重々承知です」
 栄明は立ち上がり、二人に正対した。
「どうか、ご協力いただけないでしょうか」
 そう言って頭を下げた栄明と郡司に、怜司と香穂は目を丸くした。西日本全域に店舗を置き、多くのグループ会社を持つミナモトホーム株式会社。そのトップに立つ男が、一般人に躊躇いもなく頭を下げた。
 彼らは、本気だ。本気で、あの草薙製薬を相手取ろうとしている。
 怜司は難しい顔で眉を寄せた。横領の話を聞いて、彼らが龍之介の関与を疑った理由は分かった。奴らをどうしたいかも。
 もちろん、できることならそうしたい。だが、話を聞く限り、栄明が言うように岡部を発見しても証拠は出てこないだろう。どんな形であれ、草薙親子を引きずり下ろせればいいのだとしても、手持ちのカードは横領の証拠しかない。ましてや龍之介に関しては、知らぬ存ぜぬを貫かれればどうしようもない。奴を裁くには、香穂を襲った証拠が必要だ。だが香穂はもうこの世の者ではない。警察に訴えても、そう思われるきっかけ、例えば日記やメモの類、あるいは香穂の体に不自然な傷や痣などがなければ動いてはくれないだろう。荷物を引き上げる際や検視の時、それが見つからなかったからこそ今まで自殺の理由が分からなかったのだ。
 だとしたら、どうやって。
 怜司が考えあぐねていると、香穂がすっと立ち上がった。振り向いて見上げると、睨んでいると言った方が近いような、至極真剣な面持ちで栄明たちを見据えていた。今まで、香穂のこんな顔は見たことがない。
「香穂……?」
 声をかけると、栄明たちが顔を上げ、香穂は二人を見比べて深くしっかりと頷いた。そんな彼女に怜司は目を丸くし、思わず腰を上げた。まさか。
「香穂、何か証拠があるのか」
 尋ねると、また首を縦に振った。怜司を見上げる香穂の目には、自信がこもっている。予想外の答えに、誰もが目を瞠った。まさか本当に証拠があるなんて。
「でも……」
 思い出したくもないだろう、そう続けようとした怜司に向かって、香穂が両手を突き出した。怜司が言葉をのみ、しばし二人は見つめ合った。やがて香穂が手を下ろし、ゆっくりと口を開いた。だがすぐに、声が聞こえないことを思い出したのか、残念そうに肩を落とす。
「ああ、そうだ」
 不意に栄明が呟き、携帯を取り出して操作した。すぐに向きを変えてこちらへ差し出した。表示されているのは五十音表。なるほど、といった顔をした怜司と香穂に、栄明はどこか誇らしげに微笑んだ。
「最初に思い付いたのは、私ではなく寮にいる子なんですよ」
 へぇ、と揃って素直に感心する。子というからには子供だろうか。どんな子なんだろうと興味が湧いた。
 どうぞ、というふうに携帯を差し出され、怜司が受け取る。揃って画面に目を落とすと、香穂の指がゆっくりと文字を辿った。濁点と半濁点がないため脳内変換する必要はあったけれど、ジェスチャーや唇の形で言葉を推測するよりは、はるかに正確で分かりやすい。
『もう誰も苦しんで欲しくない』
 香穂の指は、そう言葉を紡いだ。
 香穂らしい理由だと思った。彼女も、龍之介の噂は耳にしているだろう。けれど、自分たちが想像する以上にあの男の行いは酷く、栄明が言うように放っておけばさらなる被害者が出る。寮の女性たちや賀茂家の少女、おそらくもっといる。加えて、人まで殺害しているかもしれない。いや、少なくとも、すでに一人殺害している。
 怜司は香穂に目を向け、向こう側が透けて見える横顔を見つめた。
 もう、彼女の熱を感じることも、声を聞くことも、このまま一緒にいることも叶わない。ならばせめて、最後の願いを叶えてやりたい。最後に、あの日だまりのような笑った顔が見たい。
先程まであんなに怯えていたとは思えないほど精悍な顔付きをし、眼差しには強い光が宿っている。香穂は、もう覚悟を決めているのだ。
 怜司は目を伏せ、瞼を上げた。
「分かりました。協力します」
 香穂がぱっと顔を輝かせて怜司を見上げ、栄明はほっと笑みを浮かべた。
 もう時間が遅いので続きは明日、十一時にまた会う約束をした。念のために連絡先を交換して、栄明たちが送ってくれると言うのでお言葉に甘えることにした。
「また、明日な」
 十一回目の「また明日」。この言葉を口にするたびに、いつも不安が胸をよぎる。明日、いてくれるだろうかと。けれど今日の不安は、それとは違うものだ。
 怜司が笑みを浮かべると、香穂は少し寂しそうに笑って頷いた。彼女も気付いているのだろう。
 別れの時が近付いていると。
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