第2話

文字数 6,009文字

「あれ、人間の動きじゃねぇよな」
「鬼だからね」
「そっちじゃなくて、樹さんと怜司さん」
「人間って、あんな動きできるんだね」
「前世鬼だったんじゃないの?」
「殺されるぞ、お前」
「それは柴と紫苑に失礼だよ」
 とめどなく流れる汗を拭きながら、息も荒くそんな会話をしているのは大河と弘貴と春平だ。昴や茂、美琴と香苗は、今にも死にそうな顔で縁側に腰を下ろし、それでも目だけはじっと前を見据えている。ちなみに全員泥だらけだ。一方華と夏也は朝食の支度をしており、藍と蓮は柴の膝の上にいる。
 掃除終了後、気が付けばそれは始まっていた。昨日訓練時間が潰れた上に頭を使いすぎたせいで、体がうずいた大河が紫苑にちょっかいをかけたことがきっかけだった。
 樹がトイレに消え、茂たちが木刀の準備をする間、初めは準備運動のつもりで軽く拳を繰り出した。それを鬱陶しいと言わんばかりに蝿を叩き落とすように払われてしまい、火がついた。
 右拳を繰り出せば左手で斜め下に払われ、左拳を繰り出せば即座に右手で軽く払われる。ならばと、右拳を払われてからそのまま反動を利用して思い切り右足を回し蹴った。しかしそれも難なく避けられてしまい、ではさらにと、回転する勢いで左足の後ろ回し蹴りを放ったが掴まれてぶん投げられ、地面をごろごろと転がった。水捌けが良くても完全に乾いていないため、泥だらけだ。なんの、と気合を入れ直して体を起こしたが、弘貴と春平に先を越されていた。
 そこから美琴と昴、香苗と茂、再び大河と弘貴と春平の三人がかりで挑んでみたが、何せ体力も身体能力も歴然だ。紫苑の体力を削ぐ前にこちらが体力切れになり、無念のうちに退場となった。では樹と怜司ではどうかと二人をせっついて、今に至る。
 怜司が連続して拳を繰り出し、続けて後ろ回し蹴りをすると、紫苑は後ろに仰け反って避けた。すると交代とばかりに樹が走り寄り、直前でふっとしゃがみ込んで紫苑の足元を狙って右足を振り抜いた。それは軽く跳ねてかわされたが、反動を利用して半回転しながら足を引っ込め、紫苑に背を向けた恰好で地面に両手をついた。そしてつま先で跳ねて体を浮かせ、紫苑の胸辺りに目がけて、縮めた両足を勢いよく伸ばした。つまり、腕力だけで後ろ斜め上に飛んだのだ。
 一方紫苑は、跳ねて避けたせいで体勢が悪い。しかし、目の前に勢いよく伸びて迫る樹の両足を交差させた腕で防ぎ、さらに力任せに押し返した。反動で着地した時に少しだけ地面を擦って止まる。押し返された樹は、バック転の要領で地面に両手をついてくるりと回転し、しゃがみ込む格好で着地した。
 そんな一瞬の攻防を、大河は瞬き一つせずに凝視する。次の攻撃に入る判断やスピードが桁違いだ。経験値はもちろん、筋力に体幹をフル活用しなければできない。それに、樹も怜司も紫苑も、どんな体勢になっても相手から決して目を離さない。影正から口を酸っぱくして叩き込まれた基本だ。
 樹たちの手合わせは、見ているだけでも勉強になる。
 そこで華の奇行を思い出した。どうして今まで気付かなかったのだろう。大河は三人から視線を外さずに横に置いていた携帯を持ち、ちらちらと確認しながら操作する。それに気付いた弘貴たちが、あっと小さく声を上げて慌てて自分の携帯を手にした。
 大河たちが携帯を操作している間に、樹がよいしょと腰を上げた。
「まあ、勝てるとは思ってないけどねぇ」
「だな。でも膝くらいはつかせたい……、おい樹、あれ」
「うん?」
 ちょうどカメラが起動した時、怜司がこちらに気付き、樹と紫苑が視線を投げた。次々と向けられる携帯に、樹が眉をひそめる。
「え、何、もしかして動画撮られてるの?」
「みたいだな」
「えー、ちょっとやめてよ。恥ずかしいでしょ」
 樹は顔を逸らして手で隠した。
「なに照れてるんですか。別に樹さんが目的じゃないです」
 大河が白けた顔で冷ややかに言い放つと、樹がむっとして振り向いた。嫌がっていたくせに。
「そう言われるとムカつく。僕の雄姿を収めたいくらい言いなよ」
「早く続き続き。容量がもったいないです」
「うわ、生意気」
「あいつ、ちょっとお前に似てきたんじゃないか?」
「どこが」
 もう、と膨れ面で樹が構えた時、華が縁側に出てきた。
「皆、そろそろご飯できるわよ」
 とたんに残念な声が漏れ、一斉に携帯が下ろされる。樹と怜司が、気の抜けたような息を吐いて構えを解いた。
「あら、動画撮ってたの?」
「はい。でもちょっと遅かったです」
 樹が余計な話をするから、と不満を顔に出して動画を削除する。樹と怜司、紫苑が縁側に集まった。
「そういえば、皆で写真って撮ったことないわよねぇ」
「ああ、そういえばそうだね。いい機会だし、撮るかい?」
 笑顔で便乗した茂に、大河がぱっと顔を上げた。
「俺賛成。撮って父さんたちに送りたいです」
 影唯と雪子は以前の電話で何となく雰囲気を分かってくれただろうが、省吾たちも話を聞いているだろう。写真を送れば、安心してくれるかもしれない。
「あー、そっか。前に電話してたけど、大河の親、俺たちと一回しか会ってないもんな」
「それに、省吾(しょうご)くんだっけ。幼馴染の子たちも安心してくれるかもしれないね」
「あっ、あたしも賛成ですっ」
「僕もいいですよ」
「……皆がいいなら、別に」
 弘貴と春平に続いて香苗、昴、美琴が便乗し、大河は一瞬目を丸くして、はにかむように笑った。
「よし。そうと決まれば皆、シャワー浴びてらっしゃい。ご飯を食べ終わってから撮りましょう」
 華が笑顔で一拍すると、皆が返事をして腰を上げる。紫苑はその場に残り、残りの全員はぞろぞろと風呂場へ向かった。
 二十分ほどでシャワーから戻り、朝食をいただき、片付けの前に全員が縁側に集まった。
 タイマーで撮るため、庭に脚立を出して踏み面に携帯を置くことになったのはいいが、何故か誰も手帳型のカバーを使っておらず支えるものがない。
「手帳型だと開かなきゃいけないでしょ。いざっていう時、手間が一つ増えるとそれだけ隙ができる。強制はしてないけど、皆仕事始めると変えるんだよね」
 と樹は言った。携帯のカバー一つ取っても理由があるらしい。しかし、それならどうするのだろうと思っていると、怜司が車から携帯用のホルダーを外して持ってきた。なるほど。
「大河くんと柴と紫苑は、前がいいんじゃない?」
 茂の気遣いで、藍と蓮を膝に抱えた柴と紫苑の間に大河が挟まった。こうして改めて二人の間に挟まれると、なんだか照れ臭い。
 前列左から、華、美琴、柴と藍、大河、紫苑と蓮、香苗、夏也。後列左から、樹、春平、弘貴、茂、昴だ。
「しゃしん、とは、昨日(さくじつ)の書物にあった、美しい絵のことだな」
 わいわいと雑談で盛り上がる中、不意に柴が大河を振り向いて尋ねた。資料集のことを言っているらしい。
「ああ、うんそう」
「あれを、けいたいでんわで作るのか」
「うん」
「では、てれびで見た、どうがというものも、あれで作ることができるのか?」
 そういえば昨日動画番組を見ていたことを思い出す。先程の訓練の様子から察したらしい。
「そうだよ」
 ほう、と紫苑も一緒になって感心した声を漏らす。
「遠くにいる者と話しができ、明かりを灯すことができるだけでなく、そのようなこともできるのか」
 柴は、怜司がセットしている携帯へ視線を投げた。
「あの小さな箱の中に、たくさんのからくりが仕込まれているのだな」
 からくりとはまた古風な言い回しだ。大河は声を殺して笑った。
「便利な世に、なったものだ」
 しみじみと呟いたその言葉はどこか嬉しそうで、しかし寂しそうにも聞こえ、大河は真っ直ぐ前を見据える柴の横顔を眺めた。
 昨日、平安京の模型の写真を二人も見ている。突然歴史を知りたいと言い出したことといい、影綱の日記を読んで、あの頃が懐かしくなったのだろうか。
 ふと、一抹の不安にかられた。
 柴と紫苑が復活させられた理由は、まだ分からない。しかし、人の都合でこんな事件に巻き込まれてしまったからこそ、少しでも楽しんで欲しいと思う。だが二人はどう思っているのだろう。楽しいからこそ色々聞いてくるのだと思うけれど。
「準備できたぞ」
 薄く唇を開いた時、怜司から声がかかって大河は口を閉じて前を向いた。雑談をしていた皆も一様に話をやめる。
「藍、蓮、ちょっとだけお行儀よくしててね」
「はい」
 美琴の向こう側から華が注意すると、足をぶらつかせていた双子がぴしっと背筋を正した。
「柴と紫苑も、しばらく動かないで携帯見てて」
「承知した」
 大河が言うと、二人は携帯を見つめたまま頷いて微動だにしなくなった。まだ少し早いけど、まあいいか。姿勢を正した双子とセットで、こういう置き物みたいだ。
「十秒……いや、八秒くらいか?」
「怜司くん細かい。早く」
「長いと文句言うだろ」
「うん」
「ぶった切るぞ」
 樹と怜司のいつもの軽口に笑い声が上がる。セットし終わった怜司が小走りに戻って縁側に上がり、樹の隣に加わった。と、突然誰かの携帯の着信音が鳴り響いた。しかもこれはあれだ。日曜午後六時から放送されている超ご長寿番組のテーマ曲だ。
 ――四。
 なんでこれを選んだんだろう。大河はじわじわ込み上げてくる笑いを噛み締めるように、唇をきゅっと引き締めた。それでも口の端には笑みが浮かぶ。余所行きの顔をした双子を抱え、真剣な顔で微動だにしない鬼に両側を挟まれたこの状況に、軽快で陽気なメロディーはミスマッチ感が半端ない。
 ――三。
 ふふ、くく、と忍ぶような小さな笑い声が漏れ、双子の足がリズムに合わせてノリノリで揺れだした。
 ――二。
 今にも笑い声が飛び出してきそうで、大河は腹に力を入れた。ほぼ同時に、堪え切れなくなった弘貴がぶはっと盛大に噴き出し、
 ――一。
 間髪置かずにどっと弾けるような笑い声が上がった次の瞬間、カシャッとシャッターが切れた。
「もう、しげさん!」
 笑い声の合間に一斉に非難の声が上がる。柴と紫苑から「もう良いのか」と言いたげな顔を向けられ、大河は笑いながら何度も頷いた。
「ごめんごめん。バイブにするの忘れてた」
 茂は屈託のない笑顔で携帯を引っ張り出してリビングに引っ込んだ。ああお義父さん、ええこっちは大丈夫ですよ、とにこやかな話し声。どうやら義両親からの安否確認の電話らしい。
「弘貴くんも。あと少しだったのに、我慢しなよ」
「そうだよ。弘貴が噴き出すから皆つられたんだよ?」
「俺ギリ耐えてたのに。弘貴のせいだ」
「あたしはもう限界だったわー」
 苦言を呈しつつも笑顔の樹と春平と大河、目尻に浮かんだ涙を拭う華に、弘貴が腹を抱えて首を横に振った。
「無理無理。ていうかあれ反則だろー」
「デフォルト以外の着信音、久々に聞いたな」
 くくくと喉の奥から笑いを漏らしながら、怜司が縁側から下りて携帯を回収に行く。
「すごいタイミングで鳴りましたね」
「まさかでした」
「見計らったようなタイミングでしたね」
「ほんとごめん。僕もまさかあのタイミングで鳴るとは思わなかったよ」
 香苗、夏也、昴の会話に茂が苦笑いで加わった。
「撮り直しかなぁ?」
 大河は笑い声を収めるように深く息を吐いて怜司へ視線を投げた。
「ちょっと責任感じちゃうなぁ」
 申し訳ない顔で頭を掻く茂にくすくすと笑みがこぼれ、怜司が携帯を持って戻ってきた。その顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。
「ほら」
 怜司がちょうど大河の目の高さに携帯を掲げて画面を向けると、全員が団子のように寄り合って覗き込み、へぇ、と意外そうな声を漏らした。
 柴と紫苑は真顔だが藍と蓮は満面の笑顔で、美琴と夏也は必死に笑いを堪えているようだが微かに笑みが浮かび、他の皆は大爆笑だ。寮のいつも通りの雰囲気がよく表れている。
「結構いい感じに撮れてるじゃない」
 樹の感想に、うんいい感じ、いいね、と賛同の声が上がる。
「うんうん、自然でいいすね。これもしげさんの選曲のおかげ?」
「もう、ごめんって」
「褒めてるんですよ?」
「褒めてるように聞こえないんだけど」
 弘貴の茶化しに茂が少し拗ねた顔をし、また皆に笑顔がこぼれた。
「それじゃあ送っていいか?」
 はーい、と生徒よろしく素直な返事をして各々携帯を取り出す。
 次々と着信を確認する中、柴が怜司に向かって尋ねた。
「それが、どうすれば書物になるのだ?」
「印刷するんだよ」
「いんさつ?」
「写真や文字を紙に写すことだ。そうだな、昔なら、木版か?」
 ああ、と柴と紫苑が納得する。美術で習った版画と同じかな、と思いながら大河が携帯から顔を上げた。
「今は機械を使って印刷できる。どうする、見てみるか?」
「ここで、できるのか?」
 携帯から顔を上げ、ああ、と頷いて怜司は茂へ視線を投げた。
「しげさん、印画紙って残ってますか」
「うん、残ってたと思うけど。ああ、ちょっと待ってね、見てくるよ」
 すぐに察して茂が室内へ入ると、さてと、と華が腰を上げた。
「いい写真も撮れたし、お掃除しましょうか」
 倣うように皆が立ち上がる中、昴と美琴は縁側で靴を履き始めた。
「じゃあ、藍ちゃん、蓮くん、お散歩行こうか」
 今日の当番は二人らしい。昴が縁側に腰をかけて笑いかけると、藍と蓮はぱっと顔を輝かせた。体を乗り出して足元を見渡し、自分の靴を探す。履き終えた昴と美琴が縁側の下にあった二人の靴を出してやり、片方ずつ渡すと急くように履いて膝からぴょんと飛び下りた。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
「車に気を付けろよ」
 大河と怜司が声をかけると、よほど散歩が楽しみらしい、藍と蓮が太陽にも負けない笑顔で見上げた。
「行ってきます」
 ああもう可愛すぎて死にそう、と大河が顔をだらしなく緩ませる後ろから、華や夏也たちからも見送りの声がかかる。双子にひらひらと手を振られ、柴と紫苑が振り返した。
「行ってきます」
「……行ってきます」
 大河の締まりのない顔に苦笑した昴が藍、少々不気味そうな顔をした美琴が蓮に手を引っ張られながら、玄関の方へ消えていった。
「それじゃあ、大河くんはさっさと宿題終わらせてきてね。昨日できなかった分、ビシビシしごくよ」
 やっぱりだ。無邪気に笑って言った樹に、大河は「はーい」と覇気のない返事をしながら腰を上げた。
「怜司くん、脚立とホルダーしまってくるから、柴と紫苑に印刷見せてあげなよ。そのあと手合わせしよ」
「分かった」
 樹が庭へ下り、怜司が縁側に上がる。柴と紫苑も立ち上がり、怜司の後を追いかけてプリンターが置かれたテレビボードへ向かった。
 プリンターから印刷される写真を見て、柴と紫苑はどんな反応をするのだろう。写真自体は資料集で見慣れたかもしれないが、それに自分の姿が映っているとなると不思議に思うだろうか。
 二人の反応を想像して一人でこっそり笑い、大河はそれぞれの持ち場へと向かう皆のあとを追いかけた。
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